November 17, 2004

ビルマ報告(写真いっぱい)

こんにちは。
数日前にビルマから戻ってきました。
タイ側の国境の町メーサイからビルマに入り、タイ、ラオス、中国の三国にかこまれたビルマ東端部のみを訪れました。まずはタイ・ビルマのビルマ側の国境の町タチレクから、車で4時間ほど北上しチャイントンへ。そこに4日間宿泊しながら、さらに北部、中国との国境の町、モンラーにも足を伸ばしました。

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(宿の屋上から見たチャイントンの町。結構都会でしたが、ちょっといくとすぐ山)

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(宿の前に毎朝出る朝市。山岳民族も民族衣装を着て買い物をしたりしていました。カメラをむけると嫌がられたので写真はありませんが…)

本当はもっと長くいようと思っていたのですが、自由に移動することができない(町の外へと移動する場合は、常に現地人のドライバーとともにイミグレーションに行って許可書をもらうなどの手続きが必要、またバイクが借りられない)、見られる場所が限られているなどのため、早めに切り上げてしまいました。

しかし、たった5日間でしたが、ビルマはタイとはまた全然違った場所で興味が尽きませんでした。

この東端部は、以前はビルマ国内でももっとも隔離され開発の進んでいない場所といわれていたようですが、今では、タイ国境からきれいな道が出来上がっているため、随分と町は変わったようです。特にタイ人観光客が多いようで、町には、宿、ホテルも多数ありました。ぼくらが泊まったもっとも安いと思われる宿(一人US5ドル:タイの安宿の2倍ぐらい)も、まだ新しいのか、部屋はかなりきれいで驚きました。とはいっても、チャイントンの町自体は、タイに比べて観光客などはとても少なく、東ティモールを思い出させる雰囲気ではありました。

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(チャイントン郊外で毎週2回行なわれるバッファローマーケット。この日は100頭くらいいました)

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(町のマーケットで。豚のいろいろな部分が売られていました。顔、足、臓器がそのまま、ドン!)

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(お赤飯のようなものも。甘かったです)

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(卵豆腐にヌードルを混ぜたもの。これで25円くらい)

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(修行僧とトゥクトゥク。ビルマ国内にもタイと同じオレンジのローブを着た僧がいる。その違いは不明)

この付近は、ビルマとはいえいくつもの少数民族が交じり合って暮らしているため、主に話されている言葉はビルマ語ではありません。この辺に多い、シャン族の言葉・シャン語や中国語、タイ語などが入り混じっているため、もう何語を使っていいか分からず、ぼくらは、英語か、ちょっと話せる中国語などを使っていました。でもタイ語が全く分からないぼくらにとっては、タイよりも意思疎通はできたように思いました。

中国との国境の町はモンラーというのですが、そこは、通貨も中国元、言語は雲南語で、すでに中国のような場所でした。国境からいくつもの観光バスが多くの中国人観光客を乗せてやってきて、土産物屋での中国人同士の激しいやり取りには、まさに中国を肌で感じた気がしました。そして初めて、中国の地に足を踏み入れたのです。オーストラリアから徐々に北上してついに中国まで来たことを実感し、なかなか感激でした。

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(モンラから中国への国境向こう側が中国のノーマンズランド)

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(中国側で記念撮影する中国人観光客)

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(中国側で久しぶりのツーショット。私たちのほか3人と車をシェアしたので、そのうちの一人に撮ってもらいました。ちなみに3人のうち2人は偶然にもジャーナリスト。でもジャーナリストやライターだとかいうことはビルマ国内で知られるとまずい)

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(これはビルマ側にある仏教寺院。中国人観光客でいっぱい)

ビルマは、おそらく全般的にいって旅行者にとっては全く問題なく安全に旅行のできるところのようです。今回の滞在でぼくらが感じたのも、そんな平穏な雰囲気でした。

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(ビルマの修行僧はエンジ色のローブを着ています)

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(イギリス統治時代からある教会<でもこれはイタリア人によるもの>。この横には多くの孤児が暮らしています。後すぐ後ろには、大きな仏像が)

しかし、「快適で平穏な国」という多くの観光客にとってのイメージは、決してビルマという国の本当の姿ではないことは確かなようです。軍事独裁政権が力を握るこの国では、観光客の目に触れない場所で多くの人権侵害が行なわれ、まだまだ少数民族とビルマ国軍との戦いが続くところもあります。そのためにビルマ国軍から逃げ回って暮らす「国内避難民」は100万人ともいわれるし、タイから続くきれいな道も、強制労働などによって作られたのかもしれないと思うと、それの上を快適に走ることに複雑な思いがします。

また、中国との国境の町モンラーは、ワ族という民族が、ビルマ国軍に対しての抵抗闘争の結果、自治権を得ている特別な場所で、そこはビルマ国内でありながら、他の地域との間に「国境」があります。そしてその地区の中には、ビルマ国軍も武器を持って入ることはできず、その代わりにワ族の兵隊たちがいます。

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(ワ族自治区への「国境」)

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(このバーの向こうがワ自治区)

しかし、先月のビルマ政府の政変(穏健派<=民主化に理解を示す派>の首相らが更迭され、強硬派<=より独裁色が濃い>が牛耳るようになった)によって、今後この自治区がどうなるかも分からないようです。

とにかくビルマは、とてもいろいろな問題を抱えていて、今後の行方が気になります。最近、ビルマについてはいろいろと知る機会が多く、ますます興味が出てきたので、来年もっと長く滞在するのを楽しみにしてます。

今は、タイ・ラオスの国境の町チェンコンにいて、明日ラオスへ渡り、その後中国へ抜け、香港を目指します。そして年末年始の一時帰国のために、日本へ一度飛ぶつもりです。
それでは、そんなところで。

雄生・素子

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(中国側のトイレ。噂には聞いていたけれど……!)

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(ビルマにもこんなトイレがありました。これはもちろん男性用)

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(同じ場所にあった女性用……。さすがにこれにはびっくり。でもこの隣には普通のトイレがありました)

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(バッファローマーケットに行く途中で)


Posted by ykon at November 17, 2004 8:18 PM | トラックバック
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