今、新しい本の執筆、校正におわれている。引用、参考文献の整理をするのが、本当に大変。ネット上でのセマンティック論文生成が望まれる。同じく関連して、Personal Archiveの時代に入ったのだと思った。Digitalで生まれ、Digitalで保存される情報の膨大きさに、どう対処していくのだろう。数十ギガの容量を持つパソコンも、あと2年ほどでテラの単位にいくだろう。イメージも映像も、音楽も、すべては0,1の符号。これらデータを外部環境が文字や音楽、画像として認識するだけの話。松下電器の丹野さんと話をした。
すでにビデオ・カムコーダーは、ギガ級のメモリーを内臓し、これまでのテープからサヨナラするそうだ。イメージバンクと映像バンクの個人ニーズも高まる。なぜならもはや個人の生産する情報も、マネージメントをインテリジェントなアーカイブ・サーバーにゆだねる時代に向かうかもしれない。
個人の記憶のストレージというニーズが高まるにつれ、ネット上でストレージを戦略とする企業やポータルの動きが気になります。個人でストレージ・サーバを持つことがまだ難しい現状では、どこかにストレージをゆだねる必要があり、そして、一旦ゆだねると他にデータを移動することが非常に億劫であることは明らかです。データの最低限のフォーマットを決めて、アウトプット、インプットのスキンは交換可能というのが望ましいと思います。
あるいはストレージサーバーが個人で携帯可能な大きさになり、それがネットにつながるという選択肢もあるのでしょうか?
スノウチ@武邑ゼミ
Posted by: sunouchi on October 23, 2002 12:52 AM「データの最低限のフォーマットを決めて、アウトプット、インプットのスキンは交換可能」というには非常に重要と思います。
当面は10秒程度の個人のサビ映像などを公開する映像blogなどが出てくるんじゃないかと思います。それと、映像のIndexingやタグなどで、チェーンド・クオーテーションなどが起こると、broadbandの意味もあるのかなと思ったりもします。