(いまいるのがハルビン(Harbin)で、今日の夜の列車で、その南の大連(dalian)へ)
ハルビンももう4日目で、今日の夜の列車で大連に向います。ハルビンはロシアの影響を強く受けているためなかなかきれいな街だろうと想像していたのですが、来てみると完全によく見る中国の大都市。かなり雑然としています。ただ、ぼくの中ではハルビンといえば、昔習った伊藤博文暗殺の地のイメージがとても強いせいか、その雑然とした雰囲気になんとなくそれっぽさを感じるということもあるのですが。
(中央大街。軒並み100年近く前の西洋建築が並ぶ)
それでもロシアの影響は多大で、中央大街という通りには軒並み20世紀前半のロシア風の建築が並び、見ごたえがあります。そしてその通りの端までいくと、アムール川が。アムール川は大学院時代の研究テーマ(流氷)に関連があった上に、去年吉林で、そしてこないだロシアでも見たために、親しみを感じ、大地はつながってるなあ、ということを実感させてくれます。
(ハルビンを流れるアムール川(中国語では「松花江(ソンフアジャン)」)。でも、周囲の雰囲気はまさに中国らしい雑然ぶり。その周囲は「斯大林公園」すなわち「スターリン公園」という名前らしい)
そして昨日はハルビンの町外れにある731部隊の細菌実験基地跡を訪問。言わずとしれた731部隊、その行いを詳細に展示してあるこの跡地を歩きながら考えさせられることは多かったです。たった60~70年前に、このような生体解剖や人体実験が日本人の感覚としてある意味まかり通っていたということは、とても不思議な気がします。昨日の夜、「暗い日曜日」というナチス時代のハンガリーが舞台の映画のDVDを買って見たのですが(とてもよかったです)、その内容もあわせて、半世紀もすると世の中は全く変わってしまうものだな、ということを感じさせられました。もちろん、いまも世界のいろんなところで、信じられないような現実が繰り広げられているだろうことは心に留めておかなければなりませんが。
(細菌実験基地の敷地内。多くの建物は、終戦前に証拠隠滅のために日本軍によって爆破された。奥にあるのが本部の建物。これも終戦時に一部焼けたものの、後に修復)
(本部の建物。この中に展示がある)
さて、中国に入ってからはもちろん毎日中華料理。この辺は、これまで行った中国のどこにも増して一皿一皿の量が多い気がして、いつも食べきれず。昨日行ったメシ屋は、餃子はメニューに「100個18元(=300円弱)」と書いてあってびっくり。最低30個(90円ほど!)から......。
(その店で出てきた前菜的位置づけの冷たい料理。薄切りの豆腐や春雨などの和え物。小さめだと言っていたはずなのにこれ。10人前ぐらいありそう。8元(120円))
あ、ちょっとロシアの話に戻りますが、「イクラ」ってロシア語らしいことに衝撃。「日本でもこれは『イクラ』って呼ばれてて多分みな日本語だと思ってる」ってロシア人に話したらびっくりされました。実は日本語なのかもしれませんが......。
(これはハバロフスクのマーケットのイクラ。ここの値段は1キロで800~1400ルーブル(4000~7000円ほど)。日本に比べて、安い?高い?)
今日、夜の列車でハルビンを離れ、大連(ダーリエン)へ。9時間の旅。ロシアのことを考えるととても短く感じます。しかし何気に移動費がかかってしまってます。もっと節約しないと......。
そうですよ!イクラはロシア語です。ただ魚の卵を総称してイクラと言うんだそうです。だから数の子もタラコも全部イクラです☆ってテレビで言ってましたw
北京へはいつおいでに?w
こんさんに借りた「もの食う人々」を読んで、「囚人狂時代」を読んで思ったんですけど、やっぱり人間ていうのはその奇異な環境に置かれた時、何でもやってしまう、何でも出来てしまう生き物なんだと思います。辺見庸が最後に、世界で起こるさまざまな酷い事実は民族の違いではなく日本人でも一歩間違えればやってしまう事だと思う、というようなことを書いていたのが何かとてもしっくりきてしまいました。人の欲求の一つに認めてもらいたい、存在を否定されたくないというのがあります。でもその大元の拠り所の価値観があらぬ方向に行ったとき、やってしまうんだと思います。やってしまったことにも気づけないまま、。だからこそ自分の物差しではかって修正していかないといけないと思うのですが、その道は常に不安定で情報の質と自信の容量次第で誇りにも孤独にもなるものだと思います。悪い思いがそうであるようにいい思いも伝染します。
酔いに任せて予想以上に書いちゃいました、昨日深夜にDAYSを読んだのが大きいです。
そうです、キャビアもロシアじゃイクラって呼ぶんですよ。どうです?ハルピンは?僕も一日滞在しましたが空港では米ドルのキャッシュしか両替できず、しかも国際キャッシュカードなどが使えるATMもゼロで大変な経験をしましたよ、5年前ですが・・・。
Posted by: せつま at September 26, 2007 3:03 AM>ヤンピンさん
確かに、魚の卵類全部がイクラって感じでした!
北京での新生活はどうですか(無事に空港から大学までたどり着いたんだねー)?楽しくやってることと思います。ぼくら、明日は承徳という比較的北京のそばにいるんだけど、北京はいかなそうかも……。申し訳ないです!
>toshioくん
確かに人間は、環境によっていかようにも染まるし、結構なんでもできてしまうっていう気もします。50年後も全くどうなってるか、分からないよね。また、逆にどんな厳しい環境でも人間は優しさを忘れないっていうのを書いているのがアウシュビッツでの体験を書いたユダヤ人医師の名作「夜と霧」。これもかなり印象に残っている素晴らしい作品です。残りの会社ライフ、充実することを願ってるよ!
>せつまさん
ハルビンも大連もどこも、みな同じに見えて仕方ないです……。そして疲れます。。。というわけでこれからは小さな町を経由してウルムチあたりまで行こうと思います。5年前だと、結構カードの状況なども大変そうだね。