January 21, 2005

兵庫県川西市出身古田敦也

古田敦也は兵庫県川西市の出身である。彼の出身川西明峰高校はわが川西緑台高校の隣だ。というわけで今話題になっている古田敦也のblogにトラックバックしてみました。やってみたかったんでトラックバック。川西市というのは微妙な土地で兵庫県の一番東の縁に位置していながら市外局番は大阪府側と一緒、買い物に出るのも神戸ではなく梅田という大阪の衛星都市だった。しかし兵庫県、というどこか冷めた気分が何となくある。隣接する宝塚・伊丹のような知名度もない。あまり郷土愛や愛校心といったものが育まれない土地柄だろうか。無論ぼくにもあまりない。歴史視点では一応旧摂津国で縄文時代の遺跡加茂遺跡があったり古墳があったり清和源氏発祥の地多田神社があって毎年源氏祭りを開催したり(ミス川西が巴御前)豊臣秀吉の銀山があったり(中学時代探検に行ったら傍らに何故か尼子十勇士筆頭山中鹿之介の墓があった。なんでまた彼は畿内まで来てこんなところに埋葬されたんだ?)世界に二体しかないというナイチンゲール像があったりと面白いところなんだけどね。

そんな川西市のおそらく唯一の有名人が古田敦也だ。彼は毎年実家に帰ってチャリティーゴルフを開催したり、地元のいい店に行ってみると彼のサインボールが決まって置いてあったりとちょっとした名士だ。ぼくの高校時代にはアステ川西でサイン会もやってたな。そんな縁で基本的には阪神ファンだが90年代は古田とともにヤクルトも応援した。彼が首位打者獲ったり盗塁阻止率が5割を超えてたなんてもうみんな忘れただろう。ヤクルトー西武の日本シリーズなんてしびれた。岡林が懐かしい。あの頃の野村監督は毎年エースを潰しながら隔年優勝というペースでしたね。酷い話だ。それでもピッチャーの供給が追いつくのはよほどスカウトがいいに違いない。10年経って大打者大監督から小さな大打者監督に変わってもそれなりに安定しているのもチームとしての強さを感じさせる。石井も高津も野村に潰されなかったんだからメジャーくらい活躍できるだろう。強かったなあヤクルト弱かったなあ阪神。神宮のヤー阪戦もよく行った。神宮はいい球場だ。甲子園の次だけどね。何より屋根がないのがいい。ドーム球場なんていう芝も育たない室内グラウンドで野球をする神経を疑う。巨人には「月に向かって打て」なんていうロマネスクな言葉が響く情緒はもうないんだろう。巨人だからこそそんな熱い歴史が溢れていようものを『アストロ球団』や『巨人の星』にしかもう伝統の読売巨人軍は存在しないのだろうか。あんな低い天井にボールが当たっただの三階席の看板にあたっただの馬鹿な話である。白球は夜空に消えて行くものだ。神宮では基本的に外野席に座って新庄の広い背中と背番号5番を眺めるのが目的で、一度でもバックホームを彼が投げれば満足というだらしのないファンだった。外野席からは古田は小さすぎた。というわけで将来はえらい学者になって「広報かわにし」とかで間近から対談したいですね。そういえば川西出身の有名人、キングコングの西野が同じ高校だ。兄貴が同級生だったな。

Posted by tdj at January 21, 2005 05:14 AM | トラックバック
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