March 11, 2014

2011年5月のこと<Kyoto, Japan>

震災から今日で3年になり、いろんなことを思い出してます。

そんな中でふと、2011年5月に当てもなく東北に向かったとき、新幹線で思いつくままに書いた文章があったのを思い出して再読。なんとなくあのときの揺れ動く気持ちを表してるものだなと感じ、今日を機会に、ここに載せてみようと思いました。個人的で、よくわからない部分もあるかと思いますが、そのまま載せます。

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8時22分発ののぞみに乗る。
席の埋まりぐらいは2割ぐらいか。連休とは思えない隙ぶり。
普段新幹線に乗るときでも、こんなにすいてることはなかったかも。
5席分使っても、全然問題ない。

新井敏記のSWITCH STORIESを読む。寿司おにぎりを食べながら。
ヴィムヴェンダース、井上陽水、吉田美和。彼らのインタビューの中に
自分の本の中にも取り込むべき要素がある気がする。自分はどう創作するのか、
文を書くのか。そんなことをこの本を読みながら考える。
名古屋に着くころに、もっちゃんから電話。そよが聞いてる。

自分にとっては今回の東北行きは、旅時代を思い出す行動。
取材っていう気持ちはなく、自分自身個人として、何かを感じなければいけない、
実感したいっていう衝動のような気持ち。みとかなければならない、っていう焦りみたいなものもある。できることを何かしたいっていう気持ちもある。楽しくやってることへの罪悪感、といってはいいすぎだけれど、わずかながらの後ろめたさのようなものもある。

現場を知らないからそんな気持ちが募るばかりなんだろうと思う。いま東北に行っても、現場を知ったことになるかはわからないけれど、少なくとも、今回の出来事について考えられることは、大きく広がることは間違いない。それは自分が旅をして、人と話して、っていうことを繰り返す中で実感してきたこと。自分が動き出すことで、何かが動き出すんだって。
......
新井敏記が、吉田美和と北海道の森の中を歩きながら風景を想像する。吉田美和の詞って、北海道の豊かな自然の、そして彼女にとってはすごく身近な風景の中からできてたんだ、ってことを初めて知る。言葉が天から降ってくる、と彼女は言う。すごいな、って思う。

涼しく、静かな森の様子を頭で思い描きながら、でも新幹線の外を見ると、目の前にもまた日本の、静かで美しい風景があることを知る。三島、小田原を過ぎたところでいま書いている。ずっと雲がかかっているけれど、いまちょっとだけそとが明るくなっている。厚く重みのある雲の間からふと太陽が顔を出している。きっと。

すれ違う人のそれぞれに、自分自身と同じだけの人生があることを最近よく不思議に思う。当たり前のことだけれど、でもやはり不思議な気がする。窓の外に立つずらりと並ぶ家、家、家。そのそれぞれの中に、家族がいて、物語がある。それを考えると、なんかふと気が遠くなりそうなときがある。

津波の中に飲み込まれていった車や家の中にもまたもちろん、命があり、物語があった。自分が35年余りでつむぎ上げてきた物語は、堅牢ではないけれど、でもそれなりの量があり、厚みもある。それはみな同じこと。それが一瞬にして奪われるのを見て、水の中に消えていくのを見て、いったい、こうして積み上げてきた物語っていったいなんなんだろう、って思った。
まもなく新横浜。
......
東京駅で買った新聞(東京新聞)を読み終えた。宇都宮を少し前に過ぎたので、いまは栃木か、それとも福島辺りだろうか。

11:08東京発のやまびこ259号。東京駅の雰囲気は、東海道新幹線を降りて東北新幹線の方にいくと、かなり雰囲気が違うように感じた。どこか中国の列車の駅のような印象。ちょっと暗くて、人々があわただしい感じ。ホームへの階段には、がんばろう!日本のポスター。がんばれ、がんばろう、という言葉への賛否は、二十年以上前、確か、俊子おばさんを見舞ったお母さんから聞いたのが最初だったように思うけれど、あれからそういう議論を聞くことは何度もありながらも、最終的には「がんばろう」という言葉がつかわれることが多い気がする。不思議なもんだと思う。
窓から見える東側の風景は、とても平和な日本の田舎。東京を出て以降は空が明るくなった。新幹線は満席ではなさそうだけれど、概ね席が埋まってる。京都から東京とは全然違う。のぼり、くだりの問題かもしれないけれど。

郡山を過ぎた。いま12時48分。一見、何も変わらないように見える風景が続く。緑色で、茶色で、木があって、畑があって、山があって、家があって。福島に間もなく着く。桜が咲いている。車が走ってる。

ニュースを見ていると、フクシマっていうと、すでに遠い別世界のように感じるときもある。でも、これだけある家の中で無数の人が暮らしている。それぞれに物語があり、人生がある。しかしたしかに、不思議なぐらい外に人の姿がない。

福島駅。連休中の駅前の繁華街らしきところに人の姿がひとりも見えない。外も気持ち良さそうな日なのに、河川敷のグラウンドにも人は誰もいなかった。いま、駅に止まっている。半分ぐらいの人がマスクをしている。花粉症なのかもしれない。いや、やはり放射能なのかな、って思う。
でもやはりこうして沢山の人が生活しているっていうことを見るだけでも、ニュースで見るだけとは違うことを感じられる。

フクシマと聞いて、危険と思う気持ち。それは自分がチェルノブイリって聞いたときに受ける印象ときっと同じ。旅をしてて思ったのは、危険危険といわれている場所でも、実際に行ってみると、メディアで聞いてたほど危険なことっていうのはじつはそれほど多くはないってこと。実際には、人が生活して、普通の日常がある。行ったら死ぬような場所って、本当はほとんどないんじゃないかと思う。戦場だって、レベルは違うにしても、どこもかしこも銃弾が飛び交っているわけではない。テロが連発するパキスタンから国境を越えてイランに来た旅人が言った。テロが多いっていっても、実際にテロの現場は探しても居合わせられるようなものではない。まちのほとんどは普通に日常が続いてるんだって。バンバリーであったイスラエル人もおなじことを言っていた。イスラエルはどこも危険なんていうのは全くのうそ。中国の「反日デモ」のときも、同じことを感じた。

 メディアを通じて出来事を見るのと、自分が行くのとではそれだけ印象に違いがある。だから、実際に行ってみることがとても大切。

ある場所についての出来事をニュースで見たとき、その場所について、メディアを通していない自分自身の体験を持っているかどうかで、そのニュースにどこまで興味を持てるかが大きく変わると思う。他国のニュースを見たとき、「ああ、あいつはどうしてるかな」って具体的に思い浮かべられる顔があるかどうか。その違いはとても大きい。
 だからいま自分も、東北に向かってるんだっていう気がする。これだけの出来事に対して、具体的に思い浮かべられる顔や名前を持ちたいから。固有名詞で出来事を感じたいから。

同時に、新井氏のCoccoインタビューを読む。沖縄でのインタビュー。インタビューされる人にとって、その人の原風景の中で語ってもらうってことはきっと大事なんだなって実感。吉田美和のときもそう。二人とも、東京でインタビューを受けてたら、応える内容も随分違ってたのかもなって思う。その人が生まれ育って場所が、いかにその人にとって重要なのか。だから、今回の震災でも、そう簡単にその土地を離れることはできないんだろうなって。自分はその辺フットワーク軽いと思ってるけれど、でもやはり旅は旅。帰る場所があるからこそ、安心して旅を出来るんだって思う。タシとディキが感じていたのときっと同じこと。帰る場所がなくなくてどこかに移住しなければならないというのとは全く違う。東北の人たちにとってもきっと、そう。
あと10分ほどで仙台に着くところ。
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(2011年5月某日 記)


Posted by ykon at March 11, 2014 11:33 PM | トラックバック
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