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2005年06月25日

tabatingaの街

空港はブラジル。
そこから、先は街がどうなっているかの情報がない。
目的はアマゾンの奥のほうへ船で行くこと。
タクシー客引きが激しい。
街での距離がわからないと交渉がつらい。
結局ぼられたのだろうけれど、街まで乗ることにした。
ペルーやコロンビアの国境ということで、スペイン語もいける。
これはいい。

三角地帯だからかなり寂れて人もいないのかと思っていたのだけれど、
まったく違っていた。
危険な感じなんてまったくない。
田舎の町と変わらない。
むしろ、貿易で栄えているのかな。

2005年06月19日

タバチンガまでの空

小型飛行機
タバチンガ
ブラジル・ペルー・コロンビア
国境

2005年05月24日

tabatingaへ。

ハンモックでゆるりと寝かしてもらい、朝早く、お父さんに起こされる。
本当にかたじけない。

夕べ、そういえば、先輩の弟に会う。
かなり似ている。うん。
というか彼の家で寝ていた。

朝7時半の飛行機に間に合うように、空港へ。
お父さんに、車で送ってもらう感じは、遅刻し気味な学生の、まるで実家。
あれは母親か。

まっ、いよいよ奥深くのジャングルへ。
天気は上々。
気分も上々。

お父さんとはしばしお別れ。

2005年04月29日

この男 この男 とつながり。

マナウス国際空港に到着したのだが、朝にはまたマナウスを離れる。
もっと奥アマゾンへ行くのだ。
いわゆるトランジット。
さて朝の飛行機まで、どこで睡眠を取るかと、寝られそうなベンチを探す。

今回は実はの話が二つほど。

実は、このマナウスには宿がある。
宿といってもホテルではなくって、知り合いの家だ。
先輩がマナウス出身ということで、この街を訪れるきっかけになったのだ。
そのお宅へは、奥アマゾンへ行った帰りにお世話になる予定だった。
残念ながら先輩は仕事の関係で、マナウスに戻ってこれなかったのだが、
先輩の父さんが、なんとこの飛行機の時間を知らせておいたため、迎えに来てくれていたのだ。

まったく初めて会う人だったんで顔がわからないのに、
日本人はこいつらしかいないなと思ったらしく、ベンチで寝転んでいるところに声をかけてきてくれた。
たった数時間の滞在のためだけでも、空港じゃつらいだろうということで、迎えに来てくれたのだ。
イヤーありがたい。
オブリガード!

実は、この男私と同じ旅程を行っている友人K.O.。
これまでも、何枚か私写っている写真を撮ってもらっていたのが彼だ。
3人で空港を後にし、先輩宅へ連れて行ってもらった。

そのときの、安らかなるハンモック寝の写真だ。

2005年04月24日

アマゾンへ

アマゾンの玄関口といえば、マナウスになる。
大ジャングル地帯にあって、都市人口約3百万人。
アマゾン河河口より1500キロ上流にある、アマゾナス州の州都だ。
魔都と呼ばれていた都市は世界にいくつかあるが、このマナウスもそのひとつ。
1900年前後をピークとする未曾有の生ゴム景気の時代、一攫千金をねらう人々の欲望が渦巻くマナウスは、魔都と呼ばれていたらしい。

夕刻発のマナウス行きの飛行機で、真夜中に到着。
果たしてどんなアマゾンと出会えるか!?

2005年04月23日

一路アマゾナスへ

トランジット時間のような短い時間だったけれど、サンパウロから出発する時間が来た。
地下鉄に乗って、レプブリカ広場へ。
エアポートバス乗り場で、バスを待つも、かなりの遅延状態。
飛行機の出発時間が来ているにもかかわらず、なかなか来ない。
痺れを切らして、待合室にいるバックパッカーに声をかけた。

こういう瞬間は、気ままなたびをしていて最も楽しい。
みんなのいろいろな思いがひとときだけ重なる、ネゴだ。

確かフランス人だったと思う、イヤアルジェンティノだったか、
タクシーを相乗りすることになった。
これでないと、きっと間に合わなかったと思う。
ナイス判断。

タクシーの中では、旅での女話で盛り上がる。
かっこいいやつで、納得できるけれど、それはそれはうらやましい話をしていた。

そんなつかの間のすげー話を聞き、空港に着く。
あっという間の出会いと別れ、またいつか。

無事にチェックイン。
次の目的地はどこか!?
そう、「ブラジルといえば、・・・」の場所、アマゾンだ!

2005年04月02日

ブラジル日本移民資料館

東洋街にこの資料館がある。
あるビルの確か3フロアで展示を見ることができる。
ブラジルへの移民の記録に関する資料である。

日系人という言葉を日本で聞き、その言葉は知っていたが、実態はまったく知らなかった。
当時の日本政府からは、おそらく肥沃なで広大な土地が用意され、十分に農業で暮らしていけるのだと説明があったのではないか。(なぜか勝手な推測)
希望を持ち、長い航海の末、ようやくブラジルに入港(サンパウロのサントス港など)したのだろう。
が、そこでの現実は、低賃金で、農夫としてコーヒー農園で労働するという、ひどく厳しいものだったようだ。
過酷な労働条件に加え、住環境の悪さ、ブラジル特有・熱帯特有の感染・発病があったことは想像に難くない。

「へぇー」情報
1.移民は船単位で行われ、そのときによって移住地が異なる。
2.おもに、ブラジル人(もしくは白人)の経営するプランテーション(コーヒーなど)で、農夫として働き生計を立てた。
3.日系人たちが持っていた養鶏技術は、今ではブラジルの養鶏の根幹となっている。
4.ブラジルの日系人は、現在約140万人である。
5.今でも日本人コミュニティーはある。(移民一世がいなくなりつつあり、その排他性は薄れつつあるが。)
6.養鶏をはじめとし、日系人と日本商社などとの関連はかなりある。
7.3世ともなると、日本語が話せない人も多々いる。
8.日本にいる日本人とはのりが違う。(サンパウロ定食屋で実感。異様に陽気。ポルトガル語が当然話せる。)

『ブラジルの日系移民事情 --- 問題視されがちな「世代の断絶」について 』

2005年03月19日

metro

日本との比較をしてしまう。
当然だ。
生活の基準と未知との遭遇を照らしあわせ、自分の位置を測るのだから。

メトロは、とっても殺風景で、まさに地下。
その標識だけがヴィヴィッドに、次の行く先を人々に知らせている。
人の流れが生まれる。
地下鉄が去っていく。
標識だけは、動かない。

2005年03月18日

街路と椅子

椅子は、街路に置かれている。
誰が座るのだろうか。
そこに、人のにおいを残しつつ。

2005年03月06日

オフィス街


サンパウロで、オフィス街っぽいところを今まで見ていなかった。
こんな感じだ。
この近くにこれまでの高級街が隣接している。
街路のグレーチングからは、地下鉄の運行とともに、風が突き上げてくる。

2005年02月27日

クチバシ建築

まるでクチバシのように、何かを捕らえる。
光、幅、風、電波?
それともお友達?

2005年02月20日

高級ショッピング街

表参道もものすごい勢いで、ブランドが並び、あとは安藤忠雄さんの同潤会跡が完成するのを待つばかりとなったが、ブラジルにもそういった類のものが軒を連ねる場所がある。

まずはここいらで、お金を確かめましょう。

 

おっさんはほっといて、

 

てな具合。

2005年02月12日

ホット

チリビーンズだからって・・・。 ブラジル大好き。

tabaco stop

タバコを吸う人はここにとまる。
何はなくともとまる。
そう、この場所が彼らのたまり場。

広告の源。
商売の源。

って、ゴミ箱だったか・・・。

2005年02月11日

奥へ奥へ


2005年01月29日

奥の方

この辺はすごいんだね。
奥が深い。
この辺ってどこかって言うと、地下鉄の駅であらわすとConsolação。
表参道あたりの感じ、ブランドがたくさん軒を連ねるのだ。
でも、奥が深い長屋がたくさん。
うなぎの寝床。

2005年01月16日

靴屋

とってもきれいに、靴が靴箱に入れられて、奥の奥の奥のほうまで続いている。
こんなに奥が深い建物を見ることはなかなかない。
なんだかこういう圧倒的に特徴のあるものを見るのはいいね。
こんな家があったら面白いと本当に思う。

2005年01月15日

赤の壁の

親父は陽気。

2005年01月03日

積荷

大体何やっているか見えているっていうのはとっても安心するね。
気分爽快都市。
この人がこうやって運んでんだ。
そしてこうやって売ってんだ。
スイカだ。でかいな。
ふーん。

2004年11月22日

坂と階段

  

このあたりは坂が多い。
東京の文京区とか。
もっと道も狭いけれど、坂と階段がある。

そして、そのテクスチャがおもしろい。
みんなの土地の個人のテクスチャ。

2004年11月21日

cafe


2004年11月07日

ゴミ箱


2004年11月03日

cafe

 


2004年11月02日

地下鉄


2004年11月01日

花壁


2004年10月31日

  

紫の花。
東洋人街の高速道路の脇でも、乱れ咲き。
そしてここでも、乱れ咲き

2004年10月30日

街角でまた


2004年10月21日

街角 売り場

京都鴨川のように等間隔。
競合他社のはなしは何処へやら。
よく、何処の国でも下町とか行ってしまうと、同じ職業の人たちが同じ場所で固まって商売をしている。
あれは、どうなの?
儲かるの?
違いはあるのかな?
まったく分からないけれど。
張り合いができて楽しそうではあるけれどね。
独占とかそんな話は要らなかったのかな?
ここにくれば、っていうのが庶民に伝わって、来てくれる。
それで、生きていったほうが賢明だったのか。
共同体としての認識とか。
でも、強いやつは居るよなー。
ヒエラルキーはあるか。
で、うまいことおこぼれもらいやすかったとか。
うーん。
今ではどうかな。
やり方次第か。
そして、よくあるこの売り場。
何処の国でもあるチケット売り。
これなに?
宝くじとふんでいるんだけれど。
何ヶ国もこういうやつ見てきたけれど、理解が進まない。
ちっ。

2004年10月18日

ある路地のバーガー屋の二階窓

zoom


2004年10月17日

日本語の宿案内看板

ここは空いている。

でも、このとき、このちかくの日本人宿は満室だったな。
長期滞在者はたくさんいるみたい。

青い壁

街の中に、こんなにも、濃い青。

2004年10月16日

模様

2004年10月14日

マンションの隙間

サンパウロの高層マンションの隙間。
店はあっても、ここを使っている人っていうのは、あまり多くない。
プライベートっぽい感じを受ける。
あんまり入ってはいけないような。
上からの光は気持ちいい。

2004年10月09日

東洋人街の寺。
寺っぽい寺。
寺っぽいっていうのは屋根が胡散臭い。
そういうときっと構造もなんだけど。

2004年10月03日

落書き

落書き。
街を彩る。
東洋を意識して、舞妓と忍者。

2004年10月01日

公衆電話

何処の国も。

2004年09月30日

東洋人街のお米

 

みたことないブランド米。
その名は「もみじ」やら、「みのる」やら、「ぎん」やら・・・。
銀米は表記がしっかりポル語で「GUIN」となっている。
ちょっとおもしろい。
ローマ字で読むと「グイン!」。
勢いのある米だ。

粒自体は、タイ米のよう。
違和感のある日本ぽさ。

日系人が作っているのだろうか?
北陸・東北出身の日系人は多いと聞くけれど。
それだとうれしいな。

2004年09月25日

強盗もの

    

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2004年09月22日

大衆食堂ーブラジル版ー

 

庶民のメシどころといった感じ。
そのレイアウトは、まるで日本の牛丼屋(今は豚丼屋になってるけどね)のそれそのもの。
牛丼屋が日本的即サービスを実現するための、日本ならではの、オリジナルなモノかと思っていた。
ブラジル人は決して忙しそうな感じはないのに、なぜこんなシステムなのか?
手抜きできるところは最大限利用しようということか。
(失礼そうに聞こえるけれども、敬意をもっていってんの。)

どの国へいっても、こういう大衆的な文化がある場所は、とてもにぎやかで、
時には濃すぎるくらいだけれど、いい。
わかりやすくって、きもちよくて、すっきり。
頭で考えることない。

2004年09月20日

定食

サンパウロ、リベルタージ広場から、ふらふらと、東洋人街を歩いた。
濶歩。
昼時になって、ご飯の場所を探る。
ブラジルについたばかりで、どちらかというとブラジル的な料理を欲していこうとしていたけれど、
日本料理がブラジルでどうなっているんだろうという興味と、
そのポテンシャルを感じる「木下」という日本料理屋に決めた。

大体定食は、R$25。
少々高いのは否めない。
その量はすごく、久々にしっかりとした食事をとることができた。
魚定食は、日本ではみたこともない魚が使われていて、
でかい!

この店にはやけにテンションの高い、日系三世(二世だったかも)が働いている。
その感じはムリに日本的な声だしをして、「へい、いらっしゃい!」。
日本から、日本人が訪れてくれたことに対して、かなり喜びを表現してくれ、
ブラジルと日本が出会うとこうなるのかと、そのかわり様に苦笑い。

でも、おもしろいけれどね、そういう人のほうが。
日本にも飲食関係で修行に来たことがあるそうで、新橋やらサラリーマンやらそんな分野の「論」をうれしそうに語っていた。

ごちそうさま、ありがとう。

中国のような高層建築

鉄筋コンクリートとレンガ
竹は見当たらない。

2004年09月11日

ココナッツ カー(車)

 

買い物の後なのか、
廃車なのか、
拾ったのか、
詰め込まれたのか、
ゴミ箱か、
なんなのか。

だいぶ南のほうか海に関係する人か、
八百屋か!

@サンパウロ東洋人街

2004年09月10日

欲望トラック

これはすごい。
子供にとっては宝の山だな。

@サンパウロ東洋人街

2004年08月21日

ブラジルの東洋の様子


鳥居がかなり目立つ。
紫の花が咲き誇っていた。
なんの花だろう?
東洋人街とはこういうところなのだという感じ.

2004年08月15日

東洋人街

日本人街だと思っていたけれど、
名前は東洋人街。
日本人ばかりではないみたい。
でも、日本人の影響力は一番大きいのではないかと感じた。

チャイナタウンは、世界中に沢山あるけれど、
日本人街というのはなかなかない。

ある国の街の形成には移民政策と深くかかわりがある。
日本もさまざまな国や地域に移民として日本人を送り出したが、
いまでは、成功しているといわれている日本人街は
世界にたったのふたつ。
ロスとここサンパウロ。
貴重。

2004年08月07日

地下鉄換気塔

地下鉄の換気塔と思われる建物。
なんだかかっこいいなと思う。
こういうものがどーんと街中にある。
モダニズムを感じる建物である。

2004年08月01日

サンパウロ・地下鉄

   

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2004年07月31日

サンパウロ市街

公衆電話のデザインと市民のその使い方がとてもかわいらしい。
雨の時には、傘代わり、雨宿り。
優雅な電話の時間。

2004年07月25日

お店


2004年06月26日

この感じ・・・

リパブリカ広場の近くをまずは、当てもなくふらつく。

あっ、この感じ、なんだか香港。
 

あっ、この感じ、オスカーニューマイヤー。

こんな感じがブラジルかーっ。

2004年06月12日

libro

本屋。
すごい物量。
彼にとってはとても気持ちいい場所なのだろう。
そんななかで、埋もれたい。

2004年06月06日

ビル-Praca da Republica近く-

 

2004年04月24日

サンパウロまでの道

空港から市内へ。
エアポートバスに乗る。
行き先はレプブリカ、サンパウロの中心あたり。
バスの座席はふかっとしていて快適。
順調。

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2004年04月18日

aeroporto sao paulo/guarulhos

20時間を越すフライトのすえ、ついにブラジルについた。
ついたところはサンパウロ。

ちょうど、トランジットで今度のフライトまではまだ時間がある。
街に出よう。
なんとなくここでもうラテンな感じ。
空港のエントランス付近はメキシコのメトロのようなトップライト。

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2004年04月16日

newark airport

一年半前にアメリカ経由でメキシコにいったが、この旅もまた、アメリカ経由となった。
トランジットは、ニューアーク国際空港。
5時間あまりのトランジット時間を何をして過ごそうかと、マンハッタンへ行くかと、
アムトラックステーションへ向ったのだが、
そこまでに、圧倒的なアメリカのハイウェイと駐車場に出会って、期待が薄れてしまったことと、
なんだか中途半端なのこり時間で、一体何処にいったよいのかも変わらなかったことと
そして、なにより、それまでの日本の生活がとても忙しくてあまり寝ていなかったことが
結局、空港に僕を留まらせた。
暇だった。
アイラブニューヨーク Tシャツを買いそうになったり、
マグカップを買いそうになったり、
美術品を買いそうになったり、
あまりに暇だと行動かおかしくなる。
かなり空港内の商品のラインナップについて、詳しくなってしまった。

     

2004年04月14日

ブラジルをめざして

沈黙を破って。
久し振りの旅だ。
2回目の南米だ。

黄色と緑のブラジル旅の始まり。

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