石橋を叩いて渡るよりも、石橋だと勝手に信じて、違ってたら慌てて叩いてみる。
大体、痛い目に遭う時ってこんな感じ。
「自分だけは大丈夫」「私ってつくづくラッキーだから」という理由なき自信に、嘲笑われる。
メコンデルタにあるカントーという町へ、水上マーケットを見に行きたかった。でも乗ったバスは、車とバイク以外何も見えない大きな国道のド真ん中で止まった。途方に暮れる私のバッグを、待ち構えていた数人のバイクタクシードライバーたちが奪い合う。敗者たちに囲まれながら、勝利した一人と筆談している私を"Can I help you?"と紳士な「POLICE」が助けてくれた。彼のバイクに飛び乗った。彼はヒュイ、「POLICE」と書かれたサングラスをかけた、メコン大学の英語の先生だった。彼はクーロンという村に家族と住んでいると言った。多く(九つ?)の支流(龍の頭?)に分かれるメコンはこの地域で「クーロン(九龍)」と呼ばれていると言った。そんな名前を持つ村に行きたいと思った。来るかと聞かれ頷いた。
彼の住む村へ、日本の援助で出来たという大きなクーロン橋を渡り、船で支流を超え、更なる支流をいくつもの石橋を渡って超え、垂れ下がるリュウガン(龍眼。ここでは「ライサー」と呼んでいた)の実を掻き分け、向かった。子沢山の犬と安達祐実に似た妹が驚きながらも喜んで迎えてくれた。お母さんは、「女の子がこんな所に一人で・・・」と不安のあまり涙を流した。村に一つというゲストハウスの様子を見に行ってくれたヒュイが「外人は泊めたことが無いと断られた」と戻って来た。彼の家に泊めてもらうことになった。お父さんが帰ってきて心底驚いた顔をした後しかめ面になり、ヒュイから訳を聞くと、満面の笑みで歓迎してくれた。食卓には優しく舌に馴染む味が並び、魚フライを骨ごと食べる私を見てすかさず、お母さんが骨を取り除いたものを皿の上に積み上げてくれた。朝が早いからと20時には板のベッドに彼の従弟と妹と一緒に横になった。暫くして誰かがやって来た。ヒュイが「authorityにdeclareしなきゃ」と言うのでパスポートを預けた。板のベッドは硬かったけれど、昼間の暑さと不安で疲労困憊だったのですぐ眠りについた。
これはほんとに石橋だった。彼らは優しさでできていた。
家族の存在は究極の安心剤だ。疑ってみればアブナイ状況も想像し得たことに、かなり後になって気付いた。
でもそう気付いた自分を心が歪んでいると反省する始末だった。
「自分だけは大丈夫」「私ってつくづくラッキーだから」という理由なき自信に、嘲笑われることもある。
と、心得ておかなきゃなと思った。
ハプニングに期待する心も、ケセラセラもいいけど、やっぱ女の子やし。日本人旅行者やし。
でもやっぱり、そんなこと気にする旅に、何の面白味があるのかと思う。
それでもやっぱり、自分を心配して待ってくれている人がある限り、払うことの出来ない義務があると思う。
うーんじゃあお金だけならいいか。命まで失うのはかなわんな。暫く堂々巡り。