tkmおすすめコースには入っていませんが、ボクの中での「京都といえば」スポットの一つである二条城にも行ってきました。
徳川慶喜が大政奉還を発表した二の丸御殿に行く度にゾクゾクしてしまいます。「日本史」を最も身近で感じることのできる場所の一つではないでしょうか。
今回の旅で最も楽しみにしていた円通寺を最後に訪れました。
近くの工事現場のおじさんに円通寺までの行き方を尋ねていた自分。借景をケータイで写メに撮る自分。恥ずかしい人間です。
とにかくでかいです。京都駅の駅ビルを外から眺めたときに感じるデカさに通じるものがあります。自分の身体のスケールが小さくなったかのような錯覚すら覚えました。
血天井で有名な正伝寺と源光庵を訪れました。
正伝寺は借景の庭園で、源光庵は「そうだ京都へ行こう」のCMにも登場した「迷いの窓」と「悟りの窓」でも有名です。
二日目はほんとは京都御所からスタートすべきなのですが、事情により平等院鳳凰堂からスタート。
普段めったに引かないおみくじを引いてみるとなんと大吉。おみくじに書いてあることは次に引くときまで有効であると勝手に思い込んでるボクは、もう二度とおみくじを引かないことに決めました。
蚕の社(かいこのやしろ)と呼ばれる木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)の見所は三柱の鳥居です。どこにでもある神社の鳥居が3つくっついたような形をしているこの三柱の鳥居には呪術的に深い意味があるそうです。
観光客もあまり訪れないような郊外にひっそりとたたずむ神社ですが、ここが平安京にかけられた呪術の心臓部かと思うと、その静けさがいっそう不気味に思えました。
東北に続いて京都へ一人旅に行ってきました。今回の旅ではネット上の某所で公開されているtkmおすすめのプランを参考にして巡りました。
旅行中なのに9時まで寝てしまい、かなり遅めの出発です。
山寺を目指して山形へ向かいました。山形に来るのはこれがはじめて。山形&宮城がボクの訪れた国内最北端です。
駅に着くとまず麓の土産物店を兼ねた食堂で腹ごしらえしました。客は熟年の方ばかりで八十八ヶ所を巡るお遍路さんのような年齢層です。したがって、この場ではダントツでボクが最年少。20代半ばを過ぎた最近ではそんなことも珍しく、久しぶりに若さを実感(?)。
山寺は芭蕉が「閑けさや 岩にしみいる せみの声」を詠んだ場所です。麓からひたすら階段(なんと800段!)が続き、この季節でも汗が吹き出てきました。紅葉シーズンの晴れた日であったためか観光客がけっこう多く、それほど『閑けさ』はないものの、熟年集団のおしゃべりが鳴り止んだ瞬間には芭蕉の句の心境に触れることができたように思います。今は観光地として店が立ち並び、山道も整備されてしまっていますが、芭蕉が訪れた当時の地理、景観等の環境を想像すると、仏教の修行の場として最高のロケーションであったことが推測されます。
2時間あまりで登り下りして、いよいよ山形駅に向かいました。そうです、スイカップの待つ山形です。ところが、山形駅に向かう列車の車中で山形市内での予定を考えていると、何もすることが見つかりません。スイカップの出演するニュースを待つために数時間をつぶす手段が見つからないのです。そこで、スイカップは断念し、山形新幹線から在来線に変更して帰京の途についたのでした。
山形を16時前に出発して帰宅したのが24時前。実に8時間の電車旅です。この3日間で電車に乗っていた時間は15時間以上だったのに、電車には全然飽きてませんでした。自分は電車好き(注:マニアではない。)なんだなぁと再認識したみちのく一人旅でした。
~完~
会津若松から高速バスに乗って仙台へ。
当然のように牛タンを食べて、早速青葉城址に到着するも城壁改修工事中のため政宗像を見たのみで下山。仙台市博物館に行ったものの政宗の兜もなくて、失意のまま駅に引き返して松島へ。
日没直前のために観光客もまばら。到着して30分ほどで暮れてしまったのでゆっくり眺めるわけにはいきませんでしたが、「松島や ああ松島や 松島や」とつぶやいたことで一満足。
夜には再び仙台に戻ってせんだいメディアテークを訪れました。月尾先生の同期の伊東豊雄さんの設計で、月尾先生のボスの石井威望先生が名誉館長です。期待通りのかっこいい建物でした。中は図書館+ギャラリー+スタジオという構成ですが、一般の仙台市民にとってはおしゃれな図書館以上でも以下でもないでしょう。一階のミュージアムショップが充実していました。
朝起きて鶴ヶ城へ。あいにくの小雨と朝早すぎたせいか観光客は2~3人。でも、一人で気分を盛り上げられるので好都合。昨日から頭の中でエンドレスリピートの『愛しき日々 by 堀内孝雄』のボリュームが一段と上がります。
天守閣に入ったら「何か違う!」と気付きます。
これまで高知城、松山城、二条城に行ったことがあるのですが、これらのお城は中身もちゃんとお城だったのに、鶴ヶ城の内部はまるで公民館のような雰囲気なのです。戦後に再建されたとのことなので、それももっともなことなのですが、ボクの中でできてた『お城』のイメージが音を立てて崩れて行きました。
公民館状態の内部で展示されていた白虎隊や鶴ヶ城関連の資料を見ていると、一枚の写真に目が釘付けになりました。戊辰戦争後の鶴ヶ城の写真だったのですが、その状態があまりにもひどかったのです。崩れそうになっている状態の城というのはあまり目にする機会はないので、かろうじて立っている鶴ヶ城の姿は印象深いものでした。
ふと思い立ち、旅に出ました。
とりあえず目指すは会津若松。日テレの年末時代劇『白虎隊』を小学生の時に観て以来、ずっと訪れてみたかった地です。
9時に浅草を出発し、東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道を経由して会津若松駅に着いたのは14時過ぎ。さっそく飯盛山に行きました。
飯盛山は白虎隊が「お城が燃えている!」と言って、自刃した場所です。登り口にある白虎隊記念館で紹介VTRを見ていると、いきなり涙が出そうになりました。やばいやばい。
いざ登ってみると、ちょっとがっかり。鶴ヶ城は見えるものの、街の景観が変わり過ぎていて興ざめでした。(写真は自刃の地から鶴ヶ城方面の眺め)お城よりもツタヤの看板が大きく見えるのはいただけません。しかし、白虎隊が通ってきたという洞穴の前で彼らの気持ちを思うと、しみじみしてしまいました。官軍である土佐の人間としては複雑な心境なわけですよ。今後日本人同士が戦うことはないとは思いますが、ほんとあって欲しくないですね。
その後は早々に東山温泉へ。市内観光バスの運転手がみな若い美女だったのが気になりました。