May 10, 2011

自分にとっての「取材」<Kyoto, Japan>

今回、東北に行って、「取材する」ということについて、いろいろと考えた。

ぼくは、「取材する」ということに慣れることができない自分を、この仕事を始めた以来ずっと感じ続けている。もう7,8年。だから、「取材」って言う言葉も自分にはなんか肌に合わなくて、人にはよく、「話を聞かせてもらう」という言い方をしてきた。初めは単純に自信がなかったということもあるけれど、いまなお、その気持ちは変わってない。

なんでそんな風に思うのだろうと考えると、突き詰めれば自分は、「取材」という行為に対してどこか懐疑的だからなんだろうな、と思う。「取材」と称してちょっと人の話を聞くことでいったいその人の何が分かるのだろう、という思いがある。話を聞かせてもらう相手にとって、いきなり外からやってきて話を聞いて、わかったようなことを書く自分はなんなんだろう、という思いがある。

さらにその上、メディア、つまり書く側、伝える側というのは、妙な影響力を持つことがあるために、「取材」においても、取材する側が、される側に対して妙な力を持ってしまうということがある。その関係を、じつに居心地悪く感じ続けている。

今回東北で被災者を前にして、とてもつよくそう思っている自分を意識した。
いったいどんな顔して話しかければいいのだろう。遠くから突然やってきて、話を聞かせてくれと迫る自分ってなんなんだろう。何もかもを失い、この地ですべてを立て直さないといけないこのおじさんをを前に、遠く関西から数日だけ突然やってきて話を聞いてまた帰っていく自分ってなんぼのもんなんだ、と。

そんな気持ちが強く芽生え、物怖じしてしまうことが多々あった。そしてときにぼくは、そのまま何もできず、誰とも話せずに、ただおどおどしていた。

しかし――。優れたノンフィクションの書き手は、この辺の問題をすでに自分の中であれこれ考えた上で、クリアしているはずだと思う。話を聞かせてもらうということは、それだけ重いことであり、誠意を持ってお願いしなければならないこと。でも、そういうことを意識してきちんとお願いした上で話をきかせてもらい、それを丁寧に受け止めてアウトプットすれば、話してくれた人にとっても、少なからぬ意味を持つものになる可能性があるはずだ、と。

だから、難しいのは当然のことであり、そう認識した上で、しっかりと気持ちを伝えて話を聞かせてもらう。そして「取材」という行為が持つ限界を知った上で、そしてその制約の中で、むしろその制約をリアリティと緊張感を生み出すための大切な要素として書いていくことが出来る人が、本当の意味でのプロのノンフィクションの書き手なんだろうなと思う。

だが、自分にはそれがまだ十分に出来ていないことを、東北に行ってみて強く感じてしまった。これから経験を積むことで解消されていくのか。それともこれはもって生まれた性格の問題なのだろうか。

自分には、書き手としての大切な何かが欠けているなと思う。それが本当に今後、致命的な欠点になるのか、それとも、より自分に適した方法を見出すための道しるべになるのか。それは分からない。

ただ自分は、取材者という立場よりも、直接コミットする立場でいる方が向いている、と思うときが少なくない。でも同時に書き手でもありたい。自分の心の欲するところによく耳を傾けることで、今後の自分らしいやり方が見えてくるかもしれない、という気がしている。

中途半端で未完成だけれど、とりあえず、現場で考えたことをアップしておく。


Posted by ykon at May 10, 2011 11:00 PM | トラックバック
コメント

私と逆だ。友人と話していても、道端の物売りと話していても、どんな時でも「ネタ探し」「取材」をしてしまっている自分に気づきます。一生抜け出せない職業病だとあきらめています。

Posted by: ruruchan at May 11, 2011 9:52 AM

真面目やね~~

Posted by: なななな at May 11, 2011 11:23 AM

私も泥掻きボランティアに参加しようと思ってましたが、仕事の都合でなかなか参加できていません。
人手不足と聞くので手伝いに行くべきだと思っているのですが、きっと写真を撮るであろう自分に躊躇しているのもあります。いろいろ突き詰めると難しいですよね。
記事を発表される時には教えて下さいね。

Posted by: こかる at May 11, 2011 8:51 PM

>ruruchan

ご無沙汰してます!
自分も確かにそういうところはあります。取材することの重要性も一方でとても感じているので、やはり向き不向きがあるのかな、と思ったりします。どういう方向に行くにしても、自分はいまのままではだめだな、と感じてます。


>なななな

学校、ちゃんと行ってるか?風邪引くなよー。


>こかるさん

避難所で被災者の方の写真を撮ったら、喜んでもらえました。プリントしてこれから送るところ。写真はそういう意味で、とても重要な役割をもってると感じたよ。

取材をして話を聞かせてもらうというのもきっと同じように、やり方次第で役に立てることなんだろうと感じたのだけれど、いざ現場に行くと、いろんなことを考えてしまうよね。

何かを書く予定はいまのところないのだけれど、もし書いたら是非。


Posted by: ゆうき at May 12, 2011 9:49 AM

今日の講演、すごくおもしろくて
興味深く聞かせていただきました。

テスト中は4日間連続で
3時就寝だったので…
正直講演中に寝る気満々だったのですが(すみません)
一睡もできませんでした(笑)

本当にありがとうございました!^^

Posted by: 岡崎高校生 at May 19, 2011 6:38 PM

講演とても楽しかったです。
毎回テスト後の講演は睡眠タイムなのですが…笑
フルで起きたのは初めてです!
周りでもすごく好評でした。

高校3年生という進路にちょうど迷う時期、
メディアの社会に憧れている私にとって、今回のお話はとても新鮮でした。
諦めようかと思っていましたが、考え方が変わりました。

ありがとうございました。

PS.すごくどうでもいいことなんですが近藤さんが私の父にそっくりでびっくりしました(笑)

Posted by: 岡崎 生徒 at May 19, 2011 7:51 PM

>岡崎高校生さん

こちらこそ、今日はどうもありがとうございました!さすが岡高生、ハードな勉強っぷりですね~。ぼくも試験明けとは聞いていたので、なんとかみなさんの興味ありそうな話題を、と思って臨んだので、そういってもらえてうれしいです。今日はゆっくり休んでくださいね~。


>岡崎 生徒さん

うれしい感想を感謝です!
高校生時代に明確に自分の進路を決めることはとても難しいと思うし、基本的なことをしっかり学んでおけば方向転換はいくらでもできるので、いまは思い切って自分のやりたいと思う方向に向かっていくといいと思います。きっとそのうちに少しずつ道が開けていくはずです。ぼくもまだまだ全然道半ばなので、お互いにがんばりましょう~。

Posted by: ゆうき at May 19, 2011 9:50 PM

そういうマッチだからこそ、人は心の壁を取り払って話をしてくれるんじゃないかなと思う。そして、まっすぐで人の心を打つ文章がかけるんやと思う。

マッチのような誠実な気持ちを忘れてはいけないなと思いました。ありがとう。

Posted by: 敦子 at June 8, 2011 10:00 AM

>敦子ちゃん

励まされるコメントをありがとうー。そんな風にいってもらえてうれしいです。でも、そういう気持ちを持ちつつも、自分なりにちゃんとクリアしていないと、書き手としてはだめんだろうな、と思います。ほんと、毎日のように葛藤してます。。

Posted by: ゆうき at June 8, 2011 10:41 PM
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