May 9, 2003

ウェブログに見る日米個人サイトコミュニティ事情

ZDNN:アンカーデスク 2003年5月7日 07:28 PM 更新

その言葉がニュースに登場しない日はないほど、話題になっているブログ(ウェブログ)。だが、日本での普及はまだまだという感がある。この差はどこからくるのか、そしてこれから普及する可能性はあるのか。ウェブログを軸に、日米個人サイトを取り巻く状況の違いを考えてみたい

 「ウェブログ(Weblog)」、または「ブログ(blog)」と呼ばれる個人運営のWebサイトが海外のニュースサイトを中心に話題になってからずいぶん経つ。

 「個人のWeb日記」から「興味深いWebサイトへのリンクリスト」、あるいは「新しいジャーナリズム」まで、書き手によってさまざまに定義されるウェブログだが、もともとは1997年から1998年にかけて、米国のネットユーザーたちがネットサーフィン中に発見した面白いWebページへのリンクリストをWebサイト上でまとめ、日々更新するようになったのが始まりだ。

 Webコンテンツが加速度的に増加する中、豊富なWeb資源の中から個人の視点で面白いページをピックアップするウェブログは、読者にとってWWWの大海における羅針盤的な役割を果たし、同時発生的にこの種のサイトが立ち現れるようになった。1999年初めには数十のウェブログがコミュニティを形成するまでに成長した。

 もっともウェブログがこれだけのものならば、現在のように海外のニュースサイトや新聞・テレビなどのマスメディアでひんぱんに取り上げられ、話題を集めることはなかっただろう。実際、これらの翻訳記事を読んで「日本の個人サイトとどう違うのか」といぶかしむ日本のネットユーザーも多い。

 そこで本稿では、日本と米国の個人サイトコミュニティの成立事情を振り返り、ウェブログと日本の個人サイトはどう違うのか、あるいはウェブログ文化が日本のWeb文化に何をもたらしうるかについて考えてみたい。


ウェブログはなぜ注目を集めたか

 日米Web文化の草創期を振り返るときに、大きく事情を異にするのが商用オンライン・マガジンの存在である。

 インターネット先進国である米国では、早くから高品質なオンライン・マガジンがいくつも登場し、Web上で大きな存在感を放っていた。1994年には早くも「HotWired」が、1995年には政治から文芸まで扱う総合文化誌「Salon」、マイクロソフトが支援する「Slate」、技術系ニュースサイト「CNET」がスタートした。

 こうした媒体での執筆活動を生業にするオンライン・ジャーナリストなる職業も成立するほど、企業主導のオンライン・マガジン文化は隆盛を誇っており、コンテンツ、デザインともに見劣りせざるを得ない個人運営のWebサイトが注目を集めることはまれであった。

 一方日本では、1994~1995年のWeb黎明期において商用オンライン・マガジンに米国ほどの投資を行う企業はほとんど存在しなかったために、必然的に個人の趣味で運営される小規模なサイトが初期のWeb文化を担うこととなった。

 その中でも目立った活動をしていた若者たちがメーリングリストを中心に互いに連絡を取り合うようになり、結果として早くから個人サイト・コミュニティが育まれていった。これらのコミュニティはネット人口が増えるにつれて次々に分裂していき、今に至るまで細分化された幾多のコミュニティがWeb上に遍在している。

 日本のWeb黎明期を同人誌マーケットにたとえるなら、かつての米国で個人サイトを運営するということは、商用雑誌がズラリと並べられた書店で同人誌を売るようなものだったに違いない。

 この流れに一石を投じたのがウェブログである。もはやすべてを把握できるひとはいないほどにWebコンテンツがあふれてきたとき、個人の趣味に沿うページを紹介するWebコンテンツ・ナビゲーターとしてのウェブログが、初めて個人サイトとして注目を浴びるようになったのだ。


ウェブログの発展

 1999年、米国初の大規模な個人サイト・コミュニティとして立ち上がったウェブログは、その後も順調に読者と同好のサイトを集めて成長し、やがて商用オンライン・マガジンのライターや編集者たちの目に触れるようになった。

 そして彼らはウェブログを批判した。それらはあまりに子供じみていて、そのくせ尊大で(ときには企業ニュースサイトの記事に難癖をつけることがあったからだ)、リンクを張るだけの手軽さでプロが苦心して作り上げたWebコンテンツと渡り合おうとしている忌々しい存在に見えたのだ。

 もちろんこれらの批判にウェブログ・コミュニティの住人たちは反発し、一つの批判記事をめぐって大いに議論を戦わせた。この議論もまた、彼らの結束を固める下地になった。

ブログツールの登場

 この時点ではネットマニアによる箱庭的なムーブメントに過ぎなかったウェブログだが、この流れを大きく変えたのが、1999年8月に登場したCGIによるウェブログ作成ツール「Blogger」である。

 BloggerがそれまでのWeb日記作成ツールに比べ画期的だったのは、商用オンラインマガジンや企業ニュースサイトに近いインタフェースを提供していたことだ。

 トップページを3つのエリアに分け、ヘッダとページ横のナビゲーションバーがメインコンテンツエリアを取り囲むという、今では個人サイトでもおなじみのレイアウトは、1996年に「HotWired」が編み出し、他のオンラインマガジンやニュースサイトも相次いで採用したインタフェースである。

 初期に登場したいくつかのブログもこのデザインを踏襲しており、Bloggerがデフォルトでこのレイアウトのテンプレートを提供したことは、同ツールが私的な日記ツールではなく、企業サイトと肩を並べうる個人用パブリッシングツールであることを印象付けた。

 また、テンプレートを変更するだけでほぼ思い通りのスタイリッシュなデザインを構築できる柔軟性も人気を呼んだ。このデザインの柔軟性はその後登場したほとんどのウェブログ作成ツールに共通している特徴である。

 Bloggerの登場はウェブログ人口を爆発的に増やし、もはやウェブログはネットマニアだけのものではなくなった。結果、Bloggerを用いて運営されるごく私的な日記がウェブログの大部分を占めるようになり、本来「日々更新される興味深いWebページへのリンクリスト」の意味合いで使われていたウェブログの定義は混乱した。

 ジャーナリストたちはいくつかのウェブログを見て、「ウェブログは個人の日記である」と結論づけた。これに反発するウェブログもあったが、2000年に入ると英国のガーディアン紙のように自サイト内でウェブログを運営したり、ウェブログの記事を情報源として活用するメディアも現れ、両者は次第に歩み寄りを見せるようになった。同時に、高機能なウェブログ作成ツールが続々と産み出され、Webページの紹介にとどまらないさまざまなスタイルのウェブログが登場し、ブログ界(blogosphere)は多様化していった。


米国同時多発テロ事件とウェブログ

 2001年、ウェブログの認知度を一般レベルまで引き上げる大事件が起こった。9月11日の米国同時多発テロ事件である。

 不安にかられた人々は情報を追い求め、各マスメディアは連日連夜、事件に関するあたうる限りの報道を行った。情報の洪水の中で、人々は真に読むに値する良質な情報のみを欲するようになった。そこで脚光を浴びたのがウェブログである。

 事件が勃発するやいなや、いくつものウェブログがテロ事件のリンク集を作成した。そこにはリテラシーの高い個人の眼で選ばれた良質な情報へのリンクがあり、人々はこうしたウェブログへ殺到した。

 さらに自らのテロ体験を生々しく記録したレポート、現地住民が撮影した動画、血液提供の呼びかけ、無事を知らせる短い書き込みといったマスメディアでは得られない情報がウェブログ上を飛び交い、さらなる情報を求める人々に応えた。

 事態が落ち着くにつれ、ウェブログ界に2つの動きが現れた。まずは「warblog(ウォーブログ)」と呼ばれる新しいタイプのウェブログの登場だ。これはテロ関連、戦争関連のトピックを中心とするウェブログ一般を指し、国家的な事件に際して自身の意見を述べずにはいられない人々によって運営されていた。

 もう1つはプロのライターや学者、ジャーナリストたちの参入だ。テロのときに見せたウェブログの機動性は、すでに発表媒体を持つプロの書き手たちにとっても魅力的に映ったのだ。このようなウェブログにスポットライトをあて、ウェブログ現象をテロに対する反応として結論づけるメディアや、「ウェブログは新しいジャーナリズムである」と主張する人々も現れた。

 多くのウェブログ管理人たちは「ウェブログ=ジャーナリズム」説に否定的な態度を取っているが、このような言説が現れること自体、ウェブログがネット内のムーブメントにとどまらず、社会的な意義を帯びるものとして認知されていることは明らかだ。ウェブログは、「ウェブログ現象」という言葉が生まれるほどに、もはやメディアに関わるだれにとっても看過しがたい大きなムーブメントとなった。

 ウェブログ現象を社会的・文化的な側面から考察する『The Weblog Handbook』の著者、Rebecca Blood 氏は、ウェブログとジャーナリズムの違いを説きながら、ウェブログとは、リンクによって力を持たない個人が情報の伝播に関わることができる民主的なムーブメントだと主張している。

 リンクを張ってコメントを付けるというウェブログ運営の手軽さは、マスコミ関係者や学者のみならず、さまざまなバックグラウンドと知識を持つ多様な個人の声を表出させ、集約し、広めることを可能にし、よりよい情報が個人の選択眼により広がるようになった、と彼女は言う。


ウェブログムーブメントの現在

 ウェブログの社会的な認知度が上がったことで、ビジネス用途でウェブログを活用する企業も増えてきた。

 2002年5月、Webサイト制作ツールを開発しているMacromedia社が、自社の顧客担当者5人を抜擢して個人のウェブログを作らせ、広報活動に当たらせたのがその一例だ。

 2003年2月には、大手検索エンジンGoogleが「Blogger」の開発元Pyra Labs社を買収し、ウェブログを利用したより高度なWebのインデックス化が期待されている(関連記事)。

 アカデミズムの世界でもウェブログを活用しようという動きが出ている。2003年3月、ハーバード大学は大学内ブログ「Weblogs At Harvard Law」の立ち上げのために、有名なウェブログ「Scripting News」の運営者でSOAP、XML-RPCといった数々のプロトコルの開発者でもあるDave Winer氏を特別研究員に招き入れた。

 ウェブログ・コミュニティ全体の情報の流れをマクロに見渡すためのサービスもいくつか登場し、「ネット上で何が話題になっているか」を一目で把握することも可能になっている。

 その代表的な2つのサイトが「Blogdex」と「Daypop」だ。これらはシステムこそ違え、ウェブログ・コミュニティで話題になったトピックをリンクされた順にランキングしているサイトである。


日本の個人サイトコミュニティの現在――個人ニュースサイトを中心に

 日本では、1998年後半から1999年にかけて、ニュースや面白いWebページを独自の視点で集めて紹介するという、ウェブログに似たスタイルの個人サイト群が登場しはじめていた。これらは当初、企業ニュースサイトから記事をクリップすることが多かったことから、「個人ニュースサイト」と呼ばれ、この時期に1つのジャンルとして認識されるようになった。やがて企業が発信するニュースにとどまらない雑多な情報が扱われるようになり、日に10万-20万のアクセスを集める“大手サイト”もいくつか存在している。

 多くの個人ニュースサイトが、トップページをヘッダ、サイドバー、メインコンテンツエリアの3つのエリアに分けるという、標準的なウェブログとほぼ同じインターフェースデザインを採用していたことは特筆すべき事柄かもしれない。

 ブロードバンドの普及で日米両国の回線状況が似通ってきたこと、海外発のニュースサイトの洗練されたデザインに両者が影響を受けたこと、同種のサイト同士が互いを情報源として活用したためにコミュニティが発展し、相互に影響を与えあいながらより使いやすいインタフェースが模索されていったこと、といった共通の要素が、必然的に両者のスタイルを近づけたのだろう。

 ウェブログがそうであったように、初期の個人ニュースサイトが扱う内容は技術系、もしくはゲーム・アニメなどのオタク関連のニュースが多かったが、このスタイルのサイトが注目を集めたことから2000年後半以降は社会・サブカルチャー・芸能・海外ニュースと広範囲の情報が扱う個人ニュースサイトが続々と誕生し、今に至っている。

 また、個人の声を集約するシステムとして、大型掲示板サイト「2ちゃんねる」もまた、米国においてブログが果たしている役割のひとつを担っているといってもよいだろう。

 一方、Web黎明期から存在していた日記サイトについては、専用の無料ツールやレンタルサービスが数多く生まれ、それぞれ独自のコミュニティを築いてきた。その中にはブログに近い機能を提供する「tDiary」などの高機能なツールもあり、これらを利用したブログ的な日記も少なからず登場している。しかし個人ニュースサイトとは異なるコミュニティとして、相互参照されることは少ない。

 そしてこれこそは日本の個人サイト・コミュニティが海外のウェブログ・コミュニティと大きく異なる点だ。

 片や、ツールの登場によって同形態のサイトが一気に広まったために、企業をも巻き込んで1つの大規模なコミュニティとして社会的に認知されているウェブログ。片や、歴史が古いために小さなコミュニティが、統一されることなく独立して育った日本の個人サイト。

 この差異は、両者の社会的な影響力の違いとなって現れている。日本においては、初期のウェブログがプロのジャーナリストたちにそう見られていたように、個人サイトが取るに足らないアマチュアのお遊び以上のものと見なされることは少ない。

 まだまだ数は少ないが、Movable TypeやBloggerといった海外製のウェブログツールを利用して運営されている日本語のウェブログも増えている。

 こうした動きが活発化し、海外のウェブログ・コミュニティに融合していくのか、これまで同様独自の発展を続けていくのか、それはまだわからない。しかし米国におけるウェブログの成功を目の当たりにしたことで、個人Webパブリッシングに新たな可能性を見出した個人やITベンチャーの数は少なくないはずだ。

 彼らが今後どのような試みをしていくか、日本のWeb文化の発展はそこにかかっている。小さな存在が流れを作り、大きな奔流となって世界を変えうるWebの世界はまだまだ喜ばしき“黎明期”なのかもしれない。

Posted by sunouchi at May 9, 2003 11:26 AM