世界でひとつだけの歌
あっという間に11月が終わりました。私の日記を楽しみにしてくださってるみなさん、お待たせしました(笑)時々、日記を更新してほしいとの声をいただきます。ありがとうございやす!
今日、久しぶりに日記を書こうかなと思ったのは、最近、毎日のように夢に祖父が出てくるからです。なんでだろう。やっとこの日記をアップロードする日が来たのかな?
ということで、私が今年2月に書いた日記です。。読み返すとまた涙が。。。
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ここ1年間日記に書きたくてもどう書けば良いのか分からないことがありました。
去年2月祖父が亡くなりました。この歳まで祖父母が亡くなるという経験をしなかったので、最初はすごく悲しかった。夜中に家族から電話がありましたが、始発まで移動はできない。。品川駅で始発にちょうど乗ったくらいのときに、祖父は亡くなりました。
上京するまで18年間、歩いて5分のところに住んでいました。幼稚園のときはいつも歩いて送り迎えをしてもらい、車でいろんなところに連れて行ってもらいました。
とにかく信念の強い人でした。85歳近くになるまで、35年間雪の日も雨の日も朝2時間は歩いてたし、父が大学院で単身赴任していたころは祖父宅に2年間住んでおり、毎日一緒に夜も散歩に行きました。3年間日記も25年間くらいは続けていたと思います。もう少し言えば、布団を敷くのに、畳の何メモリ目に合わせるかということまで決めているお祖父ちゃんでした(笑)
私は初孫だったので、産まれたときの喜びは一入だったようです。若い頃からバンド活動でサックスを吹き、家ではピアノやオルガン、シンセサイザー、アコーディオンなどなどを演奏していたお祖父ちゃんは、私の誕生を歌った曲を作詞・作曲してくれました。『朋子』というタイトルで、3番まであります。今でも直筆の楽譜と歌詞は部屋に飾ってあります。1番だけ紹介します。
秋空青く 天高く
もみじが色づく 朝夕に
私の大きなうぶ声が 山のこだまがかえすよに
その名は朋子 可愛いな
幸せつつむ 永久の愛
最近知ったのですが、私が産まれたのをきっかけにフルタイムで働くのをやめ、一線を退いたようです。戦争にも行き、20代前半はダンスホールを開いて生計を立て(?)、その後自分で会社を興して働いたお祖父ちゃん。東京にも出張で来ていたようです。会社の前を電車が通っていて、私と祖母が隣町に電車で買い物に行くときは、会社の窓からみんなで手を振ってくれました。
亡くなってから分かったのですが、会社の社歌も自分で作っていました。しかも、それは弾き語りをしている録音テープが残っていました。私の歌も録音テープが残っていたら、結婚式で流せたのにな!
お祖父ちゃんはいつも私が大学に入るまでは生きていたいと行っていましたが、かなりストレッチでしたね。
この土日、祖父の一回忌でした。時間が経つのは早いです。
親戚が30人程集まり、とても賑やかな会になりました。お祖父ちゃんのギターを演奏し、みんなで歌を歌いました。
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天国から見守ってくれているお祖父ちゃん、私も頑張るからね!