先週、ミシマ社京都・城陽オフィスにて、「寺子屋ミシマ社」をやらせていただきました。
前に書いた通り、タイトルは、
「『遊牧夫婦』シリーズ、次でほんまに完結するの?」
遊牧夫婦の最終巻をどうするかについての「公開編集会議」であり、参加者のみなさんに一緒にいろいろと考えていただきました。たくさんの方々に来ていただき、オフィスもいっぱいになるほどで、とても盛況な楽しいイベントになりました。(完結は、次でほんまにするのですが笑)
ご参加いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
いろんなご意見をいただき、楽しみにしていただいている声も直接伺うことができ、ぐっと気合いが入りました。これから春刊行に向けて、執筆ペースもぐっと上げようと思っています。
ところで、最近、紀行文についての講義をするに当たって、それなりにいろいろと読んできましたが、そのうちに、紀行文にとって一番のキモはその人が「なぜ旅に出たか」というところだろうと感じるようになりました。少なくとも自分はそこに一番興味があり、惹かれます。
何か切実な思いがあって旅にでた。
どうしても旅にで出なければならない何かがあった。
紀行文を読み、書き手のそんな思いを作品を通して知ったとき、その人の旅が自分にぐっと近づいてくるような気がします。その動機や思いが熱ければ熱いほど、作品に熱量がこもり、読み物としての力が強くなると感じます。そう考えると、本当の意味で切実な思いと行動を伴った熱い紀行文というのは、だれにとっても一生に1度しか書けないような気がします。
ぼくにとってあの5年半は、まさにそういう旅であり、『遊牧夫婦』はまさにそういう作品であると思っています。作品化するための旅ではなく、生き抜くための旅。まさに一生に一度に違いない旅でした。
だから、最終巻を書くということは、もう二度とやり直すことができない何かを終えてしまうというような怖さがあります。自分にとって一生に一度の旅を、納得のいく形で表現できるのか。悔いの残らないように、とにかく全力で書き上げ、仕上げたいです。
最終巻ができあがったとき、遊牧夫婦は3巻で一つの作品として完結します。それを書き終えたら、この旅が本当の意味で終わるような気がしています。2003年から、いまもずっと旅の中にいるような気持ちがありますが、本が出来上がることで、その気持ちが大きくひと段落するように想像しています。そう思うと寂しさもあり、いろいろと複雑な思いですが、でも、それによって先に進めるような気もしてます。
・・・と、熱く宣言をして、自分に気合いを入れます!
完成を楽しみにしていただき、叱咤激励をいただければうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします!