明日から12月。
すなわち師走。
というわけで、何となくblogタイトル、また変えた。
おそらく今回でタイトル変えるの、3〜4回目ぐらいであろう。
我ながら
「コロコロコロコロ名前かえる、迷惑な奴っちゃ!」
って思うぐらいである。
余りにも節操が無さすぎる、&混乱を招くと思ったので、12月から名称固定にします。
正式名称:「BLOG STUCK & ..... 」
あとの付属部分は月ごとに変化する予定。
というわけでeditionもthird=3.0にしました。
頑張ってくだらん小ネタを考えるので、今後ともどうぞよろしく。
寒い... まさに冬。
暖かいものが飲みたい季節。
「じゃあ勝手に飲めよ」って感じなのだが、
基本的にあったかい缶のお茶は鉄臭くて飲めない...
何ていうか...鉄臭い。「無駄に苦い!!」という感じ。
飲めたもんじゃあ、ない。
そんな中たまたまこれを見っけた。
あがり。
宣伝でやってたんで買ってみたが、なかなかいける。
缶のデザインは置いといて、
「濃厚な味わいで、旨み・渋みのバランスが良く、キレのよい後味」
という宣伝文句は当たっているように思える。
まぁお茶は人それぞれの好き嫌いによるところが大きいが、
このお茶は個人的に「缶のお茶を見直す」製品になりそうだ。
少なくとも冬の間の楽しみが一つできたのは、チト嬉しい。
じゃそんなところで、また寒くなったんで二杯目を買ってこよぉ〜〜!
と思って、実際に二杯目を買ってきたが...
う、うぇぇ〜〜〜〜ぇ...
やっぱ、鉄臭い。
まぁ、一杯が限度かもね。
しました。
それはいいとして、それに至るまでの経緯。
まず初めにanother mitsuhiro's blogの「blogrolling2」の記事。
この記事を読んでとりあえずblogrolling.comへ。
「だれがblogrollしてくれてるのかなぁ」と思ってみていると、見慣れないblogが。
そこでとりあえずgoing my wayってblogへ。
そこでまたブラブラしていると、「Recent Trackbackを表示」の記事発見。その記事によるとsalvageshipが元ネタらしい。
というわけで、そこの「Trackbackされた時に対応して。」でソースを発見!!
まぁ何とか無事付け加えることができました。
「だからなんだ」と聞かれるとそれまでだが、久々の充実した連鎖でいろいろ学べて嬉しかった、というお話。
それにしてもRecent Trackbacks、記事にリンクを貼ればいいのか、それとも単にTrackbackしてきた人にリンクを貼ればいいのか、まだ分からない。そもそも TrackbackはMTというツールだけにおける特性であるので、まだまだ本領発揮するには時間がかかるように思える。
最近「日本語blog」が増えてきたそうであるが、どうやら聞くところによるとblogには二種類あるらしい。
「猫の写真blog」と「そうでないblog」の二種類。
「そうでないblog」はもう既に先達がやっているようなので止めることにし、改めて「猫の写真blog」を行うことにした。
今後は暇をみつけてどんどん可愛い猫の写真をupする予定。
乞う、ご期待!!
先日メルともが死んだ...
らしい。
「らしい」というのは実際に死んだかどうか、その現場を見ていないからである。だがメールの件名は「訃報」であった。その文面によるとどうやら死後、家族の人がケータイのアドレスを見て残っていた人に送信したらしい。
ハッキリいってそれ程仲は良くなかった。良くて三日に一回メールするくらいの仲である。しない特は一週間以上しなかった。だから別にメールが来なくても変には思わなかったのだが...まさかこんな結末になるとは思いもしなかった。
まぁメルともも人間だからいつかは死ぬだろう。だが実感が全くといっていいほど伴わない。今後一生使うことない不要なメモリーが一つ増えただけである。悲しさのかけらもない。というか、そもそも何を話したのか覚えていない。あまりにも何の感情がわかないので、何となくすまないような気がしてきた。仮にも今までケータイの一部分を占めていた「人間」である。「もう少しこの感情、なんとかならんのか」と考えてもみた。
とはいえ、一向に埒が明かなかったのでメモリーを消すことにした。残していても一生使うことはないだろう。
「登録名」 → 「アドレス」
にケータイでの表示が変わったとき、何となく「死」を実感し、とりあえずその冥福を祈った。
2chにMT用のスレッドができたみたいです。
その他にも
ができたみたいです。
どうやら上が「使ってみよう!」という一般ユーザ向け、
下が「作ってみよう!」という技術者向け、
みたいです。
興味のある方はどうぞ。
観ました、Harry Potter and the Chamber of Secrets。第一の感想としては...長かったです。「三時間もの間、Harry君お疲れ!」ってな感じです。相変わらずメガネかけてます。アレは近視なんでしょうか。そいえば三作目どころか、四作目が作られるそうです。ということはこれから成長するに従って、メガネが分厚くなっていって最終的には「牛乳ビンの底」みたいになるのかもしれません。
それはそうと、やっぱりシリーズものの二作目は一作目に比べてどうも見劣りしてしまう。やはり前の続きと思って観てしまうからかもしれない。まぁ映画自体がリスキーなビジネスだから仕方がないといえば仕方がないのだが。
実際に今日のトレーラーを見ていてシリーズ物が目に付く。
Charlie's Angels: Full Throttle
The Matrix Reloaded
The Matrix Revolutions
The Lord of the Rings: The Two Towers
ほうら、もう四つも集まった。
しかしこれだけシリーズ化が当たり前になってるのに、何故この作品だけはシリーズ化されないのだろうか。
そう、「ET」。
もし「ET2]を作れば、素人目に見ても「絶対に当たる」と確信ができるだろう。
ここまでいくと、「ET2」が作られないのは世界の七不思議のひとつといっても過言ではなかろう。
さしずめ結論としては「なんだかんだいってもSteven Spielbergが偉大」ということなのかもしれないが。
MTインストール方法の日本語解説、「howtoblog」。
作者はMAKKENNさんです。
あまりにもすばらしいのでリンク貼りました。
場所はちょっと分かりにくいですが、右の下の方の「POWERED&HOWTO」の欄の「HOWTOBLOG」です。
興味のある方、良かったら試してみて下さい。
というわけで、「TRACKBACK first」で習ったことを実際に試してみましょう。
このようにTrackBack機能を使えば、読者にとって他のどういったblogで同内容の議論が行われているかを追跡するのが非常に簡単になります。
なおリンクも貼ってけばより親切と言えるでしょう。
TRACKBACK firstはこちら。
ご存知の通りBlogは基本的に記事ベースであり、その記事に従ってコメント、議論が展開されていきます。
ただ実際問題として、とり上げる記事内容は似通ったものになることが起こりえます。
そのような場合、blogのautorはTrackBackで読者を誘導してあげるのが良心的であるといえます。
実際今回の騒動でも、
「コメント内容が一つにまとまってくれればいいのに。」
と感じた方は非常に沢山おられると思います。
TrackBack機能はコメントを一つに集約することはできませんが、同内容で議論が行われているblogに読者を導くことができるのです。
この機能を用いることにより今後、より開けた議論を展開していくことができれば、と思います。
いつの間にか、終わっちゃいました。
今年のしし座流星群。
【2002年11月20日 国立天文台・天文ニュース(600)】
昨年のしし座流星群は、11月19日未明に日本上空で大出現となり、多くの人々が夜空を彩る天文ショーに酔いしれました。
今年は、天文ニュース(586)でもお伝えしたとおり、ダスト・トレイル法にもとづく出現予想のピーク時刻には、日本から観測できないこと、また、満月が一晩中夜空を明るく照らし観測条件がよくないことなどから、日本では、昨年のような期待を持って夜空を眺める人は少なかったようです。
ダスト・トレイル法による予想では、出現のピークが日本時間で19日13時頃および19時半頃と2回あり、前者は西ヨーロッパ・西アフリカで、後者は北米で観測条件がよいとされていました。実際、日本時間13時すぎにスペインで1時間あたりに換算して1000個以上、日本時間19時半すぎにアメリカ・アリゾナ州で1時間あたりに換算して700個以上の流星が観測されたという速報が入っています。昨年にひきつづき、今年もダスト・トレイル法による事前の予報とほぼ一致する時刻に流星群の出現があったということができます。
NASA国際航空機観測ミッション(Leonid MAC 2002)によると、ヨーロッパ上空では流星痕を残すような明るい火球の出現が多く観測された模様です。
日本では、19日未明(3-4時頃)に1時間あたりに換算して50個程度のしし座流星群の流星が観測されていますが、北米で出現ピークを迎えた後の19日深夜から20日未明は、数個程度の流星が観測されたのみとなりました。流星群電波観測プロジェクトの結果からも、日本での出現のピークは19日の早朝であったことがうかがえます。
今年のしし座流星群の出現についてのさらに詳しい結果は、今後各方面に寄せられる観測結果や数値により明らかになることでしょう。
というわけで、コメント削除機能や時間変更について考えてみよう。
ちなみに今回の騒動とは関係ない内容になってしまった。
(1)コメントの削除機能
ハッキリいってこれはどっちでもいいのではないか。まぁblogの基本スタンスとしては、コメントをしあってそこから面白いものを生み出していく、というものであるので、やたらめったらに削除しまくるのはどうかとは思うが。まぁ中には誰のコメントも欲しくないと考える人もいるだろう。単なる煽りととられる発言を削除しなければならないときもあるかもしれない。とはいえMTのコメント機能はIPを自動的に記録するように設定されており、例え匿名であろうとも本人の特定は可能である。しかも特定のIPの侵入を禁止することも可能らしい。もしMTというツールが広まれば煽りや不適切なコメントというものが減り、必然的にコメントを削除する必要性が無くなっていくのではなかろうか。更にいえば、MTのauthorは他人のコメント内容を編集=書き換え可能である。それも非常に容易に。こうなってくると話は違ってくるのではないか。少なくとも「良識」を問われるのはコメント側じゃなくてauthor側になるだろう。
(2)時間変更機能
今回の草創期発言では年代の変更したのが問題になったらしい。なお初めにいっておくが、MTでは年だけでなく日付、時間も変更可能であり、私自身もよく時間変更は行っている。ではその利点は何か。
それは自分がポストしたい時間にポストできることであろう。簡単なようであるが、現実問題としてこれが一番難しい。自分では「今この話題をポストしよう」と思っても現実的に行うことは不可能である。また「今日中の内にポストしよう」と思っていてもいつものまにか12時をまわって翌日になっていることも良くある。MTでは時間を変更しauthor自身の時間軸にあった形でpublishすることが出来る。例えそれが過去であろうと、また未来であろうと。なお何も時間変更するために、上にあげた理由にとらわれる必要はない。authorがポストしたい時間にポストすればいい、単にそれだけの話である。
それにしても、いつ「前言は取り消せない」などというルールが出来たのであろうか。少なくともこのルールには「紙」という書き換え不可能に近いメディアが大きく影響している。じゃあwebはどうだ。いつでも更新可能、好きなときにupできる。
過去に放った言説に縛られて時宜に合った正しい選択ができなくなるような羽目に陥る事態から脱却して、言説の海を自在に渡っていくことでより時代にマッチした言論活動が行えるのかもしれない。
さすがにここまでは言えないが、個人的には「そういうこともできれば」とは思う。まぁ本人は皮肉で書いたのかもしれないが、現時点で既存の時間軸をぶっ壊して言論活動できるメディアっていうのはwebしか考えられないのだから。
とまぁグダグダ語ってきたが、最終的には「面白きゃあ、それでいい」のだろう。
その点ではオレのblogはまだまだやね。スマソ。
いやぁ、出てきた出てきた、このCD。かなり懐かしい...ほぉ! 相変わらずの長い名前だな「The Bloodhound Gang」って。それにしても...めちゃめちゃうれしい!! 長い間探してんだよねぇ。というわけで早速かけてみた。相も変わらず下品やのう。ハッキリいってめちゃくちゃやんけ。っていうか感心してしまうで。よく考えつくなぁ〜、こんな歌詞。
You and me baby aint nothing but mammals
So lets do it like they do on the Discovery Channnel
それにしても、オマエらのおかげで初めて「音楽で笑える」ということを知ったわ。人を笑わすために音楽やろうなんて考えるやつ、今までおらんかったんとちゃう??しかも今までホンとに笑えたのはオマエらだけやったからなぁ。
懐かしさついでに、「One Fierce Beer Coaster 」を引っ張り出してきてかけてみよぉ〜っと。
Burn mother ×××××× burn.
テンションめちゃめちゃ低く歌うなぁ〜〜。そいえばこの作品、もう5年前以上に出されたんやねぇ。確かそのころ、オマエらの英語が全然分からんのに輸入版買ってしまってがんばって辞書引きながら勉強したの覚えてんで。
Whys everybody always picking on me?
ぷぷっ。。も、最高!!! しかし良くもまぁ律儀に載せるもんやねぇ、この歌詞全部。まぁ英語がヘタレな人には親切でええねんけどね、オレみたいに。
そういやぁJimmy Popさん、新作は結局どーなったん??最近全く聞かへんぞぉ!去年の6月ごろ制作中って言ってたのに。今年中に出すって言っても、もう終わっちゃうで。あと1.5ヶ月で。
チョッと残念やけど...まぁ関係ないよなぁ。新作、出そうが出さまいがオマエらが最高にクールってことには。
先日、「話題にしたい内容以外はコメントしづらい」とのコメントを頂きコメント専用のエントリーを一つ作成することにした。記事に関係ない内容でコメントしたい方はこちらにお願いしたい。なお、システム上このエントリーは時期が経てば流れてしまが、右のカテゴリー「for comments」の欄の「comments for ANYTHING!!」からいける筈である。もし流れてしまった場合はお手数ではあるがそちらからお願いしたい。ちなみに今回を機会にコメントの日時を降順とした。
暇なのでついつい観てしまった、XXX。少なくともこの映画、別に「観よう、観よう」と前から思っていたわけではなかった。けど観てしまった。まぁたまにこういうことはある。そしてこういった場合、結構満足して帰ることが多い。実際、CGとはいえ5分間くらいのスノボーのシーンには少し驚いた。
とまぁそれはいいとして、一つ気になったことがある。何故か劇中に「VAIO」がでてきた。それも敵方ゲリラのPCとして。しかも新品同然なのか、やたらとツルツルしている。ハッキリ言って腑に落ちない。まぁ製作会社がSPEなのだからしょうがないのだろう。それにゲリラといっても訳の分からんミサイルを作るくらい金持ちだから、ついついsonyブランドを頼ってVAIOを買ってしまうのかもしれない。とはいっても、PCを買った初日にいきなりぶっ壊れてカスタマーサポートセンターと格闘している、というのも想像できない。少なくともVAIOではなんというか、ゲリラとしての苦労が伝わってこない。ではどのPCがゲリラには適当か。個人的にはIBM。それも4,5年前のやたらとゴツイ、一見宝石箱みたいなやつ。これならいかにも「悪いこと」にPCを使ってそうな感じが出てて迫力満点、Vin Dieselに負けて「無念なり」といえよう。
まぁそれにしても、たった一つの小道具によって印象がガラリと変わってしまうというのも恐ろしいものである。
そういえばこの作品、シリーズ化されるみたいである。残念ながらタイトルは上のようにはならないらしい。次回作ではさしずめ、「Cyber-shot」に「PlayStation」といったところか。
今回の騒動も峠を越したことを祈ろう。
一連の騒動が収束に向かいつつある今、自分のためのblog覚書。
初めに・・・今回の一連の騒動について私はblog側の人間である。従って私の言説は信用できないという人も多々いるであろう。とはいえ、meshのblog側の人間がどう考えているかはいずれ述べなければならなかったであろう。また一連の騒動を通して、自分自身に対してblogがいかなる意味を持つかを明確にする必要もある。何れにせよここに事の顛末を私なりに述べてみたいと思う。
なおこの記事は一度upした。その後読み直して、かなり不適切な表現があるのに気づき大幅改定した。とはいえ一、二時間upしていたこともあり、問題を含む内容であるので改訂版は別にupすることにした。一応こちらが正規の意見であると思っていただければ幸いである。
(1)blogそのものの認識・・・blogとはMTやそれに類するツール、またはページのことを指すと私は考える。そこに書かれている内容は問わない。従って「web日記」とどう違うか、と聞かれても困る。blogで日記を書けば「web日記」になる。ただそれだけの話である。
(2)meshにおけるblogの認識・・・少なくともそんなものはない、と認識している。おそらく皆思い思いやっているはずである。そもそも共通認識などあれば誰もわざわざ立ち上げて「実験」したりしないであろう。
(3)研究対象として〜・・・おそらくこのページが誤解のもとになったのではないか。一見皆集って何かやっているように見えるが、それは誤りである。これは利便性のために作成された。ただお互いのblog活性化のためコメント投げかけなどは行っている。とはいえ(2)で述べたとおり、blogそのものに関する定まった共通認識はない。従って研究など出来るはずがない。何度も言うが、これは「実験」である。まあ私は「楽しみ」のために書いているだけだが。
(4)コンテンツ感覚・・・先述の通りコンテンツは問わない。ちなみに私自身は「日記」を書いているという感覚はない。他人が見て「どう見てもお前の「blog」とやらは日記だろう」と言う気持ちは分かる。ただ個人の感覚として「日記」を書いているということはない(実際にその日に起こったことはめったに書かない)。じゃあ、「ジャーナル」かといわれればそうでもない。よく分からない、そのための実験である。
(5)コンテンツ内容・・・私自身別に新しいことはやっていない。「旧来の〜」スタイルである。はっきり言って私では「新しい何か」をするのは時期尚早、かつ力不足である。
(6)他のweb日記ツール・・・tDiaryやhnsといったツールは初耳であった。はっきり言って、見識足らずであった。もしこのことに関して私が責められることがあったら、申し開きは全く立たない。ちなみに他のメンバーに関しては私個人的には不明である。
(7)コミュニティ・・・現段階では、どのようなコミュニティが形成されるかは不明である。ただし広がる可能性はあるのではないか。ただそれも発信者個人の力量に寄るだろう。また個人ではなく会社などの団体がblogを持つ場合は、異なった展開になる可能性も考えられる。
(8)「草創期」発言・・・これが今回の騒動のもとである。もとは『「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)』。文章を読んでも分かるとおり、これはmeshの見解ではない。またmyojin君も「meshが日本におけるblog草創期を築く」などと一言も言っていない。好意的な解釈ではあると思うが、単にこの文章は本人のサイト運営に対する心意気である(と思う)。
(9)利権及び権威・・・恐らく今回の騒動を大きくした要因の一つではないか。そもそもこのようなネットにおける騒動に事の発端を見つけるのはかなり難しい。とはいえ静岡大学の赤尾晃一氏の発言などを見ると、どうやらmyojin君の発言は曲解された模様である。個人的に日記サイトは見ないのだが、数多くあるのは知っていた。そんな沢山あるもの、常識で考えてみても利権や権威で縛れるわけないと思うのだが、どうであろうか。
(10)はしゃぐ・・・これは少し開き直りであるが、初めてサイト持った人間が「はしゃぐ」のは当たり前ではなかろうか。私も三週間前は思いっきりはしゃいだ。とはいえ、自分がはしゃいだせいで他人に迷惑をかけたらこれは別問題である。それに関してはここで謝罪したい。
(11)「草創期は既に終わっているのではないか」・・・個人的にはどちらでもよい。もし「草創期」といってバカだ、間抜けだ、という議論をしたいというのであれば、少なくとも私は愚かであった。何故なら私もblogといってはしゃいだ人間の一人だからである。とはいえ、できることなら現実を見つめなおしてみたい。少なくとも今回の騒動が収束した現在は、いずれにせよ「草創期」ではないはず。では今後、blogはどうなるのか。またweb日記にblog的要素は入っていくのか。これらのことを考えていかねばなるまい。
最後に・・・blog以前、個人的には日記サイトは読まなかった。で、blogというものに触れて初めてpublishするようになった。だが相変わらず人のページは読まない。pubulish一辺倒であった。その辺りに私個人の問題はあるようだ(他人は知らない)。つまり聞き手不在である。とはいえ聞き手にばかり重心を置くと書き手不在になる。そして最終的にblogは誰のものか、誰のために書いているのか、という問題に行き着く。私にはまだこの答は出ていない。web日記を執筆している人は誰の為に書いているのであろうか。知りたい限りである。「〜その弐〜」ではコメント削除や時間変更といったツールの特性を踏まえた上で今回の騒動を捉えなおしてみたい。
今回の騒動も峠を越したのかもしれない。
一連の騒動が収束に向かいつつある今、自分のためのblog覚書。
(1)blogそのものの認識・・・blogとはMTやそれに類するツール、またはページ。そこに書かれている内容は問わない。従って「web日記」とどう違うか、と聞かれても困る。blogで日記を書けば「web日記」になる。ただそれだけ。
(2)meshにおけるblogの認識・・・そんなものはない。おそらく皆思い思いやっているはず。そもそも共通認識などあれば誰もわざわざ立ち上げて「実験」したりしないであろう。
(3)研究対象として〜・・・おそらくこのページが誤解のもと。皆集って何かやっているように見えるが、それは誤りである。これは利便性のため。ただお互いのblog活性化のためコメント投げかけなどは行っているが。とはいえ(2)で述べたとおり、blogそのものに関する定まった共通認識はない。従って研究など出来るはずがない。何度も言うが、これは「実験」である。まぁ私は「楽しみ」のために書いているだけだが。
(4)コンテンツ感覚・・・先述の通りコンテンツは問わない。ちなみに私自身は「日記」を書いているという感覚はない。まぁ他人が見て「どう見てもお前の「blog」とやらは日記だろう」と言う気持ちは分かる。ただ個人の感覚として「日記」を書いているということはない(実際にその日に起こったことはめったに書かない)。じゃあ、「ジャーナル」かといわれればそうでもない。よく分からない、そのための実験。
(5)コンテンツ内容・・・私自身別に新しいことはやっていない。「旧来の〜」スタイルである。はっきり言って私では「新しい何か」をするのは時期尚早、かつ力不足である。個人的には誰か力量のある人間がblogツールを使って「小説」などを発表して欲しいものである。なんせ写真や動画をup出来るだけではなく、日付時間も変更できるのである。
(6)他のweb日記ツール・・・tDiaryやhnsといったツールは初耳でした。これは私自身に関して言えば見識足らず。もしこのことに関して私が責められることがあったら、申し訳ないです。ちなみに他のメンバーに関しては不明。
(7)コミュニティ・・・現段階では不明。広がる可能性はあり。ただそれも発信者個人の力量に寄るだろう。また個人ではなく会社などの団体がblogを持つ場合は、異なった展開になる可能性も考えられる。
(8)「草創期」発言・・・これが今回の騒動のもと。もとは『「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)』。文章を読んでも分かるとおり、これはmeshの見解ではない。またmyojin君も「meshが日本におけるblog草創期を築く」などと一言も言っていない。単にこの文章は本人のサイト運営に対する心意気である(と思う)。
(9)利権とか権威とかその他もろもろ・・・恐らく騒動を大きくした要因。(8)の発言が曲解された模様(まぁ今となって隠蔽工作をしてるとかって突っ込まれそうだが...)。まぁ自分的に日記サイトは見ないのだが、数多くあるのは知っていた。そんな沢山あるもの、常識で考えてみても利権や権威で縛れるわけないだろうに。しかしこれだけ過剰に反応するってことは、ひょっとしたら日記サイトにはめちゃめちゃ「うまみ」があって、権威や利権を牛耳ってる「大物」が既に「甘い汁」を吸いまくってるのかもしれないねぇ。笑。
(10)はしゃぐ・・・初めてサイト持った人間が「はしゃぐ」のは当たり前。私も三週間前は思いっきりはしゃぎました。
(11)「草創期は既に終わって〜」・・・個人的にはどうでもいい。以前は知らないが、少なくとも今回の騒動が収束した現在はもう「草創期」ではないはず。で、じゃあこれから先はどうなるのか。
最後に・・・blog以前、個人的には日記サイトは読まなかった。で、blogが来てとりあえずpublishするようになった。だが相変わらず人のページは読まない。pubulish一辺倒であった。その辺りに私個人の問題はあるようだ(他人は知らない)。つまり聞き手不在である。とはいえ聞き手にばかり重心を置くと書き手不在になる。そして最終的にblogは誰のものか、誰のために書いているのか、という問題に行き着く。私にはまだこの答は出ていない。web日記を執筆している人は誰の為に書いているのであろうか。知りたい限りである。「〜その弐〜」ではツールの特性を踏まえた上で今回の騒動を捉えなおしてみたい。
先日東京現代美術館に。企画展のうち「Quobo」をみる。何というか、ようやくという感じである。何にせよ九月からやっていたのであるから。それにしても現代アートは普段触れることはないので、ハッキリいってよく分からない。まだまだ勉強不足である。
QUOBO: ベルリンのアート ― 壁崩壊から10年冷戦の時代、東西に分断された都市として独特の緊張感のもとにあったベルリンは、1989年の衝撃的な壁崩壊からドイツの新しい首都となるまでの10年間に、大きな変化を遂げました。この間、ベルリンのアートもまた、さまざまな新しい動きによって注目を集めてきました。
この時期に新たにベルリンを拠点に活動するようになった芸術家たちは多く、またすでに80年代からベルリンで活動していたアーティストも、現在の多彩な状況を考える上で見逃すことができません。
80年代終わりまで絵画中心だったベルリンを変えたのは、美術そのもののあり方を振り返って模索したフリッツ・バルトハウス、マリア・アイヒホルン、ウルリーケ・グロスアルト、エラン・シェルフら、当時の西ベルリンのアーティストたちでした。同じ頃、東ベルリンでも、ツウィン・ガブリエルら新しい世代が美術の世界に新風をもたらしていました。
壁の崩壊とともに、その場限りの一時的な展示を可能にする新たな創作の場が見出され、所有者が明らかでなくなった建物をアートが占拠する光景も見られました。こうして、建築、デザイン、映画、音楽、ファッション、クラブ・カルチャーなどさまざまな領域と結びついたベルリン特有のアート・シーンが生まれたのです。本展は1989-1999年のベルリンの美術を、14組のアーティストの、主にインスタレーション作品によって切り取る試みです。同時に、90年代のベルリンにおけるグループの活動やプロジェクトを紹介します。
ただ何となく自分の手伝ったNina Fischer / Maroan el Sani両氏の作品は何となく分かった気がした。短い間とはいえコミュニケーションをとったからかもしれない。そいえば彼らのテーマも「コミュニケーション」であった、「未来」との。
題名の通り、本日より新装開店。スタイルシート等も何とかちゃんと見れる形になったし、リンク等も自分用にカスタマイズしたし、用意は万全。気分を一新する為にblogタイトルも変えちゃいました。→というわけで旧blog名で登録の皆さん、暇なときにでも変更お願いします。ホンとお手数だけどねぇ。
まぁ何にせよ自分的には試験期間は終わりということで、そろそろ近隣+αの人に告知しようかどうか思案中。一部の人にはもう告げちゃいましたが。いずれにせよ今日から改めてよろしくです。
ちなみにタイトルは単なる語呂合わせ。あまり英語的には意味はないので気になさらず。
blogをすること、そろそろ三週間。
最近、インターネットにおける自分の生態系が大きく変わった事に気づく。まぁ文章を沢山書くようになった、とか日常生活の中にネタを探そうとする、など様々変化を実感する。しかし何といっても一番大きいのは、最もよく見るページが自分のblogと言うことではないだろうか。これほどまで自分のページを見るとは思ってもみなかった。人から来たコメントを読んだり、自分の文章を読み直す時間。更にはスタイルシート等、見た目を整える時間。これほどまで自分のページに時間をかけ、かつ厭きないというのは我ながらかなり不思議な感じがする。とはいっても、最も時間をかけるのは単純に白紙の部分を眺めている時間なのであるが...
というわけで以下、ある模範的blog生活。暇な方はどうぞ。
9:30 起床。と同時にPC立ち上げ。
9:33 やっとこ起動。 ピポパポというダイヤル音を聞く(ちなみにまだまだダイヤルアップである)。
9:35 何とかネットに繋がる。メール確認と共に、まずは自分のblogを。なおこのときコメントが来ていたら「すがすがしい朝」になる。
9:40 他のblogger達を一周する。ちなみにこの時はコメントを書かない。単純に「お、またアップされてる!」と驚くのが良い。
10:00 朝食。頭が寝ぼけていてあまりいいネタが浮かばない...
11:00 学校に到着。何となくメール、blogを確認。ちなみに大抵この時自分のblogに何か不自然さを感じる。
11:05 とりあえず不自然さ解消に努める。ただしこの時は出来るだけ文章推敲のみにとどめておく。スタイルシートに手を出すと昼飯が飛ぶ恐れがある。
12:00 昼飯。友人を一緒のときはblogの話。「あのblog見た?凄くない?」「マジで!まだ見てへんわ。」
13:00 自分の机に戻る。勉強の前にblogを。この時大抵気晴らし代わりにコメントを書く。
14:00 いつの間にか一時間経過...少し焦る。「やばい、今日も一日何もやってない!」
15:00 勉強するもトイレ休憩。
16:30 少しblogをいじりたくなる。でそのまま、スタイルシートへ。そのとき他のbloggerへの巡回も怠らない。
17:00 完全にスタイルシートを弄っている。見かけたら誰か止めてやってください。
18:00 何もしてないのに腹だけは一人前に空いてくる。「飯の前までblogをいじろう!」
18:30 晩飯。そういえば肝心の今日のblogをupしていないことに気づく。「ああ、もう一日が終わってしまった...」
19:30 少し勉強。余りの罪悪感に...
20:30 意外と早く開き直る。「今日はblog dayにしよう。」
21:00 未だにネタの無さに苦しんでいる...
21:30 ようやくup!
22:30 ここでまた他のbloggerへの巡回。ここで他がupしていないと何となく優越感に浸れる。「よし、今日は一番初めに宿題提出だっ!」
23:00 漸く帰宅。
23:30 風呂等を済ませ、またPC起動&ピポパポ...
23:35 自分のblogにコメント来ているかどうか確認。「おい、また今日も0やで...」
23:40 またまた他のbloggerの巡回に出かける。大抵この時は皆、宿題を提出完了。「お前、昨日宿題さぼったやろ!」
24:00 明日の朝コメントが来ていること期待してPCの電源を落とす。my blogよ、おやすみ。
昨日映画を見る。タイトルは確か「7days」。呪いのビデオを見てしまった親子が何とかその呪いを解こうと奮闘するストーリー。彼女らに残された時間はたった一週間。そう7日。だから確かこのタイトルだと思ったのだが...劇中では子どもがしきりと井戸の絵らしきものを描いているのが印象的だった。
それにしてもこの映画、アメリカ映画としては非常に特徴的である。そもそもbad guyが女、というのがひっかかる。大抵アメリカのホラーでは悪いのは男というイメージなのだが。実際、Darth Vaderしかり、Norman Batesしかり、Dr.Hannnibal Lectorしかりである。
しかしそれにも増して特徴的なのは、やたらと映画が怨念くさい。日本の横溝正史を彷彿とさせる印象を持つ。田舎の離島という風景や、古井戸で事件が起こるというのも然りである。まぁ何にせよ、この映画日本でリメイク権を買った方がよいと思うのだが。
本日「駄文。」というカテゴリーを作った。今まで書いたどうしようもない文章を捨てるのも勿体無いと思った、その挙句である。とはいえカテゴリーを作った同時に一気に気が楽になった。今後はたまに努めて「駄文」を書いていきたいと思う。ちなみに自分なりの「駄文」の定義はつまらない文章、かつ自己完結的な内容ということでblogというメディアには最も似つかわしくないであろう。まぁ書くのはいいが、少なくともpublishする必要はないのかもしれない。単に見苦しいだけなので即行やめろ、という意見も多々あるに違いない。
だがそこをあえてpublishしたい。何故なら「これは私のblogであり、私が最もよく見るページは私のblogだからである」。
昨日延滞料金を取られた。ビデオである。できるだけ期限内に返そうと思ったのであるが不可能だった。ついつい寒さに負け一日送りにしてしまった...
はっきり言って、延滞料金を取られるときほど嫌なものはない。一日返すのが遅くなってしまっただけで、一週間借りれるだけの値段を取られる。こんな不条理なことが他にあろうか??どれだけ不条理かここで計算してみよう。今回のケースだと7泊8日で350円、延滞料が1泊200円。一日返却遅れただけで約60%の利子。これではミナミの帝王もビックリだ。
それにしても、返しに行く以前から「延滞だ」と分かっているときは余計にその足取りが重い...まさに死刑囚の気分。10分後何が起こるかは既に分かっている。そういえば借りたのはThe Green mile だった。
昨日は飲み会だったので、本日ネタなし。というわけで個人ネタで済まそう。
何故か知らないが私には勘違いが多い。星座もその一つ。
私は山羊座である。だがついこの間までは射手座であった。そう勘違い。別に勘違いをしたくてしたのではない。単に小さいころ、親に「お前は射手座やで」と教えてもらっただけである。それをついこの間まで信じていた、というだけの話。オチもへったくれっもない。とはいえ「自分が山羊座である」と知ったとき、何となく一人で納得してしまった。今までの身に降りかかった災難の原因が分かった感じである。何ていうか自分の責任ではなく、親の教育が悪かったのである。とまぁ何でもかんでもすぐに人に責任を転嫁する性格、これは射手座のものか、山羊座のものか知りたい限りである。
しかと(する)・・・俗に、人を無視すること。
皆さんはこの言葉の語源をご存知だろうか。実は花札の十月絵柄である鹿がよそを向いてることにその語源があるのである。この事実を知ったとき「言いえて妙だ」と一人で納得してしまった。実際に花札の中では鹿は変な方向を向いている。言ってみれば、鹿がとんでもない方向を向いている。更にはこの札は十点である。このように考えていくと、いろいろと奥が深い。しかも「しかと」には「確かに」とか「心得た」という別の意味もある。これも「表面ではしかとといって裏ではしかとする」という典型的な日本人の行動を考えれば、より複雑なものとなってしまう。
しかし、この図柄を描いた絵師はたいした者だ。一度奈良の鹿公園に行ったことがあるが、まさにこの図の通りであった。普段は普通に前を向いて歩いているのだが、人間が近づいてエサをやろうとすると余所を向いてしまう、しかも首だけ動かして。これぞまさに「しかと」。
それにしても鹿にさえ「しかと」されると寂しいものだ。よろしければここの読者さまもしかとせず、コメントくださいな。
本日はゼミの日。大抵ゼミの日はネタがない。ゼミに出席して一日が終わってしまうからである。また他のblogger達と長く時間を共有しているせいもある。というわけで、この日は何かネタを探すのではなく、blogそのものに対する自分の変化を書こうと思う。いってみれば自己の考えの記録である。
今日のお題は「15分」。最近余りにもblogにかけている時間が多い。そこでblogを書く時間を15分に定めてみた。ただそれだけである。だがその効果は意外と大きい。はっきりいって、15分だと熟考している時間がない。そこで「とりあえず何か書く」という行動に出る。「つまらない」ことに「おもしろさ」を見つける。まずはこの「blog思考法」を身につけなくては。
閑話休題。
今日の昼には久々にラーメンを。何となく「天下一品」を食べたくなった。
「天下一品」、通称「天一(てんいち)」。京都発祥のフランチャイズ・ラーメン店である。京都人で知らない人はいないであろう。おそらく京都と聞いて、八ツ橋の次に連想される食べ物。フランチャイズ制だけであってその店舗は北は東北、南は九州と全国各地に及ぶが、やはり総本山は京都である。特にその味発祥の地である本店は私の母校からも近く、京都時代にはよく通ったものだ。
ここでその味についてのウンチクを語るのはやめよう。はっきりいって時間の無駄である。そんな駄文を読んでいる暇があったら、一足でも早く近所の店に駆け込むべきである。ただここで未だその味を味わったことのない人に一つだけ言っておきたい。天下一品はラーメンではない。一応ラーメンに分類されるだけの話である。先入観を省き、天一は「天一」であると思って食べよ。そうすれば自ずとその味が「天下一品」であることに気がつくであろう。
その通り。
もういつの間にか文化の日だ。
時間の乖離と共に自分自身も乖離していく。
この感覚もblogのなせる業なのか。
しかし、休日にblogをしてるのもどうかと思うが...
本日見た光景から。
電車の中ではよく以下のようなアナウンスがかかる。「車内での携帯電話での通話、およびメール等は他の乗客の迷惑となりますのでご遠慮下さい。」確かにその通りである。まぁ電車の中で平気で喋っている奴らにはネオ・トージョーのお出ましを願いたい。
ところが今日変なカップルに出会った。といっても見た、という程度である。そのカップル、なぜか男も女も平気でメールをしている。余りにも変だ、変だ、変だ、と思って見ていたら一つ奇妙なことに気が付いた。彼らは喋らないのである。
賢明な読者諸君はもう気づいていると思うが、そう、彼らは聾唖者だったのである。
我々一般的な健常者の場合、どれだけメールという機能を意識していようとも携帯電話は「電話」である。ところが現実には、数多く一度も会話のなされない機器が存在しているのである。
携帯電話のコミュニケーションに及ぼす影響に関して数多く報告されているが、聾唖者に関してはそれほどなされていないのでなかろうか。まぁしかし、人間は自分を含めて、よっぽど自己中心的に物事を考えるようにプログラムされているものだな。
最近少し遊びすぎでまともにblogを書いていなかったので少し反省。今日はちゃんと書こう。
今日は「凶気の桜」を観た。ここまでは連れ立って行ったM君が書いているので省略。私はこの後を書こう。(なんか交換日記みたいだな...)
まぁ詳しい内容は各人が勝手に観るとして、概要を。
とりあえず映画の中では窪塚君が殴る、殴る、殴る、日本をダメにしている人間を。
実際に本人も「日本(にっぽん)をダメにするなぁ!」と叫んでいる。「ひょっとして自分も殴られる側の人間かも...」とか思ってしまった。何もやましいところが無いのにいかん、いかん。
そういえばこんなシーンもあった。
窪塚君が車で彼女と夜帰るシーン。「なんでこの道いっつも工事してんだぁ!」アレックス・カーの「犬と鬼」に影響されてしまったせいか、無駄な工事の計画も窪塚君に殴って欲しかった。
まぁ殴る、殴らないは別問題にして、この映画「日本がダメになってる」というのを前提として作られている。そして観客の側も殴る、殴らないは別問題にして「日本がダメになってる」という前提を受け入れているような気がした(まあ自分も然りだが)。簡単に作り手と観客に共有されてしまうほど、やっぱりダメになってしまっているのかなぁ、日本は。