いま、仙台にいます。1日からの東北での日々も明日で終わりです。
仙台、東松島、石巻、女川、南三陸町、気仙沼、陸前高田、山元町などを4日間かけて、車で回っていました。
(南三陸町・志津川。志津川小学校の避難所で一日ボランティアをして体育館に一緒に泊めてもらいました)
毎日、ただただ、言葉にならない風景の前で圧倒されていただけでした。
でも、実際に自分でその光景の前に立ってみたことで、漠然と慄いていただけだった日々から、少し前進できたような気がします。短い滞在だったけれど、現地の空気感や距離感、広がり、ニオイ、音、人びととのやりとりなどが、自分の身体の中にずっしりと沈み込み、それらのすべてが、自分の気持ちを包み込んでいたもやもやした何かを、多少取り払ってくれました。
ここ1ヵ月半ほどでだいぶ津波の生々しい跡も姿を変えてきたようですが、それでも、いまなお、凄まじい量の人びとの生活の跡が、広大な敷地に投げ出されたままになっていました。
この体育館履きをはいていたのはどんな中学生なのだろう。
お尻拭き。赤ちゃんは何ヶ月だったんだろう。
土の上に投げ出されたこのエロビデオを見ていたのは、高校生だろうか。
鉄筋コンクリートにひっかかったカラフルなスカーフは、どんな女性が巻いていたんだろう。
ゴーンさんの経営術の本は、サラリーマンが読んでいたのだろうか、それとも学生だろうか。
この車はいつ買ったんだろう。
横転した電車は、どのくらい混んでいたんだろう。
倒れた冷蔵庫の中には、まだ手のつけていない漬物の袋がそのままに。
(気仙沼の港。大きな船がいたるところに。物凄い光景がそのまま)
全く無秩序に引き裂かれたものが散らばる津波の跡には、たくさんの人がそこで暮らしていた生々しい様子を思い浮かばせるものでいまも溢れていました。
よく考えると、個人的な生活の一端を示すものがこんなに無数に散らばってる光景って普段はほとんどありません。すごいたくさんの人がここにいたんだなって、だから、逆に思わせてくれました。
しかし、それなのに、全く音がない。聞こえてくるのは、響き渡る鳥の鳴き声のみ。その声が、自然の厳しさと無慈悲さを強調しているようでした。
(石巻の魚市場付近。凄まじい数のカモメ。大きな鳥も。タンカーのような船の周りで天に響くような鳴き声をいっせいにあげながら旋回する。油と塩のニオイ。津波のニオイ。家畜のニオイにもどこか似ていた)
見てきたものをなんとか次につなげないと、といまはただそう思っています。
明日、京都に戻って、6日(金)、KBS京都ラジオ(午前11時ごろ~)で、見てきたことについて話させてもらう機会をいただきました。自分がこの震災について何を語れる立場でもないけれど、行ってみて、少しだけ自分なりの震災風景を持つことができたのは確かです。
さすが暇人!!(嘘)嘘嘘嘘
やっぱりやることが違うね
日本の未来は君にかかっている☆