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2003年11月21日

チャイナタウン

チャイナタウンからチャイナタウンを結ぶこのバスの存在は驚くべきことかもしれない。
いわば、アメリカを通さずにアメリカの中の中国が結びついている証ととれるからだ。

これまで多くの国を訪れたが、大都市にはチャイナタウンというところはたいていある。
華僑人たちがつくったまちだ。

旅する黄色人といえば、日本人を筆頭に韓国人、香港人となってくるわけだけれど、
どれの民族も相当な大都市にしか集住していない。
それに反して、旅する中国人はほとんどいない。
みんなそこに定住している。
行く先々で中華流をあらわにして集住している。
そして、町ではチャイナタウンとして認識され、地図上にも現れてくる。

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2003年11月20日

from 波士頓 to 紐約

次の日、ボストンを出た。
朝早めに友人と別れて、バス乗り場まで行く。
チャイナタウンから出発するバスはやすい。
最安値でボストンニューヨーク間を往復20ドルで走る。

初めてのチャイナタウンなだけに相当迷った。
何処にバスがあるのかまったく分からなかったし、
そこら中が工事で乗り場を変更しているかもしれなかった。
日本人は漢字が読めるからいい。
それでも人に聞いて、チケットを買い、バスに乗った。
安心。
乗っているのはチャイナ系。
白人はなかなか利用しない。

チケットはパン屋の脇で売っていた。
他にもあったのだろうけれど、見つけられたのはここひとつだけ。
ついでに、朝飯のパンを買った。

2003年11月18日

sayonara boston

ロブスターを友人と食し満足したころ、
ボストン滞在中、よく付き合ってくれたMIT建築学科のTaliとAliが会いに来てくれた。
そのこと自体がとてもうれしかった。
また相当なノリでコミュニケーション。
夜遅くのカフェで、時間を過ごす。
楽しい時間はすぐ終わる。
さみしさもあるけど、またあえるだろう。
きっと。

そう、また会いにくるさ。
そして、ハグをしてsayonara。

みんな本当にアリガトウ!!

2003年11月14日

ロブスター

 

ロブスターを探す。
ロブスターをハヴァードスクウェアーで発見。
ロブスター屋に入る。
ロブスターが水槽に飼われている。
ロブスターを注文する。
あかい!
ロブスターが茹で上がってる。
ロブスターを叩き割る。
ロブスターにバターとレモンをひっかける。
ロブスターをほおばる。
ロブスターは豪快だ。
味なんて関係ない!
ロブスターとの戦いだ。

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2003年11月12日

SS イラスト

誰が書いたイラストか知らないが、友人SSの机にあった。
とてもうまい。
SSの特徴を良く捉えている。

2003年11月11日

エネルギー

旅をするにはエネルギーがいる。
そのエネルギーは旅をする国々によって違ってくるだろう。
ここ、アメリカはボストンでのエネルギー。
banana+ZonePerfect Apple Cinnamon Crunch+dollar+PC

zone perfect はなかなかうまい。
全部で13種類。

2003年11月09日

baker house

夕日を見ながら、ハーバード橋を渡り、マサチューセッツアヴェニューを進むともうそこはmitだ。
近くにはそこの学部生の寄宿舎であるベイカーハウスがある。
これはフィンランドの建築家アルヴァ・アアルトによって設計された集合集宅だ。
細長い建築が蛇行する平面を持っていることがこと特徴で、チャールズ川側に個室があり、それが展望可能であり、窓の外には美しい景色が広がる。

個人的にすみたいというイメージの中に、「川ぎわ」がある。
川ぎわの軽い感じのコーポの2階。
そんなとこで川を見ながら生活したい。
もちろん川はよどみがないものであって欲しい。

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2003年11月06日

back bay

このバックベイは、もともと海だったところ。
それを人口増加に伴い埋立地にし、土地を増やした。
そして、そこに平行に並ぶ建築物を建造し、
いまアパートになっている。
メインストリートには、様々な店舗が並び、昔の遊歩者でも現れるような雰囲気をもつ。
計画が近代にありながら、歴史を感じる。
そんなところだった。

2003年11月05日

ダウンタウン ボストン

ハーバード大学の見学を終えてから、地下鉄に乗ってボストンのダウンタウンへ。
これで二回目のダウンタウン。
stateという駅で下車。
大きさからするとダウンタウンという感覚がまだ分かるところだ。
近くにはfaneuil hall marketplace という、それぞれ100mくらいある三つの倉庫がある間隔で平行に並んだ建築を改装して、フードセンターになっている。
ここは、町のリノヴェーションとして成功した例として知られる。
このときも多くの人たちが来ていて、とてもにぎやかだった。

そこからウォーターフロントのほうに向うと、港のガランとしたあまり人気のないところにでた。
とてもさみしい感じのする部分とにぎやかな部分は大きな道路を挟んで対照的に存在する。
港はあくまで輸送手段としてあり、そこに来る不特定多数の人を温かく迎える施設は併設されていない。
そして、夕暮れ時になって、とってもからっとした、ますますさみしげな他の町になった。

でも旅をしていると、ときにそれがとても気持ちいい。

2003年11月04日

Harvard Graduate Center

あのグロピウスの建築がハーバードにある。
寮だ。
住んでみたい。
でないと良さは分からない。


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2003年11月03日

Gund Hall

ハーバード大学の建築学科HDSが入っている建物がこのGund Hall。
屋根と内部の段段のあいだが個人の作業スペースになっていた。
一階のホールは展示もできるスペースになっていて、建築学科っていうイメージがなかった。
このホールには食堂もついている。

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2003年11月02日

カーペンターセンター、ハーバード大学


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2003年11月01日

ボストンのまちへ

次の日、初めてボストンの中心部に出かけた。
それまで、忙しく旅をしていた疲れと、友人の落ち着ける家があるっていうことで、
行動の勢いが止まり、ゆったりした時間を過ごしていて、あまりであるいていなかったのだ。

ボストンはアメリカにヨーロッパ人が来て始めてできた町で、
実はアメリカとしての歴史が一番長いところ。
京都市とは姉妹都市の提携を結んでいるしな。

Kendallから隣の駅Charlesへ。
ここを降りるとBeacon Hillと呼ばれる地区がある。
この丘のふもとの大きな通り、Charles St.を歩く。
いろんな店があるが、ちょうど昼ご飯を何にしようかという時間。
せっかくなのでうまいというところに行きたい。
混んでいて少し待たなければならなかったが、
友人の友人KSさんのお薦めでFigsというピザ屋に入った。
ピザを何枚か頼のむ。
無花果と生ハムのピザ、初めて食べたが相当うまかった!
また食べたい。

そして、Public Gardenを通って、BackBayあたりを歩く。
おそらく歩いていたのは、そこの大通りNewberry St.だと思う。
ここも様々ショッピングし放題である。
ふらふらとよりながら、見物。

本屋と一緒になったカフェで休憩。
ほんとなんとも穏やかな日だ。

町を歩き、ますます最初にあったアメリカに対する先入観を忘れて、
完全に暮らせるなと思った。
もはや快適さを感じるくらいになってきていた。
それは友人や友人の友人によるところが大きいのだが・・・。

2003年10月31日

パスタ

この日の夜はパスタを用意。
チキンブロッコリースパゲッティー。
クリームのパスタ。

おいしい。

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2003年10月30日

MIT media lab

次の日。
メディアラボへ。
たいした知識はなかったのでそれが有名とも知らなかった。
ウィリアム.J.ミッチェルである。
ここで、邦画名「レオン」を編集する。
それは友人の課題で、あるひとつの映画を編集して新しいストーリーを作るというもの。
そのひとつの映画っていうのを「レオン」したらしい。
で、初めて知ったのだけれど、「レオン」って本名は「The Profesional」。
驚く。
動画の編集なんて建築学科にはない。ということだ。
生きている領域が違う。

ギリシア系の学生が建築学科にいたんだけれど、やっぱりギリシアっていう古代の顔してんだよね。
そいつはとてもわがままで。うるさく。
何度もこれでどうよみたいな感じで話し掛けてくるわけ。
対応が大変たらありゃしない。


2003年10月28日

夕食。

夕食へ。
携帯電話を持っていないからとっても不便なことに友人へのアクセスが困難だったのを思い出した。
毎回のことですが、電話すらままならない状態になる海外です。

で、友人とは無事再会し、もう一人増えて3人でご飯へ。
前日にボストンに到着したのですが、夜だったのでまったく店もやっておらず、
今日は初めての外食ということになりました。
イタリアンへ。
NYCのようなリトルイタリアなんてないけれど、なんとなくうまそうに見えるイタリア屋です。
しかし味はたいしたことありませんでした。
値段のせいということもあるのでしょう。

今日は英語しゃべれないこと実感バリバリショックデーでした。
それはうつくしい人のせいでした。

2003年10月27日

MIT stata center

MITには、本当に有名建築家が設計した建築が多いと思う。
またべつのけんちくをみにゆく。
simmons hallの裏手に東西に走る線路があるが、これと平行なvassar stを東側にゆき、
10分ほど歩いたところにあるのがこのMIT stata centerだ。
去年の10月にはまだ建設中で躯体とすこしのカーテンウオl-ルが見えている状態だった。
それだけでも、だれのせっけいかがわかる。
形態の特徴のおかげだ。
彼の名はフランク・O・ゲーリー。

あいかわらずのひねくれた彼の形の操作はどこまでか。
何を基準にあの形になるのか。
グリッドに添わない形の決め方とランダムの決定は悩ましい。
彼の作品のひとつビルバオを褒める人は多いが、
リチャードセラなんかの作品があるあのとても長い空間をもてる敷地条件もとてもよかったのだと思う。
それを生かせているというのが正解か。
しかし中身よりも外見という気もする。
とにかくこんな非効率なものを実際に設計し、図面に出し、施工し、完成していることがすごい。

 
  

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2003年10月26日

SIMMONS HALL

さて、次の建築はサイモンズホール
用途は学部生の住居。
最近(訪れた当時)、できたばかりの建築だった。
基本的にはプレキャストコンクリートのカーテンウォールが正方形格子になっていて、
建築全体としては直方体の一部をそれより小さな直方体で貫いた形状をしている。
そのほかには曲面状の立体がこれに挿入されていて、
それが光をいれたり、階段を入れたりと建築要素のポイントとなっている。
ポーラス状と言うのはなかなかありがちなタイプではあって、それ自体にたいした驚きはなかったが、
それの使い方によっては、かなり多様な表情を空間に作れるかもしれない。

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2003年10月24日

MIT チャペル

友人とはしばしお別れをし、周辺の探検へ。
MITの敷地内にあるチャペル
建築雑誌で見たあの天井から光が降り注ぐ、でなんかひらひらしたのが飛んでる、とても神聖な写真。
とても神聖に見えて、とても写真には思えず、現実ではないっていうくらい。
それを目にすることができた。
それがここにあるっていうこと、それがうれしく思える。

  
  

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2003年10月21日

ラップに出会う

そして、なんだかんだと昼になる。
昼飯はどうしているのか。

僕はそこで、新しい食べ物とであった。
日本でいう弁当という感覚だと思われるけれど、
それはラップ(wrap)というサンドウィッチのような構成で、
とうもろこしの粉で作ったトルティーヤに、肉、魚介、野菜などをその名の通り包んだもの。
アメリカサイズというのか、なかなかの量があって、それだけで十分腹は満たされる。
値段は$3.5くらいだった。

これが大学のキャンパスを二分する道路に屋台ででる。
ここでいう屋台とはよく渋谷で見かけるクレープやケバブを売っているワゴンのようなものだ。

今日は俺がパシルということで、3人分の飯を買いにラップ屋へ。
そこで注文です。
まあうまくいかず、手間がかかった。
英語は通じないしね。
困った困った。
初めてのお使いみたいなそんな感じ。
でも、周りの人はわかってくれない。あたりまえだけれど。

その味がうまかった。
キャンパスライフってえやつね。

2003年10月20日

シリアルとコーヒーで朝を食べ、SS(友達の名)の通う学校へ。
アメリカの大学がどんなんなのかを知りたかった。

あんまり変わらないかなと思う。
メインエントランスと思われる建物(rogers building)は、ギリシア風で落ち着いた色のコラムとペディメントで構成されている。
奥は暗くそう容易には受け付けない感じが、僕のかよう大学の建物と同じである。

大きな吹き抜けがあり、トップは円形の屋根をしている。
古びれたエレヴェーターで4階へ。
そこが建築学科のスタジオがあるところだ。
個人個人に製図や模型作りなどできるスペースが用意され、それがスタジオを埋めている。

SSの周りの友達を紹介してもらった。
英語が話せないと本当に実感して、相変わらずのジェスチャー&ノリでカヴァー。
こういうのはとても好きだけれど。
そういえば、同年代の外国人と接するっていうのはなかなかなくって、
大学でもそういうことはあまりなかった。
というのはある程度日本語がしゃべれたのだ。
しかもネイティブはいなかった。
そういう経験を初めてできたということをとても感謝している。
そして、帰国であるとはいえSSが本当に英語を理解ししゃべれている現実にマジで?とただただうらやましく、
すこし日本人ではない感覚を持っているのだという確信を得た。

驚きがたくさんある素晴らしい朝だった。

2003年10月16日

で、ボストンの夜へ。

友達に会えた。
彼に出会って、初めて本当に彼がボストンにいるのだと実感した。
なんか不思議な感じ。
つい一ヶ月前くらいには、日本の新百合を拠点としていたのだから・・・。

で、無事に出会えてからは、もう相当に受身で、つれられるがままに従った。

先進国の大都会は何がいいって、空港から町へ出るのに基本的には交通手段が選べるということ。
自分にとって初めての土地は必ず自分がパイオニアにならざるを得ないから、
そういう状況でどう、その国に対応していくかが、飛行機を降りて空港を出たところで問われる。

地下鉄に乗る。たいてい一番安い。
そして乗降車がとてもわかりやすい。

ボストンの地下鉄はもう真っ暗だったのが、それを想起させたのかもしれないけれど、
ロンドンのチューブにとっても雰囲気が似ていた。
何かの感じが日本の地下鉄とは違うのだけれどうまく表現できない。
より多くの外部(地上)を地下鉄で両方体験できるということかな?

彼の住まいへ
もうたいていの店は閉まっていたから、スーパーへ行く。
スーパーってのは本当に楽しい。
馬鹿みたいに大きなサイズの規格がそろってた。

レジか感動したんだよね。
自分でレジができるのね。
カード化は進んでて。

そう、意外ともうこの時点で自分もアメリカに住めるかもと、
あれほどのアメリカアレルギーが消えていた。

2003年10月12日

ボストン空港

ボストンはローガン空港
初めて、アメリカの大地に降り立つんだ。
意気込んでいたけれど、なんかチョット違った。
友達に迎えに来てもらうことを約束し、アメリカにきた。
搭乗便を伝えるだけで、出口ゲートが分かって、きっとすぐ出会えると思っていた。

ここらでは飛行機の利用がどうやらもっと日常なのだと思った。
国内線ではゲートはなく、搭乗ゲートまで一般人でも入れるようになっている。
国内線で到着した後は、なんだかずるずると空港の外につながる感じがする。

お迎えはいつ何処でするのだろう。

そんな出会う場所の設定を理解できず、また、
ちょうどターミナル拡張中で工事中。
なんだか複雑で、
見渡しがきかない夜。

友達は何処?
あなたはどこ?
私は見知らぬ土地で彷徨っているのに・・・。
はやくわたしをみつけて・・・。

そんな気分で、焦って捜し歩きまわって、30分。

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2003年10月11日

boston, just one year ago

これは偶然だけれど、ちょうど一年前、ボストンにいた。
だからこの話をこれからしていこうと思う。

到着日は10月9日夜。
もうすっかりボストンは寒かった。

なぜボストンにいったのか?
こんな話を書くくらいだから、ボストンが好きという先入観があるかもしれない。
でも実は、根っからアメリカという国に対して魅力を感じていなかったし、むしろ腹立たしいくらいに感じていた。
それは彼らが物質偏向主義であるといううわさと、
英語が世界の共通語になりつつ、いや、しようとしているという経済大国ぶりのせいだった。
これまで数多くの国や都市を訪れてきたけれど、本当に惹かれなかったのが実はアメリカ合衆国で、
ゼッタイ行かないでおこうとしていたし、仕事したらなんだかの形で行かなくてはならなくなるというありふれた気があって、
そこに費やす時間をあえて設けようとしなかった。

そんな状況だったのに、友達がアメリカに行くという決意をした。
何であの国に行くのかわけなんてわからなかったのだけれど、
何かといわゆる最先端らしいし、
英語っていうやつがどうも苦手で、
いづれはアメリカに対してなんらかの作戦を練らなきゃいけないという律儀な部分が僕にも残っていたから、
そして、彼がいるという安心感と期待感で、アメリカの地を踏むことに決めた。

初めてのアメリカ。
それが行ってみて、体験してみて、本当は茎や葉ぐらいから嫌いというのがいってみて分かることになる。
自分に対して恥ずかしさを感じるほど印象が変わったんだ。