日曜日、上海郊外のアウトレットに服を買いに行った帰りに、久々に二人で、日本人が多く住むエリア(古北)によって、心地よい居酒屋風な店で夕食を。友人に教えてもらった「でん」というお店で、名古屋料理の店のようで、味噌カツなどがとてもおいしかったです。
さて、8時過ぎぐらいだったかにその店を出て、エレベータで地上に降りると、とても寒い。これは早くタクシーをと思って、日本語のネオンライトがたくさん光るその広場から道路に向かうと、一人の少年が駆け寄ってきました。着古した薄手の黄色いダウンジャケットですっぽり上半身を覆った、少し色の浅黒い少年。雰囲気からいかにも農村の子という感じがする子で、右手にバラを10本ぐらい、左手にはプラスチックの使い捨てコップ。
「バラを買ってください」
少年の顔を見ると、まだ5歳ぐらいの幼さなのに、とても真剣で必死な様子で、懇願するようにぼくらの顔を見つめていました。その様子になんだかかわいそうになりながらも、きっと近くでじっと様子を見ているはずの親の顔を思い浮かべると、やるせない気持ちに……。でも、買ってあげてもいいかな、と思い、値段を聞いてみると
「1本10元」
といいます。もうすでに枯れかけている黒ずんだバラなので、「それは高いよ」というと、
「じゃあ、2本で10元でいいよ」
それを聞いて、なぜか急にやっぱり買う必要はない、という気がして、「お願い買ってください!」とぼくらの前に立ち尽くす彼をよけて、ぼくらは歩き出しました。そして通りの逆側へ行って、タクシーを待ちました。しかし、やはりどこか彼のことが気になり、ずっと通りの向こう側にいる少年を見ていると、寒い中、とても小さな体で、必死になって走り回って、歩いている人の前に出て、枯れたバラを売ろうとしています。そして断られては、また次の人へと走っていく……。その姿を見ていてとてもやりきれなくなり、結局お金を親が持っていくのだろうとか、いろんな背景があるにしても、やはり買ってあげたくなり、もう一度彼のところに戻ってみました。少年は、店にまで入って人につけていったので、その店の前で待っていると、出てきた少年がぼくに気付き、なんだか驚いた顔でぼくの顔を見ていました。
--3本で10元なら買うよ
そういうと、
「好的!謝謝!(ハオダ!シエシエ!)」
と、とてもかわいい笑顔を見せてくれました。お金を出しながら、
--何歳?
「ウースイ(5歳)」
と、なんとも素直そうな優しい声で答えます。
--上海人?
「ドゥイ!(うん、そう!)」
--毎日ここにいるの?
「………」
--お父さん、お母さんは?
と聞くと、通りの一方を指差しながら、
「ネィビエン(向こうにいるよ)」
--一日どれくらい売れるの?
「シェンイーブハオ(生意不好:あんまり売れないんだ)」
--学校には行ってないの?
「メイヨウー(行ってないよ)」
……そんな会話をして、元気でね、じゃあ、またね、といって、去りながら手を振ると、少年は、なんか呆然とした様子で突っ立ったまま、ずっとこっちを見つめながら、手を振りかえしてくれました。しばらくして、もう一度手を振ると、彼もまた手を振ってくれる……。
そして、ぼくはもう一度通りの向こう側に戻ろうとしたものの、ずっとこっちを見ている彼がどうしても気になってしまい、もう一度寄っていくと、彼は気持ち少し、うれしそうな不思議そうな顔になったような気がしました。と、近づいてみても、何をしてあげられるわけではないのですが、なんかしら彼の話が聞きたくて仕方なくなってしまいました。
--お父さん、お母さんは何してるの?何か売ってるの?
「ウォ、ブジーダオ(我、不知道:わかんない)」
--いつも何時から何時まで、売ってるの?
「ブジーダオ(わかんない)……」
しかし、結局、そこまで聞いて、少年の子どもらしいかわいい声とじっとこっちを見つめる彼の顔に圧倒されてしまい、何もいえなくなってしまいました。
「体に気をつけてな」
と一言いって、じゃあね、と別れると、彼はまた手を振りながら、こっちをじっと見ていました……。
いま、「中国農民調査」という中国の農民たちの抱える問題についてのかなり力の入ったルポルタージュを読んでいますが、本当に中国では農村と都市における格差は半端ありません。最も貧しいといわれる安徽省などの村では、「年」収(現金収入という意味で)が300元(4500円)といった世界です。その上、いつの時代かと思うような悪代官様的な村の幹部たちがその少ない収入の大部分を、税金だとかなんとか言って巻き上げ、それに文句をつけたら、捕まえられてリンチされて殺されたなどという話が、いくつもあります(もちろん、そういうところばかりなわけではないのですが)。
中国の都市の発展はそういう農民たちを踏み台にしてきた歴史でもあり、それは少しずつ改善されているとはいえ、今でもまだ続いています。
もちろん、上記の少年がどういう背景を持っているのかは全くわかりませんし、本当にどれだけ彼が困っているのかは知ることはできませんが、そうした中国的背景を考えると、やはり、街を歩くたびにいろいろと考えさせられてしまいます……。
最初の写真見て
あーかわいいバラ(≧∇≦)
っていう気持ちやったけど
読んでいくうちになんかすごい切なくなってしまって
最後に写真をまた見た時には
泣きそうになってしまいました・・・。
この男の子がお腹いっぱいご飯を食べられたり
学校に行ける日が来るかな。
胸が苦しいですね。
いい文章書くようになりましたね~。
山本一力ばりの文章に
思わずコメントしたくさせられました。
年の瀬や水の流れと人の世は
明日待たるるその宝船
赤穂義士外伝の宝井其角と大高源吾の
やりとりみたいですね。
いや…山本五十六とシジミ売りかな
街角にはドラマがありますね。
Posted by: イシヅカ at December 5, 2006 8:56 AMシドニーでもっといろんな話を聞いておけばよかったとつくづく思います。社会の影の部分は長くそこにいないと気づかないことばかりなんですね。
中国が「先進国」として進んでいくにつれてこういう貧富の差も増長されるのでしょうか。
環境問題にしろ表面を取り繕った政策も少ないと聞きますし、農村の余剰労働力も数億人とか…。そうなると労働力や健康の価値も極端に低くなりますしね…。
しかし、もっといろんな話しとけばよかったなあと後悔の日々ですよ、ほんとに(笑)
Posted by: ゆうき(大坂) at December 5, 2006 6:05 PM文章を読み進んでいくうちに、切なくなってきました。
そこにいた訳でもないのに、男の子のことがすごく
気になって、気になって。
日常のふとした出来事にこそ、その国の現状が反映されるん
だろうなと・・。
ずっと前からブログを拝見させて頂いています。いい文章を、ありがとう御座いました。
Posted by: Jonathan at December 6, 2006 12:45 PM>Chieちゃん
どうもありがとう。そこまで何か感じてもらえると、書いてよかったな、って思えます。この少年、とてもかわいかったこともあって、なんか心に残ったので、また近々探してもうちょっと話を聞いてみようと思ってるよ。そしたら、また書きます。
>石塚先生
先生にそんなお言葉をいただけるとは、うれしい&恐縮です。街角にはほんとにドラマがありますよね。でも、言葉の問題もあって、話をきける範囲がどうしても限られてしまうのが、つらいです。なので、最近また中国語の勉強を始めているのですが、なかなか。。。
>ゆうきくん
中国の発展は、9億人もいる農民たちを踏み台にしてきたっていうのが現実のようです。中国の中には、「都市」と「農村」という別々のシステムの国が二つあるような感じ。上海は、1300万人の都市住民に加えて400万人ぐらいの農村などから来た人たちいて、その巨大な格差が、目の前に混在してあるのがすごいです。
やっぱり住んだ国と、旅で訪れた国っていうのは、感じ方も違ってくるよね。また是非いろいろと話しましょう。
>もぎぃさん
文章に感情移入してもらえてうれしいです。上にも書いたけど、また彼と会うことができれば、続編も書きたいので、また読んでね~。確かにこういう小さな出会いにこそ、何か感じることってのは多いのかもね。
>Jonathanさん
コメントありがとうございます。昨日ちょうど、Jonathanさんのブログを拝見していたところでした!知らなかったさまざまな中国のニュースが日本語で詳しくかかれているので、とても興味深かったです。
こちらも、またたまに見てもらえればうれしいです。
よろしくお願いします。
雄生さん、
先ほどはメールもいただいてありがとうございました!
文脈でお気づきだとは思いますが、
上のコメント
×「少ない」→○「少なくない」
です…。
非常に恥ずかしい間違いを…。
送っていただいたルポまた読ませていただきますね。
このブログも楽しみにしています。
5歳?そのこどの辺に立ってるんですか?今度教えてください。私今ボランティアのことやってて、バザーで得た収益金を慈善協会を通してやはり安徽省の学校に寄付するんですけど、学校側がこれが欲しいあれが欲しいって言うの聞いてると、最終的にはそれを売ってお金にして、一部の上の人の懐へっていうのがほんとらしいです。でも私たちものすごい頑張ってそのお金を得たから、役員の中国人の奥さんがものすごい頑張ってくれてて、絶対売られないようにしようと、例えばあげたものに取れないようにこちらの名前を入れるとか、たまに見に来るって言うとか(本当は行かないけど)。田舎って本当にすごい貧しいのね。さっきのブログ読んでたら。5歳の子がそうやって花売ってるなんてかわいそうね。
Posted by: おとちゃん at December 10, 2006 1:36 AM>おとちゃんさん
どうも、コメントありがとうございます。この子、一度しか会ったことないんですが、会ったのは、水城路×虹橋路の交差点のちょっと北側、水城路沿いにある日本料理屋とかがたくさんある広場の前です。でもその後また行ったときにはいませんでした。
バザー収益金の学校への寄付は、確かに途中でそういう難しい面があるとしても、やはり子どもたちにとってはとても貴重な助けになっていることでしょうね。(前に一度、日本人太太たちの寄付によって田舎にいくつか学校が出来たって聞いた気がしますが、それでしょうか?)
中国の田舎の貧しさは、人為的な要因も大きいと思われるためか、ほんとに自然発生的なレベルを越えているように感じます。中国国内に「都市」と「農村」というシステムのことなる二つの国があるような感じですよね。
先日の北九州お疲れ様会では楽しいをありがとうございました。ブログの日記を見て、今通っている大学の先生との話を思い出しコメントさせてもらいました。彼女は私の互相学習の相手でもあります。彼女が「上海を見て中国と思わないで欲しい。農村地域には勉強道具もなく、地面に手で漢字を書いては消して練習している子供たちが沢山いる。留学生のみんなに農村地域を見るプログラムを考えたい」と話していました。普段は外国人の友達とは戦争問題や政治的な話題は避けていますが、彼女とだけはそういった話題も話し合えます。純粋にいろんな国の考え方を知ろうとする彼女との出会いはとても貴重でした。当然なのですが、テレビなどの媒体を通して見ていた事と実際に来て感じた事って全然違ったものですね。
Posted by: シュリ at December 12, 2006 7:11 PM>シュリさん
コメントどうも~。お元気そうですね。
確かに先生の言うとおり、上海は中国の中では非常に特殊な世界なんだろうなと思います。最近、中国の近代史の本をちょくちょく読んでいますが、上海の発展、農村の貧しさともに、非常に人為的な要因が大きいようだということを感じます(毛沢東時代の大躍進運動などの流れ)。だから、中国の貧富の差というのは、世界的にみても特殊な状況なんじゃないかと思います。中国の急激な発展の原因もそこに潜んでたりするはずだと思っています。
あれから北九州へは上海からの旅行者が増えたのかなあ、、なんて気になりますね。
もうすっかりご無沙汰しちゃってます~。そうなんですよねぇそうなんですよねぇ。最近農村の人たちよくいるんですよ、ここにも。息子と同じくらいの子がお金頂戴、みたいに言ってくると本当に本当に切なくて悲しくてあげようかどうしようか本気で考えてしまう・・。いつだったか農村の子供が大学に合格したが学費が払えずに父親が自殺した、とか200元払えば水が運ばれる(?)システムになるようなんだけど村人全員のお金を合わせても200元にならず水が来ないとか、そういうのメディアで見て本当に考えさせられる。200元払いに行こうか!?なんなら来年分まで払うよ。て本気で思った。お金持ちの日本人はお金で解決するだけ。でも、それでも助かるならいいのかもしれない。
Posted by: 佐藤一家(妻) at December 19, 2006 4:32 PM>佐藤一家(妻)さん
お久しぶりです!返事遅くなってしまってすみません!
さっき北京から帰ってきたところです。総合格闘技の試合を観戦+取材に行っていました。
ぼくも基本的には、助かるならいいんじゃないかって思う方です。いろいろと理屈を考えても、こうするのが正しいとかって別にないですもんね。でも、いろいろと考えさせられることが多いです。この少年のことは、SUPERCITYの次号にもちょっと話を加えて書く予定なので、また機会があれば見てくださいね。
では、みなさんによろしく!