2005年7月 3日

国際シンポジウム小津安二郎生誕100年 OZU2003 レポ—ト

Panda & Piggyの映画紹介より転載(2003年12月執筆)


小津安二郎生誕100年記念回顧上映会『小津安二郎の藝術』の特別企画として,小津の命日であり誕生日でもある12月12日に合わせて,12月11日,12月12日と国際シンポジウムが,東京は有楽町の朝日ホールにて行われた.
 小津は自分の還暦の誕生日に死ぬという離れ業をやってのけたのだ.こういったレトロスペクティヴのような企画に付属しているシンポでは,批評家が作家の解説を行う程度が普通であるけれど,世界中から映画作家たちがこれだけ集うことからしても小津の国際的な影響を感じさせる.予定されたいた参加者に一部変更はあったものの(ヴィム・ヴェンダースとヴィクトル・エリセは来なかった),それでも豪華と言うほかない顔ぶれで,それぞれの参加者が小津という多面体に様々な光をあて乱反射させて,会は極めておごそかにまたしめやかた進んでいった.回顧上映というよりも,さながら新たな追悼の儀式でもあるかのような,この会のしめやかさの理由には,ひとつにはゲストとして呼ばれた四人の女優による.
一日目に岡田茉莉子と井上雪子,二日目に淡島千景と香川京子とを招いた『女優に聞く』のコーナーでは,実際に小津の演出のもとで,小津のフィルムに,その若い美しい姿を留めるという幸福な体験をした女性達が,小津の演出,人となり,私的な交流に至るまでを語って聞かせてくれた.とにかく驚いたのは70歳を過ぎようという香川京子の美しさと岡田茉莉子の艶やかさだが,その内容が最も感動的だったのは岡田茉莉子だ.
岡田茉莉子の父,岡田時彦は戦前の日本映画界の大スターで,小津の映画にも五本出演している.その岡田時彦と小津映画『美人哀愁』で共演したのが井上雪子なのだ.実は岡田時彦は,岡田茉莉子が一歳ばかりのときに急逝してしまっているのである.つまり岡田茉莉子は父親の記憶をもっていないのだ.そんな少女が,欠けた記憶を償うかのように,映画館の中に失われた父のイメージを探し求めるのは当然のことだろう.そんな風にして少女がやがて映画女優へと成長していくのは偶然ではなく必然だろう.この時点ですでにぼくは泣いていた.岡田時彦は小津の映画のなかで,美形俳優として喜劇俳優として活躍している.『その夜の妻』『お嬢さん』『美人哀愁』『淑女と髭』『東京の合唱』が,その五本だ.井上は,岡田時彦のことを「ほんとうに綺麗な人」とまるで女性を褒めるみたいにうっとりと語るのだけれど,実は井上の出演した『美人哀愁』は,『お嬢さん』とともに失われたフィルムなのだ.つまり岡田茉莉子は『美人哀愁』のなかの父の姿を見たことがないのである.『美人哀愁』のスチール写真でみる当時16歳の井上雪子はとても美しい.オランダ人の父と,日本人の母をもつ彼女は,さながら日本のハーフ混血芸能人第一号といったところか.しかしながら,この映画がつくられたのは1931年.今僕たちの目の前の井上雪子は88歳のおばあちゃんだ.残念ながら記憶もおぼろだけれど,戦前の失われた小津映画に出演した混血美少女が,いまこうして父岡田時彦のことを娘岡田茉莉子に語って聞かせ,当時まだ28歳だった若かりし小津の姿を描いてくれるというのは感動的な出来事だ.そして,またぼくは岡田茉莉子の話に泣くことになる.実は岡田時彦が活躍していた時代,映画はすべてサイレントだったのだ.つまり岡田茉莉子は,父親の姿を映像で辿ることはできるけれども,その声を聞くことは決してできないのだ.ところがである,家のどこかからだったか,ソノシート(ビニールのレコードみたいなの)に録音された父の声が発見されたのである.映画の台詞を吹き込んだらしい,ぼろぼろになったそのシートをNHKの尽力で復元してもらい,今日この日小津のシンポジウムの場で聞くことができたのである.復元したといっても極めて状態の悪い岡田時彦の声を,補聴器を忘れて司会の蓮實重彦の質問がよく聞き取れないという井上雪子が判明に聞き取れたとは思えない.それでも,岡田茉莉子にむかって,ええ,そうです,そうです,こんな声してらっしゃいましたと岡田茉莉子の手をとってうつむき加減に,その声に聞き入る井上雪子の姿勢にまた感動した.涙は流れるばかりだ.
 会の一方の主役が,女優達ならば,もう一方の主役は監督達だ(今回は批評家も集まったけれど放っておこう).そのなかでも二日に渡って会の主役というか,この会をしめやかにまとめたのが監督吉田喜重に他ならない.吉田喜重は,小津よりちょうど10歳年下で,大学を出てすぐに22歳で松竹の大船撮影所に入社した.大島渚と近く,二人を中心に「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」という新しい映画の流れを生みだしたことで記憶されている.けれども,吉田喜重の立場は,大島渚とは異なりとても微妙なものだった.京都大学時代から学生運動に中心的な役割を担い,松竹でも映画の革新を目指して上の世代に敢然と立ち向かっていった大島渚にたいして,東京大学でフランス文学を学んでいたひ弱な青年はあたらしい映画の表現を模索しながらも,上の世代の映画にたいしても理解を示していたからだ.上の世代とは,つまり当時松竹で最も偉大な監督だった小津安二郎を中心とした,市民路線のことだ.大島渚はデビューのとき,新聞紙上で「もう松竹に小津はいらない」と喝破した.当時小津は,東京のブルジョワ的な生活を撮り続け,題材においてもまた手法においてもマンネリ化した保守的な作家と見られていたからだ.小津的なものは批判の対象であった.ところが吉田喜重は,小津が1961年東宝に出向して撮影した作品『小早川家の秋』の作評のなかで,小津の若者におもねるような演出を批判し「この映画は小津的ではない.小津安二郎には,小津らしい映画を撮って欲しいのだ」と,この作品を批判しつつ,小津的な映画の全体を擁護してみせたのだ.そんな吉田喜重の小津観はどのようなものなのだろうか.彼が掴んだ小津らしさ,小津的なものとは何だろうか.
 吉田喜重は,小津の映画との出会いを鮮明に憶えているという.福井県で暮らす小学校四年生9歳の少年は,第二次大戦のさなか1942年に,小津の『父ありき』を父親に連れられた映画館で見たという.映画の物語がどのようなものであったのか,ほとんど当時は憶えていなかったという吉田少年が,唯一鮮明にイメージを焼きつけたシーンがある.主人公であると父とその息子とが,並んで川に釣り糸を垂れるシーンだ.そのシーンを解説する吉田の文章を,少し長いが引用してみよう.
 映画は父とそのひとり息子との物語ですが,陽射しがまばゆいばかりに降りそそぐ山あいの渓流で,中学に入学する息子が父と並んで流し釣りをする.渓流に釣り糸を投げかけ,水の流れに乗せて,釣り糸を下流へと流し,それが行きつくと,釣り糸を川上へと投げもどす.この動作を繰り返しながら釣りをするのですが,水の流れが一定であるかぎり,父も子も同じ動作を繰り返すことになる.
 こうして並んで釣りをしながら,父は息子に,中学に行くには寄宿舎での生活をしなければならず,これから離ればなれに暮らすことになると伝えるのですが,それを黙って聞く息子は,次第に流し釣りの動作を止め,その釣り糸だけが川下のほうにピーンと張られ,流されたままになる.
 この父と子の,同じ動作による流し釣りが繰り返し反復されるなかに,まさしく父と子であることが,おのずから表現されているとともに,やがて息子だけが流し釣りを止め,これまでの反復動作に思わぬ「ずれ」が起こるとき,それは子供が独り立ちし,これよりは父とことの関係が,他人になることを予感させるのでした.
 このシーンに吉田少年がみたものを,後の監督吉田喜重は「反復とずれ」の原理として取り出してみせる.この小津の反復とずれの手法はやがて成熟し,1953年小津50歳のときにとった『東京物語』のラストの場面で完成される.『東京物語』のラストのシーンでは尾道の家の畳の上に,笠智衆がうちわを手に一人ぽつねんと座っている.その座っている位置が画面の中心から左にずれており,重心のバランスがなんとも悪い.右側に残された空間が大きすぎるのだ.しかし,『東京物語』を初めから見てきたものならば,物語のなかでその空間が占めるべきものの存在におのずと気づくはずだ.つまりぼくたちは笠智衆の妻東山千栄子がすでに亡くなったことを知っている.そしてまた,このラストのシーンと同じ構図をどこかで見たはずだと網膜に残されたイメージを思い起こしてみることだろう.映画の冒頭,東京にいる息子達に会いに行こうと旅支度をする老夫婦の姿が思い起こされるはずだ.二人の姿は,画面の大きさを十分に満たして画面を安定したものにしていた.右に東山千栄子,左に笠智衆.まったく同じ構図を繰り返していながらラストの構図が抱えている不安定さ=ずれこそ,今は亡き東山千栄子に他ならない.
 この吉田喜重が明らかにしたた小津の「反復とずれ」はたんなる演出の手法を超えている.「反復とずれ」は小津の映画の構図,すなわち空間を決定づける形式であり,時間の流れそのものを可視化する力をもっているからだ.小津の小津らしさとは,その独特の時間感覚に他ならない.それは「今は亡い」という時間の感覚だ.『東京物語』のラストで画面の中心に背を向けた笠智衆の背後のその空白が語っているのも,東山千栄子はもういない,という事実に他ならない.この「今は亡い」という時間の在り方を,映画という空間のなかに創造するとき小津は「反復とずれ」という手法を生みだしたのだ.
 吉田喜重は,この小津の「反復とずれ」の最たるものを,小津の遺作『秋刀魚の味』のラスト・シーンに見ている.娘の結婚式を終えた父親・笠智衆に,顔見知りのバアのマダムが,結婚式の礼服(モーニング)をみとめて,「今日はどちらのお帰り……,お葬式ですか」と訊く.笠智衆は「ウーム,ま,そんなものだよ」と,答える.
 このシーンに吉田喜重が読み取った込められたものはなんだろうか.父親が着ているモーニングは結婚式の晴の日にも,葬儀の折りのにも使用される服で,いわばどちらにでもずれていける意味をもっている.
 小津さんは結婚と葬儀という,相反するはずの歓び,悲しみといった感情を,ひとつの礼服で表現してしまう.ここに12月12日という同じ日に生まれ死んでいった小津の姿をだぶらせることは間違いではないだろう.そして吉田喜重は締めくくっている.
 「反復とずれ」,それは小津映画の根源的な方法論であるとともに,小津さん自身の時間論でもあったのです.人間はおだやかに日常を繰り返し,反復しながら,気づかぬうちに次第にずれを起こし,やがては二度と反復も,そしてずれも起こらない,死の時間に至る.時間はかぎりなく反復されているようでありながら,そのずれの行きつく果ての死を,たえずその内部にはらんでいる.(引用はすべて『OZU2003 プログラム・ブック』よ.以下後補(2005.07.04):長谷正人が「映画,時間,小津」と題して東京大学出版社PR誌『UP』に3回にわたり連載している.ぼくは第3回しか読んでいないが,長谷は吉田貴重の「反復とずれ」(『小津安二郎の反映画』岩波書店)の概念を借りながら,サイレント期小津と後期小津との間の「反復とずれ」の意味の違いを,「空間-イマージュ」から「時間-イマージュ」(ドゥルーズ)への変容として説明している.)
 最終日には,フランスの批評家が,日本の監督達が小津の形式的な側面にのみ集中して語るので驚いたと告白した.外国からの招待者はむしろ小津の伝えたかったその内容を,読み取ろうとしていたからだ.そこには多分に異文化理解にまつわる誤解も含まれていたように思う.しかしながら,上の吉田喜重の話を聞けば,小津の形式的な側面が,小津の映画の性格,時間の流れの在り方,今はもう亡い,という感情を映画化するための骨格となっていたことが分かるだろう.
 死の数週間前,小津は,すでに結婚していた岡田茉莉子と吉田喜重とを呼び寄せ,最後に「映画はドラマだ,アクシデントではない」と言ったという.アクシデント,あるいはハプニングは60年代の前衛芸術家が口にした合言葉でもあった.なるほど小津の映画にはアクシデントは起こらない.けれどもハリウッド的なクライマックス,物語のドラマ化から最も遠いところにいると思われていたのも,また小津ではなかったか.この言葉をどのように理解すればよいのか.吉田喜重は小津の死後40年たったいまでも,答を出せないでいるという.小津の映画.それは,ほとんどドキュメンタリーとも言えるようなタッチで日常の風景を描くものだった.その日常の繰り返しのなかに,どのようにドラマを見つけることができるのか.これはむしろ観客の視線の問題ではないだろうか.そしてこの言葉を最も深く受けとめたのが,参加者中最も若い監督の一人ペドロ・コスタではなかったか.劇映画だけでなく,ドキュメンタリーも監督しているこのポルトガルの監督は,小津の「映画はドラマだ,アクシデントではない」を自分の宿題としてこれからずっと考えていかなくてはならない,と神妙なおももちで語った.吉田喜重を通じて,小津の言葉がポルトガルの若い監督へと受け継がれる,その現場に立ち会えたことは,とても感動的な体験だった.
 このシンポジウムのレポートが朝日新聞12月17日夕刊に載せられている.興味をもたれた方はそちらをご覧いただきたい.参加者の発言を万遍なく拾ったもので,会の中心を占めた二人の監督の邂逅を取り逃がしている点が不満だけれど.
 また今回このシンポに参加した監督の新作が続々と公開される. 12月12日のこの日プレミア上映されたホウ・シャオシェンの『珈琲時光』は,一青窈,浅野忠信を起用している.上映期日は定かではないが,確実に日本公開されるはずなので,注目していて欲しい. そして12月11日が誕生日で,このシンポでも花束を贈呈された御歳95歳(小津と5年しか違わない!),世界最高の「現役」映画監督,ポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ.シンポでは,小津映画のセクシャルな側面に疑問を提示して,聴衆を驚かせまた呆然とさせた.100歳を手前にしてまだまだ元気だ.主演にカトリーヌ・ドヌーヴ,ジョン・マルコヴィッチを起用した新作『ア・トーキング・ピクチャー』が,来年日比谷シャンテシネにて公開が予定されている. また今回は急遽欠席したものの,『東京画』で小津に寄せたオマージュ映画を撮ったヴィム・ヴェンダースと,ヴィクトル・エリセが参加したオムニバス映画『人生のメビウス』が,12月13日より恵比寿ガーデンシネマで上映.寡作なヴィクトリ・エリセの待望の新作だ.この作品はコンピレーション・フィルム『10ミニッツ・オールダー』のうちの一本なのだが,もう一本が『イデアの森』で,日比谷シャンテシネにて12月20日より上映される.この『10ミニッツ・オールダー』参加者の顔ぶれが凄い.『人生のメビウス』には上記二人の他に,アキ・カウリスマキ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ジム・ジャームッシュ,スパイク・リー、チェン・カイコー、そしてもう一本『イデアの森』には,ヴェルナルド・ベルトルッチ,クレール・ドゥニ,マイケル・ラドフォード,ジャン=リュック・ゴダール等々.まさに映画の饗宴だ.
 最後にペドロ・コスタ監督だが,実は日本で,彼の作品が公開されたことはない.なのでぼくも,まだ一本もみたことがないのだけれど,彼自身はむちゃくちゃ二枚目でかっこいい.一緒に行った女友達は結婚したい!と言っていた.現在44歳で五本の映画を撮っている.その彼の,四作目『ヴァンダの部屋』が来年2月に東京のイメージ・フォーラムにて上映される.また来年春には特集上映も計画されていると聞く.小津安二郎/吉田喜重の言葉にもっともヴィヴィッドに反応していた彼の映画は,きっと素晴らしいに違いない.みんなでポルトガルの鬼才ペドロ・コスタを発見しよう.そしてまた,ぼくたちは吉田喜重の13年ぶりの新作に出会うという幸運にも今年恵まれた.タイトルは『鏡の女たち』.妻岡田茉莉子を主役に田中好子,一色紗英を配して,ヒロシマの原爆の記憶を巡る女たちの葛藤を撮り上げた作品だ.とくに一色紗英が素晴らしい.こちらは是非ビデオで見て欲しい.てかお願いだから見て下さい.

またこのシンポジウムの模様は朝日新聞より刊行されている.
amazon: 国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年「OZU 2003 」の記録

Posted by tdj at 2005年7月 3日 00:10