5週間ほどの旅が昨日終わり、昆明に戻ってきました。成都から20時間ほどかけて昆明に着いたとき、この町に自分たちの部屋がある、ということがなんだか不思議に思えたりもしたものの、部屋に戻ると、やっぱり家は落ち着くなあ~とほっと一息。到着直後、朝8時ごろから早速洗濯に取り掛かり、その後街に出てご飯を食べて、ばったり会った友人とカフェへ。そして夜は、昆明で最も仲良かった友人の一人が明日昆明を出ることを知り、最後のダラダラトークにまたカフェへ。やっぱり昆明はすでに地元に近いような感覚にとらわれてます。
さて、この一ヶ月ほどの旅についてはこれまで写真を全く添付できていなかったので、まとめて添付します。旅に出て5日後ぐらいにカメラの充電器がパンッ!といって壊れたために今回はあまり撮らなかったこと、またおそらく最後の20時間の電車の中で、手持ちのバックパックを枕にしたときに、写真を焼いたCDを折ってしまったため、残念ながら一部の写真がなくなってしまいましたが、手元にある範囲で。
今回の旅の経路は、以下。
昆明
⇒シャングリラ(=ジョンディエン)⇒徳欽(ドゥチン)<ここまで雲南省>
⇒塩井(イエンジン)⇒芒康(マルカム)<この二つがチベット自治区>
⇒巴塘(バタン)⇒理塘(リタン)⇒塔公(ターゴン)⇒色達(スーダー)⇒馬尓康(マルカム)⇒阿バ(アバ)⇒紅原(ホンユエン)⇒松潘(ソンパン)⇒成都(チョンドゥー)<ここまですべて四川省>
⇒昆明
(青い線が今回旅行した経路。青い線の南端の昆明から時計回りに周りました。黄色く囲った部分が今回アップした箇所です)
チベット文化圏は、いわゆる「チベット自治区」以外だけではなく、雲南省、四川省、青海省などのかなり広範に広がっています。自治区という枠は政治的に(?)決められた範囲というだけであり、今回私たちが行ったもろもろの場所も文化はチベットそのものと思われるところが多かったです。それを知るだけでも、チベットの問題の複雑さが感じられました。
一度に全部はあまりに長すぎるので、今回はこのうち雲南省の部分についてのみを(それでもかなり長くなってしまったけど)。
<7月23日~7月26日> シャングリラ、徳欽
<7月23日>
昆明から寝台バス15時間ほどでシャングリラに朝7時頃着。二人だったら当然初日はダラダラと過ごしていただろうところ、エネルギッシュなスウェーデン人の友人と一緒だったため、その日から歩いて街の外の大きな「ゴンパ」(チベット仏教の寺のこと)へ。
(ゴンパはこんな感じで丘の斜面に広がっている。周りの小さな建物の中に僧たちが住んでいるらしい)
(その中心的な建物がこれで、)
(その内部は例えばこんな感じ。この写真は違う建物の中だったかも。。)
(ゴンパ内で、観光客相手に一緒に写真を撮るのを仕事にしている子供たちにせがまれて、一枚。シャングリラはかなりの観光地で、観光ビジネスは多分巨大)
この日このゴンパの往復+αで計10キロほど歩いた。高度3200mほどのこの場所でいきなりそんなに動き回ったためか、軽い高山病に襲われ、夕方から頭痛。強引にバファリンを飲んで寝てみたらましになり、その後はほとんど問題なし。
街には民族衣装を着たチベタンがとても多く、チベット文化圏に来たという印象を受けるが、ツーリスティな雰囲気は否めず、また特に魅力を感じなかったために、次の日に早速徳欽へと移動。そもそもシャングリラという名前自体、イギリスの小説に出てくる理想郷の名前を取ったもの(もともとの名前はジョンディエン)で、最近空港もできて、観光地として売り出している街なので、ツーリスティなのも当然。
(手元に残っていた唯一のシャングリラの街の写真。女性の多くは、写真のように頭にピンク色の布を巻いていて、また、男性の多くも頭に赤い布を巻いていた。チベタンは基本的に体が大きく迫力がある、という印象)
<7月24日>
シャングリラから5時間ほど移動で徳欽へ。確か途中で4200mほどまで上ったが、徳欽は3200mほど。ここはぐっと地元風になる。
(マーケットにはブタの頭がドン。チベット文化圏のどこでもマーケットに行くと巨大なヤクや牛の頭や体がすごい生々しさで置かれ、売っている。動物はこうやって殺され、食べ物となる、ということをこうして肌で感じることは大切な気がした)
<7月25日>
(次の朝、地元の食堂で。黄色いのが、チベットの食べ物で最も有名なバター茶。結構きつい味だけど、チベットでは避けて通れない。基本的にバター茶は塩味ですが、砂糖を入れたらミルクティーっぽくなって飲みやすくなった。その経験を元に、違うお店でも砂糖がほしい、と言ったら店員が申し訳なさそうに"これは塩味なので砂糖をいれるものではないんですが…"といわれてしまった)
さてこの朝食を食べた後、町から車で15分ほどぐらい行って、梅里雪山(メイリー・シュエシャン)を見に行く。この山は6700mほどで、雲南省で最も高い山。晴れていればとてもきれいなはずなんだけど、今はあいにく雨季なため、きれいにみるのは難しい。で、行ってみると案の定雲に隠れてほとんど見えず。けど、その次の日に再びそこを通る機会があり、その日は少しましだった。
(もっともよく見えたときでこんな状態という悲惨な結果。でも雲の間の青空にわずかに見えているのが6700mの山頂、だと思いたいところ。この写真は26日のもの)
しばらく雲が晴れるのを願いながら近くのお茶屋さんで時間を潰すもまったくらちが明かないので、あきらめる。帰りは歩いて近くの村を訪ねる。これも、私たち二人だったらきっとめんどくさがっていかなかっただろうところを、連れのヨハンがトレッキング好きだったために実現。
(小道を歩き出してからおそらく15分後ぐらいに撮ったもの。目指すはなんとこの写真の中央奥に見える小さな村。そしてさらにそのあと逆側を登ろうというのだから、マジか?と思ったものの、結構行けるものだった。途中、羊やヤギが現れたり、風景もきれい)
(さらに下山中)
歩いて見ると何気に1時間10分ほどで到着。
(村にはこんな子供たちが珍しそうに私たち外国人に恥ずかしそうによってきた)
(この写真の奥に見える山のてっぺんあたりから降りてきた)
(チベタンの家)
(村を出てまた、徳欽の町まで山道を登り出す途中に同じ方向に向かうチベタンの大家族と合流。一緒に町まで)
(一緒に休み、一緒に川を越え、みんなで話ながら進むと疲れも半減。)
<7月26日>
そしてさらに次の日は氷河トレッキング。毎日歩きっぱなしで、慣れない私たちには結構きついが、この日はさらにハードだった。
(素子はすぐにダウン。余裕のヨハンに冷たい目で見られる)
(2時間半ほどで頂上にたどり着いたあと、あまりに辛そうな素子に、中国人旅行者が酸素を吸わせてくれた。ちなみに馬を借りて登っていた人も多く、彼らは余裕の表情。)
(登り切ったあと、上から見る氷河)
なかなかきつかったものの、達成感あり。その感覚を知り、その後今回の旅では歩くことが多くなったような。
(氷河からの帰り、道路沿いの風景。このようななんだかラピュタを彷彿とさせるような町が山の中にポツポツと点在し、とても美しい)
これで雲南編は終わり。次は自治区+四川省の一部を。
こんどうさんメール有り難う。
チベット圏とても充実して感じですね。
私も感じたことですが、チベット問題はとても複雑で、
それはチベット圏にいてもとても色濃く見えるようです。
私はゴルムドという中国の西の果てからチベットに入ったのですが、
道がやけにすべて一直線になっていると思ったていたら、
なんと、チベットになにかがあったとき、飛行機の滑走路になるように
設計されているようで、『共産主義ってすげえなあ…』と
思ったものです。
日本も戦後60年を迎え、最近当時の映像や特集が数多く
放送されています。考えさせられます。
ルポ「世界」9月号みてみますね。
ではまた!
細野さん
昆明に戻ってきてすっかり元の生活に戻ってます。明日(9月1日)からは学校も始まるので、またリズムを戻さないと。
NY行きの準備は順調?もう一週間ほどで出発だね。健闘を祈ります!
ではまた。
Posted by: コンドウ at September 1, 2005 1:08 AM