24日についに中央アジアを終えてイランに入りました!
(全身を包む黒い布「チャドル」を選ぶ素子。店の女性客たちがみなで着るのを手伝ってくれたり、自分のをちょっと広げて見せてくれたり、結構フランクなのが意外でした)
トルクメニスタンからイランへ国境を越えると、女性がみな真っ黒の衣装に身を包んだ世界。「なんとかスタン」の各国からぐっと雰囲気が変わり、いよいよ中東!と盛り上がってます。いまいるマシュハドは、エマーム・レザーというムスリム界の超ビッグネイムが死んだ(殺された)「殉教の地」で、シーア派(イランはシーア派が大半)の一大聖地になっています。そのため、各地から巡礼者が集まっていて、ここの雰囲気はマジで"ホンモノ"。って、これまでそんなにディープなムスリムの世界を見ていないのであまり大きなことは言えませんが、とにかくマシュハドに着くとすぐに、その色濃いムスリムの雰囲気に圧倒され、「おおー、これだよ、これ!」と興奮してしまいました。8年前インドに行ったとき、10年程前に初めて東南アジアに行ったときに覚えた、おお~別世界に来た!っていう感覚を久々に味わうことができました。女性は頭に布を巻くことが法律で決められていて、またマシュハドを見る限り、ほとんどの女性は黒い布で全身を覆っているため、素子も早速頭にかぶる黒の布と全身を覆う布「チャドル」と購入(町を歩くだけならチャドルまでは着なくてもいいのだけど、下の「エマーム・レザー廟」に入るためには必要そうだったので)
(マシュハド。宿のそばのバザール。入り口にホメイニ師)
(レストランであった家族。おじさんは日本で出稼ぎ労働していたとのこと。素子がその黒い布はどこでいくらぐらいで買えるのかと聞いてみると、種類とかを教えてくれたり)
同じくムスリムの国ではあったけれど、ロシアの影響を強く受けてきた中央アジアとは全く異なる、イスラムの圧倒的な迫力みたいなものをマシュハドで体感してます。そして今日、マシュハドの誇るホットな巡礼スポット「エマーム・レザー廟」の中に入ったのですが、その中の雰囲気は、身震いするほど濃いイスラム世界でした。聖地が抱える熱気が惜しみなくあふれ出るような熱い空気に、久々に鳥肌の立つような興奮を覚えました。その詳細はまた次回。
(いまいるのがマシュハド(Mashhad)。やっとこみいった中央アジアを終えて、地図の都市名も書きやすくなりました(笑)。今回イランは北部しか行く予定はなく、次はテヘラン方面に向かいます。テヘランとの間の田舎の村にちょっと滞在したりしながら西に移動したいと思っているものの、全然情報がなくて、このままではいきなりテヘランということになりかねません。この間で何かお薦めの村とかを知っている人がいたら教えてください!)
話は大きく戻って、前回書いたウズベキのヒヴァからここまでの移動について。ヒヴァからはバスで2時間ほどでトルクメニスタンとの国境へ着き、難なくトルクメ入国。雰囲気は特に変わらず、ただ目立つのは大統領の顔アップ写真がぺたぺたといろんなところに張ってあること。「中央アジアの北朝鮮」という栄えある称号を得ただけあって、さすがに金正日に負けず奮闘していました。
(ウズベキ・トルクメ国境のウズベキ側。奥の三本の大きな柱の向こうが緩衝地帯、そしてトルクメニスタン)
(国境からトルクメニスタンに入って最初の町ダショガスでびっくりしたのはこの衛星アンテナの数!どこの建物もなぜかこんな。地上波がなく、衛星放送のみだったり?)
国の南端にある首都アシュガバット(Ashgabat)まで一気に車で移動。カラコム砂漠をひたすら南進して8時間ほど。途中砂漠にポツリとあるユルト(テント)の店で食事を取ったとき、外に出てみて、夜なのに関わらず寒さがそれほどでもなく、ついに寒さのピークを過ぎた!とうれしくなりました。マイナス20度の世界はこの砂漠を境に終了したようでした。
(雪が積もったこんな砂漠の中を7,8時間走ってアシュガバットへ。雪が降るのなら砂漠にならないのでは……と思ったりするけれど、どうなんだろう)
夜中12時ごろにアシュガバットの町に着き、ホテル探しに苦戦し、最後にはそのために乗り合いタクシーのドライバーとやはり口論になり、またこの展開かとウンザリ。しかも着いたホテルは値段の割りにクオリティがオワッてて(便座なし、シャワーは見るからに入りたくない代物)、あちゃーという感じ。しかしアシュガバットにはなんと「夜11時以降外出禁止令」があり、その時間、外にはごつい服装と銃を持った警察が至るところに立っている以外は人影はほぼゼロ。それはかなり恐ろしい独裁国家をイメージさせる絵で、ぞっとし、それ以上ふらふらと宿探しをするわけにも行かずでした(外にでて警察に見つかれば、逮捕とかにもなりうるらしい)。
(アシュガバットはこんな風なリッチな雰囲気の町。天然資源がとても豊富でガスや水はタダとのこと。これは早朝の写真ですが、夜11時以降はこんな風景の中に警官のみがウヨウヨ!)
しかし、アシュガバットの町は全く想像していなかったほどきれいに整備された街。これもまた独裁国家ならでは雰囲気ですが、やりたい放題だったニヤゾフ前大統領(数年前に急逝)の金の像とともに、大きくピカピカの建物が深夜ひと気のない街中に乱立という風景で、びっくりさせられました(ま、だから安ホテルも快適かなと思っていたのですが、そこまではニヤゾフの手も回らなかったようす)。
(こんな感じで統治者の写真や像がいっぱい。でもこれはニヤゾフではなく現職の大統領。育ちの良さそうなぼんぼんくんって雰囲気。名前が長くて覚えられなかった)
(本屋もこの有様。トルクメニスタンの超ベストセラーである(というかほとんどこれ以外売ってない)この「RUHNAMA」はニヤゾフ前大統領の渾身の一作で「おれがお上だ!わいがルールや!」的なオレオレ宣伝本(多分、間違いなく)。なんと運転免許の試験でもこの本の知識がないといけないというからすごい。日本語版もあった!(下写真))
翌日、民家を宿にしている家族の家へ移動し、やっとトルクメニスタン人の暖かな家庭世界をかいまみることができました。ここは、大家族の住む家の一画に外国人を泊めていて、朝でも昼でも晩でも、夕方でもなんでも、メシやらお茶やら「さあ、お食べお食べ」って感じで出してくれて一人5ドル、というとてもお手ごろないい宿。家族もみないい人たちだし、シャワーのお湯も十分出るし、とても居心地はよかったです。しかも定番の屋外コンクリート打ちっぱなしトイレも、寒くないから全然快適(きれいではないけど)。
(泊まっていた民宿。次から次へといろんな人が現れる賑やかな大家族と一緒に生活。ガス・水がタダのため、ガスは朝から晩までつけっぱなし。それで部屋を暖めている)
(こんな食事がひっきりなしに出てきます。味は……)
トルクメニスタンではほとんど、その家族と戯れ、食事を一緒に食べたというだけで終わり。アシュガバットに2泊したあとの24日、行きたかった田舎の村に一泊で行くため、朝7時すぎにその家を出て一泊分の荷物だけ持って出発したものの、あるはずのバスがバス停に見当たらないまま、行くすべを失い、しかも朝の強烈な寒さにやられ、気持ちも萎え、地元カフェに逃げ込み朝飯を食べながら暖まっていたら、コーヒーを追加したにも関わらず、カフェのおかみに「食い終わったら出ていきなよ!ダラダラしてんじゃないよ!」みたいなことを言われ、隣の席のオジさんには、「あのオバハンは頭おかしいんだから、ほっとけ、ほっとけ」って笑いかけられたりしているうちに、もう今日一気にイランに行ってしまおうか!と心が決まり、その日トルクメニスタンを発つことに決めました。
そして同じ宿に泊まっていて、一日違いぐらいで同じルートを来ていた数少ない旅仲間の市川さんと3人でイランへ出発。アシュガバットから国境までは20キロほど。キンキラのアシュガバットの町から、南側に見える雪山の中へと車を走らせるともう目の前はイラン!
(ここが国境のトルクメニスタン側。ここから緩衝地帯をさらに数十キロ行った先がイラン)
トルクメ側で出国審査を済ませてイラン側に入ると、いきなりアザーン(イスラム教国の町中でよく響いている祈りの声)が聞こえ、突然それっぽくなってきました。国境職員の体からも南アジア特有のスパイスっぽい独特なにおいが漂い、インドを思い出したり。またどかーんと飾られてるリーダーの顔も、トルクメのぼんぼん大統領から、イケメンでハードコアなホメイニ師へ。ロシア語も突然全く無意味な言語となり、ここから文字も数字も全く読めないアラビア語の世界がスタートしました。
(まさにトルクメニスタン側からイラン側へ入る瞬間にトルクメ側を隠し撮り。ぼんぼん大統領の顔ともこれで見納め。イラン側ではちょっと怖くて隠し撮りなどする気になれず)
税関の荷物チェックもない適当でフレンドリーな入国手続きを終え、その場で乗り合いタクシーの値段交渉をしてマシュハドへ。大きな雪山を越えるともうそこは完全にイラン。女性がみな真っ黒尽くめの姿で井戸端会議を開き、土の家の周りで遊ぶ小さな子どもたちが、通りすぎるぼくらの車を眺めています。まさにこれぞアジア、という風景。
(イラン側を車で移動中。イランに入ってからもしばらく雪山風景が続いた)
国境からマシュハドまでは途中のメシ休憩を入れて4時間ほど。「メシ休憩」と言っても、ドライバーが突然「ここからはおれのブラザーの車で行ってくれ。おれはここで戻るから、おれにここで3分の2の金を払ってくれ」と、いやな予感のする提案をされ、またモメ、仕方なく車を変えることになり、ついでだからとメシも食べたという展開。その「ブラザー」に連れられマシュハドに着くと、さらに大きくひともめ。町の外辺りで停められ、ここからは別料金だと言われ、周りにいた英語を話せる取り巻き数人も交えて10人近くで大モメ。最近乗り合いタクシーに乗るたびにこんなことになってる気がして疲れますが(季節のせいもあって、路線バスが少なく交渉してタクシーをシェアということが多い)、こういうのもまた東南アジアなどを思い出させられてなんだか懐かしくもあったり。結局そこで車をさらに乗り換えて、人のいいおじいさんの車でマシュハドの町へ。宿探しにまた結構苦戦したものの、最終的には安くて悪くないところに落ち着いて一息。
……というわけでした。
次回はマシュハドのメインイベント、大興奮の「エマーム・レザー廟」についてアップします!
イラン到着、おめでとうございます。
イラン情報と言えば、現地に住んでらっしゃるsaraさんがブログ書いてらっしゃいますよ。
http://sarasaya.exblog.jp
どうやらイランの大学で教鞭をとってる方だと思います。彼女だったら色々な情報を知ってそうです。
ではでは。
Posted by: mika at January 27, 2008 2:56 AMそんなところまで行ってたんだね。順調そうで何よりです。
今日たまたまCOURRIER JAPONっていう雑誌を読んでいたら、トルクメニスタン関連の記事に遭遇。
アメリカのとある新聞社の記者が、トルクメニスタン関連企業の社員に扮して、「独裁国家」との悪評を変えてくれるようアメリカの広告代理店等に商談を持ち込んで、どういう反応があるか、というもの。
日本の大手マスコミじゃこんなこと絶対やらないだろうけど。
話を持ち込んだ先の会社というのは、構成員に元米政府高官などがひしめきあっており、既にアフリカの悪名高い国々のイメージアップや、台湾・李とうきのアメリカ訪問のために世論作りをした経験があったり、という前科者(?)。
ま、実際のトルクメニスタン国家の関係者は出てはこないのだけど、興味深い記事でした。
それではまた続きを楽しみにしてます。
>mikaさん
こんにちは!
サラさんの情報ありがとうございました。
実は早速ブログを拝見して、今後の旅先でうかがいたいことがあってサラさんにメールをさせていただきました。すぐにお返事をいただけていろいろと教えていただきました。
タイムリーに貴重な情報、感謝です!
>あさいくん
どうも~。極寒&ビザ地獄の中央アジアを抜けてイランに入ってやっと次のステージに入ったって感じ。トルクメのその記事面白いね。その会社ってつまり、民主化を推し進めるために裏で動き回る欧米NGOとかとは逆のキャラのようなものなのかな。
これまで強かった旧ソ連の民主化の動きなども影でいろんな組織が動いていたから、ほんとにいったい何が国民の望みで何が陰謀なのかとかぜんぜんわからないなとよく思わされます。ま、その両者の明確な境などもちろんないわけだけど。でも国によってそれぞれ違った、いろんな統治や政治のあり方があって、単純にこれがいいとはなかなかいえないな、と最近感じたりしてます。
日本のマスコミはもっといろんな動きしてほしいよね。オランダのメディアで働いている友人に前、「日本だとイラクとか危険なところいえばフリージャーナリスト」みたいなこと言ったらびっくりしてた。欧米だと危険なところこそ、大手メディアの専門的なトレーニングを受けたジャーナリストが、それなりのお金をもらっていくらしい。とても難しく大変な仕事なわけだから。それ聞いて、そのほうがやっぱりしっくりいくよなあ、って気がした。日本は、危険なところは大手はいかずフリーにまかせて、何かあったら自己責任なんていうんだから、ひどいなって感じます。日本のメディア、ほんともっと気合いれてほしいよね。ちょっと話それたけど。
では、元気で!
無事イランに到着したようでよかったです。興奮が伝わってきます。イランにはどのぐらい滞在する予定なのかな?
アラビア語って数字も読めないから結構大変だよね~。エジプトでバスの番号を読み取るのに苦労したことを思い出します。その後結局何もできませんでしたが、全く知らない世界に足を踏み入れられそうでアラビア語を学んでみたいという衝動にも駆られたものです。
引き続き気をつけて。
>naokiさん
イランは一応30日ビザがあるんだけど、もうあまりだらだらするつもりもないので、多分2週間ぐらいかな。
やっとロシア語にちょっとは慣れてきたって思ってた矢先にすべてがゼロになり、しかも数字も読めないのはショック大きすぎ。。。やっと数字はそこそこ読めるようにはなったけど、もうそれ以上は全然やる気せずだよ。英語話す人が思ったより多いことにも甘えちゃってて。。。
ちなみに、イランはペルシャ語のはずだからアラビア語ともまた違うみたい。よくわかんないけど、こっちから見たら同じジャンルな感じの人たちが、お互いはなせなさそうで困ってるのを見たりしたよ。よく西洋人に、「日本人はみな中国語分かるのか?」とか言われて、「そんなわけないじゃん」って思うけど、よく考えると自分も、中東の人たちとかひとくくりにして考えてるから、同じことだなあと気づかされます。