堀江敏幸『郊外へ』を読む。郊外、小説、写真、アジェ、ドワノーといったphotographe humanisteやらグラフティ=落書き、推理小説、等々。今橋映子『〈パリ写真〉の世紀』は感動的だった。建築で言えば、コンクリートの高層集合住宅と取り残された戸建て住宅の対比。行政主導による大規模再開発という大きな匿名性と、そこに取り残された、あるいは息づく市井の人々という小さな匿名性の対比。あるいは彼らが残すささやかな署名、あるいはその痕跡。心ある人ならば、無論、後者に愛着をもつものではないだろうか。ぼくも大阪郊外のニュータウン生まれ、ベッドタウン育ちのタウン小僧で、東京郊外の団地に行くと心が落ち着く。郊外の空は広い。その光はやさしい。そこでの現実は難しい。でも今気になっているのは、ここでは郊外についてではなく、また『郊外へ』についてでもない。
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ぼくは18世紀の新古典主義をとりあえずのテーマにしている。ごく大雑把に言って、近世以前のフランス建築の対象はふたつあり、ゴシック建築と古典主義建築だ。フランスに着いてようやく気づいたのは(気づいてみれば当たり前なのだが)、教会が主な対象となるゴシック建築に比べて、古典主義建築へのアクセスが非常に難しいということである。というのも、17,18世紀の代表的な宮殿、邸宅は多く行政機関が入っているためである。年に二日の「文化財の日」だけで、それらをすべてまわるのは難しい。大きな壁がある。また研究も建物と対峙するというよりも、史料探しが中心となる。18世紀の建物はすでに存在しないことがおおくて、建物に繁く通い細部に目を凝らし、という機会はほとんどないと言っていい。もちろん近代以降ならば、パリの町を1,2時間でもぶらり歩けば枚挙にいとまなく建物に巡りあうことができる。つまりはパリの真ん中と対峙したかったけれど、試合前から勝負が決まっていたようなものだ。外国人が手を出すようなテーマではなかったかもしれない。
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建築において周縁的なものの顕揚は比較的早かったように思う。ヴァナキュラーな建築、建築家なしの建築、民家、集落、等々。それらはモダニズム建築、近代的な計画主義、メガロマニアックな未来主義に対する、ごくまっとうな応答であったに違いない。市井の、また工学部でのウケも良い。だが一方で、建築史はここ最近、大きなものと正面から対峙してきただろうかという疑問も残る。たとえば、近代以降の建築家のモノグラフ研究は日本に少ない。藤森照信の『丹下健三』は対象の巨大さに見合うだけの仰ぎ見るべき大きな仕事だが、日本で建築家のモノグラフィックな研究といえば、展覧会や作品集としてまとめられるだけである。むしろアメリカ人の手になるものがあったりする。弱いものの側につくのは倫理的でもあろう。が一方で、その大きさと真剣に向きあうことなしには、巨大さを批判するすべをもたないことにもなる。建築家に職人を対置し、巨大さの影に隠れるものを拾い上げるのか、コールハース的な肯定の身振りによって逆説的な批評性をうかびあがらせるのか。もちろん歴史家にとって応えはどちらかではなく、どちらもなのだから、大きさと小ささと、強さと弱さとのあいだで考えなくてはいけない。願わくば繊細さや、やさしさや、さみしさの側につきたいとは思う。ただそういったやさしさの適わぬ相手もいる。こちらが目に留めるまでもなく、拾い上げるまでもなくそこに屹立し、あるいは存在を誇示しているものがいる。そういうやつを相手にするのはしんどい。しかしそういった中にこそある固い可能性も否定しきれないのも事実なのであり、つまりそこには力がある。その力を汲み取れないままでは、社会のなかでの建築のあり方がずれていくのではないかなという気がするし、建築とは何か、建築とはどういう営みなのか、建築とはどういう力なのかという素朴な問いに答える時に、その一面しか示せないのではないかな、という気がする。日なたの光はたしかにやさしいのだけれど。