東洋街にこの資料館がある。
あるビルの確か3フロアで展示を見ることができる。
ブラジルへの移民の記録に関する資料である。
日系人という言葉を日本で聞き、その言葉は知っていたが、実態はまったく知らなかった。
当時の日本政府からは、おそらく肥沃なで広大な土地が用意され、十分に農業で暮らしていけるのだと説明があったのではないか。(なぜか勝手な推測)
希望を持ち、長い航海の末、ようやくブラジルに入港(サンパウロのサントス港など)したのだろう。
が、そこでの現実は、低賃金で、農夫としてコーヒー農園で労働するという、ひどく厳しいものだったようだ。
過酷な労働条件に加え、住環境の悪さ、ブラジル特有・熱帯特有の感染・発病があったことは想像に難くない。
「へぇー」情報
1.移民は船単位で行われ、そのときによって移住地が異なる。
2.おもに、ブラジル人(もしくは白人)の経営するプランテーション(コーヒーなど)で、農夫として働き生計を立てた。
3.日系人たちが持っていた養鶏技術は、今ではブラジルの養鶏の根幹となっている。
4.ブラジルの日系人は、現在約140万人である。
5.今でも日本人コミュニティーはある。(移民一世がいなくなりつつあり、その排他性は薄れつつあるが。)
6.養鶏をはじめとし、日系人と日本商社などとの関連はかなりある。
7.3世ともなると、日本語が話せない人も多々いる。
8.日本にいる日本人とはのりが違う。(サンパウロ定食屋で実感。異様に陽気。ポルトガル語が当然話せる。)
『ブラジルの日系移民事情 --- 問題視されがちな「世代の断絶」について 』
Posted by momo at 2005年04月02日 19:34