昨日地下鉄で 反対側のホームに高校生カップルがいた
女の子が電車に乗り込む彼氏を笑顔で見送っていた
地味な娘だったが 唯一の化粧の赤い口紅が印象的だった
完璧であった
ふと見ると まわりのおじさん連もみとれていた
ああいう娘は 存在するだけでまわりを幸せにする
今回は、僭越ながら物事を判断するときの尺度を提案したいと思います。
それは、「け」というものです。
このテーマはとても説明しづらいのですが、
先程の女子高生には「け」がありません。
バスケ素人がヘアバンドをしてジョーダンモデルのバッシュをはいて
意味のないところでビハインドパスをするのは「け」が満ちあふれています。
オカサーファーが隙を見ると波の話をするのも、「け」です。
釈迦に説法も、「け」のひとつです。
「さむい」という表現は万能ですが、より詳細に品評するならば、
ときにこの「け」というものは大変有効です。
つまらないことしなくても、輝く人は輝きます。
前述の女子高生がいい例です。
最後に、「け」を感知することは批判精神につながり、精神衛生上よくありません。
そういう人は放っておきましょう。