May 5, 2011

被災地からの帰りに考えたこと<Shinkansen, Japan>


5月5日 15:39。
東京から京都へ、新幹線のぞみ183号が間もなく発車する。そんな中で、見てきたことを思い浮かべながら書いている。

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(仙台の南、岩沼市のあたり)

4日前、仙台に向かうときとは随分違う気持ちで新幹線に乗っている。
今回東北に行ってみて、自分の気持ちの持ちようが随分変わった。これまでは、震災の現場を想像して、ただただとてつもない強大な力に対して恐れ慄く気持ちだったのが、短期間とはいえ自分なりに目の前でみたことによって、震災が、漠然とした恐怖から、より鮮明な、具体的な実体に変わった。

行きの新幹線でも、思いついたことを書きつつ北に向かったけれど、東北に近づいていくにつれて、すべてを震災と関連させて考えた。福島駅のそばで人が誰もいなければ、やはり原発の影響だろうとか、マスクをしている人をみると、やはり、というように。どこを見ても、震災とだぶらせて考えた。実際ある程度そうではあるだろうとはいえ。

だから、仙台駅に着いたとき、普通に明るくて賑やかで、人でごった返している様子に驚いた。普通の日常がそこにはあった。もっと大変な光景がいきなり飛び込んでくるんじゃないかって思っていたけれど、そうではなかった。少なくとも自分はそのように感じた。

それから、仙台で車を借りて、北東に向かい、松島、東松島、石巻へ。そのあたりで初めて津波の衝撃的な被害を眼にした。そして、女川、南三陸、気仙沼、陸前高田、南に戻って山元町...。

南三陸町・志津川では、飛び込みで1日ボランティアをさせてもらい、夜は被災者の方々と一緒に酒を呑み、体育館に泊まった。みなさん温かく迎え入れてくださって、いろいろと話を聞かせていただいた。胸のつまる話が多いけれど、でもその明るさに逆に元気をもらった。

津波の被害は、どこでも線を引いたかのように突然始まった。内陸から車で走ると、たとえば南三陸町に入ってもしばらくはずっとのどかで全く何事もなかったような美しい緑の風景が続いた。山の中に切り開かれた道。そのそばにポツリポツリと見える家。特産の牛を宣伝する看板。家も一見、全く地震や津波の被害は見えない。カーナビが、もうあと数キロで海、というところまでそんな風景が続く。

しかし、あるところで、カーブを曲がった瞬間に、突然、凄まじい津波の被害が始まった。全く無傷のように見える風景が、あるところを境に、壊滅的で何も残っていない風景に変わる。そこではっと息を呑まされ、圧倒される。そして海が見えるような平地へと道が延びるあたりからは、もはや現実とは信じられないような風景になった。

海岸にそった国道を志津川から気仙沼に走っていたときも同じ。
道が海岸近くなると破壊されつくした光景となり、少し内陸に入ると、全く被害が見えない美しい光景になる。道は、内陸、海、内陸、海と行ったりきたりするため、その真逆な光景が、交互に現れる。それがなんとも驚きだった。

どこも、自分が見た限りでは、地震自体による倒壊などの被害は思っていた以上に少なかった。志津川の人たちと話しても、ほとんどの人がそう言った。すべては津波だった、と。

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(岩手県・陸前高田市)

だから、冷静に考えてみれば、津波の被害が突然始まるのは、何も不思議なことではない。水がこないところは津波の被害は一見全く表れないのだから。でも、実際に見るまでは、そんなこと考えもしなかったし、もし、そのことを聞いたとしても、そうか、ぐらいで、特に意識することはなかったかもしれない。

でも実際の様子を見ることで、震災の被害がよりクリアに見えるようになった。決して、東北全体が凄まじいことになっているというわけではない。テレビで見る風景がいまの東北のすべてではない。その辺がはっきりと意識できたことによって、震災に対しての、とにかく漠然とした不安のような気持ちが、より対象が明確なクリアなものに変わった。

でも、それはもちろん、被害が思ったより小さかったということではないし、津波の線を境に震災の影響がない、ということでは全くない。

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(宮城県・女川町)

実際に被災者の方々と話してみると、恐怖や悲しみが、彼らの中に深く重く沈みこんでいるのを感じる瞬間があり、その絶望の深さや途方にくれた気持ちの大きさ、直面する問題の大きさが、あまりにも甚大で、呆然としてしまうこともあった。それもまた現実に見て初めて実感として感じられたこと。
その一方で、人々の中にある明るさ、「すべてがなくなったけど、まあ、仕方ないさ。自然が相手だからな。とりあえず生き延びることができてよかったっておもわねえと」っていう前向きなエネルギーの強さ、現実を受け入れる力強さもいろんな場面で感じた。

被災者に対して、ただただ悲惨で絶望に満ちた状態で、自分たちがなんとかしなければ、というイメージだったものが、やはり実際に会って話して、一緒に酒を飲むことで、決してそうばかりではないことが分かった。生活や状況は大変だけれど、すごい力強さや明るさで自ら乗り越えていっている。決して無力な存在ではなく、個々人が知恵と生命力を奮い起こし、大勢が力をあわせて、力強く動き出している。

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(宮城県南三陸町・志津川の佐藤公一さん。避難所の物資やボランティアのまとめ役。家、車などすべての財産が津波に流された。どうやって迫り来る津波から逃げたかを、現場にいって克明に教えてくださった)

いま新聞などで現地の話を読むと、「あ、佐藤さんはいまどうしてるかな」「そうか、学校はじまったらトモヤはどんな顔して登校するのかな」って、具体的な人の顔を思い浮かべられるようになった。呆然としていたあのおじいさんも、もう次の避難場所に移ったのかな。救援物資は凄まじく余っていたけど、舞台の裏に片付けた山のようなカップラーメンは、少しは減ったかな、とか。

そうやって具体的な風景を思い浮かべられることによって、漠然とした恐怖感のようなものがなくなるとともに、震災についてある程度具体的な輪郭を持って考えることができるようになった。そして、あの人に何か役立てることをできたらな、って思えるようになった。自分のできることは少ないけれど、佐藤さんに喜んでもらえたらうれしいな、あのおじさんが、またガンガン家で酒を飲めるようになったらいいのにな、みたいに思えるようになった。自分の本を、あの子が読んでくれていたうれしいな、と思えるようになった。
個人が思い浮かべられるようになって、何かしよう、という気持ちはより強くなった。

それが今回、現場を見に行くことによって得ることができたおそらく一番大切なこと。


Posted by ykon at May 5, 2011 11:49 PM | トラックバック
コメント

お疲れ様でした。今はまだ帰路途中かな。私は今は子育て真っ最中で現地に行くことができないのだけど、多くの人が現地へ向かっていることに感謝の気持ちを持って過ごしています。ゆうき君の写真を見て改めて息が苦しくなりました。テレビを見てもそう、倒れた車や遺留品のVTRや写真を見ても、誰が乗っていたのかな、誰が使っていたのかな、小学校や保育園で津波にあった子ども達がどうなったか、自分でも止められないぐらいに何故かリアルに浮かんでしまって、、苦しかったでしょう、怖かったでしょうって頭の中がぐるぐるになって涙が出てしまいます。こうした気持ちを持っているより現地で具体的に何かできたらなんて良いんでしょうって思う。だからこそ、実際に行ってくれている人にすごく感謝したい。あのリアス式海岸が地獄のようになったこと、それを何百年もの後の人たちにも伝えていくことが大切な気がしてる。昔の言い伝えを甘くみてはいけないんだって思うようになったよ。

Posted by: maiko@tokyo at May 6, 2011 12:54 AM

がんばれ!!

Posted by: なななな at May 6, 2011 7:24 AM

お久しぶりです。ちかぞうです。
近藤さんの「一番大切なこと」に、強くうなずきました。自分は情けなくも、机上の(また報道の中での)幻にすぐアワアワしてしまうのですが、その「一番大切なこと」をしっかりと一番大切にできるように(大切なことを大切にできないことが多いので…トホホ)毎日を過ごしてゆこう、とあらためて思うことができました。謝謝。
近藤さんのご活動を、応援しています。

Posted by: ちかぞう at May 6, 2011 10:11 AM

お疲れ様です
やはり個人個人が繋がるというのが大事なんでしょうね。と僕もいつも思ってます
そして自分自身の身をもって感じる事も
僕も夏に一度日本に帰り東北に行くつもりです
その時もし都合があったらご飯でも食べましょう。では!

Posted by: osawa at May 7, 2011 12:03 PM

>maikoちゃん

ここに書いた通り、現地に行ってみて、これまで漠然と創造するしかなかった被害の様子が、より具体的にイメージできるようになったよ。
現地の人々の悲しみや大変さを、ぐっとリアルに感じて言葉を失ったとともに、人々が、力強く自分たちで動き出している様子を見て、逆に元気をもらったり。

吉村昭の「三陸海岸 大津波」っていう本があるけれど、それ読むと、あのあたりは本当に津波とともに歴史を刻んできた地域なんだなということを感じます。人々にも、そういう強さを感じました。


>なななな

高校生の力、いまこそ大事!


>ちかぞうさん

ご無沙汰してます!お元気でいらっしゃることと思います。自分も、幻にアワアワしている状態に耐えられなくなって行ってみた、という感じです。

旅をしているときもいつも、ちょっとでも行ったことのある国とない国では、ニュースへの興味のわき方が全然違うことを感じていました。それがやはり現地へ行くということを意味なんだろうなと感じます。ちかぞうさんも、今後ともお元気で!


>osawaさん

どうも!ご無沙汰してます~。いまは成都ですか?遊牧夫婦の続編を概ね書き終えたのですが、中国は、振り返ってみると、現地の中国人とのつながりがそれほど濃密でなかったことを感じ、いまさらながら、ああ、もうちょっとディープな付き合いをしていれば、、って思ってしまいます。やはり個人のつながりこそがいろんなものを生み出しますよね。一時帰国の際は是非ご連絡ください!お元気で~。

Posted by: ゆうき at May 8, 2011 9:23 PM

こんにちは。ご無沙汰してます。友人のブログに「神戸淡路地震の被害者だった少女が善意によりLA研修旅行に招待され、それがきっかけになってカナダ留学、BC州立大学卒業。現在はHKに住んでいるが、今回の大震災を見て、被災した少年少女をHKに研修旅行させたい」とwebで呼びかけています。何か近藤さんからアドバイスはないでしょうか?
私の名前のハイパーリンクがが友人ブログURLで、詳しい説明があります。HKの女性(Yukaさん)の活動ブログのURLはそのwebの最後にあります。

Posted by: geneve at May 9, 2011 9:19 PM

>geneveさん

お返事遅くなってすみません!
先ほどメールをお送りしました。
よろしくお願い致します。

Posted by: ゆうき at May 20, 2011 12:50 AM

読んでいて涙が出そうでした。自然に対して人は無力なことばかりだけど、それでも人って強いしあたたかい。すごいです。
シェアをありがとう。

Posted by: 大田朋子 at June 9, 2011 12:54 AM

>朋ちゃん

そんな風に読んでもらえるとは、うれしいなー。ほんと、現地行って、人の力を感じました。その力強さを前に、「援助する」っていう感じではなく、一緒になんかやりたい、っていう気持ちになりました。

Posted by: ゆうき at June 10, 2011 11:43 AM
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