親切が親切である内に去りたくなるのも、バックパッカーの性だろうか。突然コタバルを出ることに決めた。泣きながらnashが、記念にと「THE JAPANESE GOVERNMENT」と印字された1ドル紙幣をくれた。コタバルは、戦時中、というより実は真珠湾攻撃より先に、日本軍が上陸した地なのだ。旅をしていると、知らなかった日本の歴史にふとした所で出会う。
予想外にお金を使わなかった私は、初めて喜捨をした。近くの広場の端に毎日いた、頭が巨大な風船のようになって身動き一つしない子供と親らしき人、その横の空き缶に、国境までのバス代3RM(Ringgit Malaysia)(=約100円)を残して、持っていたリンギットを全部入れた。何故だか少し、罪悪感を感じた。
タイ側の国境の町スンガイ・コーロクから、とりあえずタイ南部最大の商業都市であり交通の要所であるハジャイ行きのチケットを買い、初めての列車に乗る。コチコチ直角の木椅子に座る私の足元には、食糧らしき袋や箱がいっぱい詰め込まれる。マレーシアで大量に食糧を購入しタイへ持ち帰る家族で溢れ返った車内は、土臭い匂いが立ちこめていた。
Yala(ヤラー)という町で、車内の半分以上が大量の荷物を抱えて降りる。思わず私も、降りる。何だか名前も気に入ったし。でも、駅にさえ、英語がどこにも見つからない。誰も寄ってこない。イスラム色の強い、ちょっとした都会だということだけ分かった。だって、SUZUKIのバイクがいっぱい。ホテルが見つからずに一休みと入った食堂では何と、GTOが放映されていた。反町が、ハスキーな甲高いタイ語をしゃべっていた。それから、ピンク一色の雑貨屋さんのアクセサリー売り場に、とってもかわいいドラえもんがいた。ここに群がる少女たちの誰もこの面白さを分かってくれないのが、もどかしかった。
Posted by asummer