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- Pakistan KKH(パキスタン カラコルムハイウェイ) Archives -

at パキスタン グルミット on 19/Aug/1999

Posted by snotch at October 2, 2003 10:17 AM

中国とパキスタンの国境へ。タシュクルガンのすぐそばにあるイミグレーションで出国の手続きをおこなう。バスの乗客全員の手続きを完了するのに、約2時間ほど待たされ、出発したのは11時。途中何度も検問を受けながら、国境のあるクンジュラブ峠(Khunjerab Top 4730m)へ向かって昇ってゆく。ちょうど峠のところでいったんバスは停車し、道の脇に停車して休憩。道路は右側通行から左側通行になる。
国境を通過してすぐにまた休憩。何でかなと思ったらイスラムのお祈りの時間らしい。何人かのパキスタン人がバスを降り、西の方角を向いていっせいにお祈りを始める。彼らはもちろんメッカに向かって祈っているのだけれど、後方から眺めている僕らからは、遠くにそびえる山に向かってお祈りをしているかのように見える。

at パキスタン グルミット on 19/Aug/1999

Posted by snotch at October 8, 2003 10:27 AM

スストにて入国手続きを済ませ、トラックの荷台に乗っかって、宿のあるグルミットという村へ向かう。グルミットまでは約2時間。村からは、鋸の歯のような複数の岩峰をもつカールン・コー(Karun Koh 7350m)がよく見える。

登山とは無縁な自分であるし、7000m超の山に登る人の気が知れないけれど、クライミングのWebページはおもしろい。

>> planet mountain

ロッククライミングやトレッキングに関する豊富な情報があるのはもちろんで、個人やグループの登るという行為の記録がポートフォリオ形式でまとめられているところもしっかりしている。メニューにある「360° Panoramas」には、いわゆるQTのパノラマがおいてあるのだが、これだけ数をそろえてくれると見ごたえもある。

at パキスタン グルミット on 20/Aug/1999

Posted by snotch at October 14, 2003 5:56 AM

グルキン氷河をまたぐコースをトレッキング。グルミットの宿から北に向かってグルキンの村へ。アンズの収穫が一段落ついた頃で、あちこちで収穫したアンズを石の上に並べ、天日に干してあるのを見かける。

この地域はフンザと区別してGojar地区と呼ばれ、ワーヒー人と呼ばれる人々が暮らしている。ワーヒー人は欧州の人種のように目が青く、茶色や金髪の髪の毛をもつ人が多い。悪巧みをしているんじゃないかと思わず疑ってしまうほど親切(?)で、通りがかりの人間に林檎やアンズを手に持ちきれないほどくれる。

at パキスタン グルミット on 20/Aug/1999

Posted by snotch at October 18, 2003 11:43 PM

グルキン村の外れまで歩くと、急な上り坂のあるモレーンを登る。ごつごつした岩があちこち転がっていて登りづらいが、30分程度で頂上まで登ることができる。初めて氷河を目の当たりにする。モレーンの上に立って、黒い色をしたグルキン氷河に見とれる。時折、大地の奥のほうからミシミシミシとか、バリバリといった低い音がかすかに響くように聞こえてきて、目の前の巨大な氷の塊が流れているという事実を体で感じることができる。
氷河の上を渡るのは危険らしい。所々に、奥が深くて底の見えない氷の裂け目があって、滑り落ちたら最後、永遠に御日様は拝めないだろう。幸い、グルキン村の村人が隣村に向かうのに合流することができたので、彼らの後をついて幅500mほどのこの氷河を横断する。
今日の一日トレッキングの最終地点は、グルキン村の隣村フサニにあるボリド湖という湖。湖畔にカフェがあって、旅のトレッキング仲間とカラコルムを眺めながらのお茶は最高である。

at パキスタン グルミット on 20/Aug/1999

Posted by snotch at October 24, 2003 5:18 AM

お世話になっている宿は、Gulmit Tourist Inn。これだけ快適なドミトリーも珍しい。このあたりは決して樹木が豊富なわけではないが、立派な木造の建物の大部屋をドミトリー部屋としてあてがっている。
宿泊者は、中国側から越境してきた旅行者と、パキスタン側から上ってきた旅行者とが半々程度。夏休みを利用してやってきた日本人旅行者が多く、イスラム圏ということもあってか欧米の旅行者は少ない。久々に日本語が飛び交う夕食をとる

at Hunza, Pakistan on 21/Aug/1999

Posted by snotch at October 30, 2003 3:22 AM
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ジープでフンザまで下る。ここは、「風の谷のナウシカ」の舞台のモデルになったと言われている場所。なるほど、生きた化石のように味のある老人が道ですれ違い、青い目と茶色い髪の毛をもつ愛嬌のある子供達が駆け回る村だ。日本人受けがよいらしく、散歩をしていると日本人旅行者と頻繁にすれ違う。
広く深いインダス渓谷の、川と岩山のほんの隙間にフンザの村はある。村の川側から山側へ視線を辿ってゆくと、突然緑が途切れる水平線にぶつかる。そこには、上流から延々引いてある水路が水平に走っていて、その水平線から下でないと植物が育たない。谷底の川から切り立った断崖と水路とで挟まれた部分だけが、人々が生活を営むことのできる領域だ。

at パキスタン フンザ on 22/Aug/1999

Posted by snotch at November 6, 2003 11:34 PM

ここは、僕らが生まれるほんの少し前、1974年10月までミール(藩王)制つまり、パキスタン国内の自治王国だった場所。現在はミールは引退しているが、地元の有力者として今でも存在感を保っている。
そのミールが700年前からすんでいたのが、バルチット城だ。標高2500mのフンザ村で、最も目立つ場所に堂々と建っており、現在は博物館として一般に公開されている。
城の周囲には、かつて王様に仕えていた人々が今でも生活しているので、当時の状況を尋ねることも可能だ。ある老婆の話を伝え聞くところによると、王国の時代が必ずしも幸せな時代ではなかったとのこと。
王国の歴史からすればほんの短い時間に時代は変わり、今では日本という国の小僧が王様の眺めを写真に収める。

at パキスタン フンザ on 22/Aug/1999

Posted by snotch at November 12, 2003 12:05 PM

Baltit Fort

reception room
reception room
kitchen
kitchen
kitchen to roof terrace
kitchen to roof terrace
vista from the roof terrace
vista from the roof terrace
space for nap
space for nap
sunroom on the top floor
sunroom on the top floor
bedroom on the top floor
bedroom on the top floor
banquet hall
banquet hall
external
external

at パキスタン フンザ on 22/Aug/1999

Posted by snotch at November 14, 2003 3:42 AM

夕方、カリマバード(フンザ)の周辺を歩いてみる。メイン通りには帽子や織物を並べる土産物店が軒を連ねるが、自分は何か欲しい訳でもないので、店先の品を眺めながら素通りして、村の外れへ。フンザ背後のウルタル峰が、圧倒的な存在感。

帰り際に再びメイン通りに差し掛かったとき、フンザ織物センターという薄暗いお店がなんとなく気になってしまった。店に足を踏み入れて帽子を物色していると、ふと何かの気配がした。自分が入ってきた入り口のほうを振り向くと、ドアの脇に凛々しい男性が気配を殺して座っているので驚いた。フンザ帽に鳥の羽を挿し、顔には所々に凍傷のような傷跡があって、堂々としている。
この店にある織物や帽子は、彼の親父さんの手によるもの。彼の親父さんは、首相からメダルをもらうほどの織物織りの名人である。商品の値段は全てFixで、一切値引きはしないとのことだが、軒を連ねる土産物屋と比較すると、大分安い値段がつけられている。彼曰く、Original price 。帽子や織物を見る目が自分にあるとは思えないが、この目で見る限り、本当にOriginal Price のようだ。旅行者が集う場所にこのような店があるのは、海外では極まれ。よくわからない商売をしているこの人物に興味を覚え、彼について話を聞いた。
かつて彼は登山家だった。長谷川恒男という有名な日本人登山家がいて、91年にフンザの背後に聳えるウルタルⅡ峰に挑む際、サポート役として共にアタックしたときのこと。長谷川さんは、雪崩に巻き込まれて帰らぬ人となった。そのとき彼はベースキャンプにいたので命を落とすことはなかったが、それ以来、ぱったりと登山をやめてしまった。その後、長谷川さんの「土地の人の為になることをしてほしい」という旨の遺書が発端となり、登山仲間やパキスタン政府の協力のもと、「ハセガワ メモリアルスクール」という学校がフンザに建てられた。このような経緯があって、フンザには日本と深いつながりを持った人々が多く住んでいる。廉価でつつましく彼が商売をするのは、ことの経緯と関係があるのだろうと思う。
最後にお茶のお礼を言って、握手をして別れるときのこと。凍傷で硬く小さくなってしまった彼の右手に、またドキッとした。

at パキスタン フンザ on 23/Aug/1999

Posted by snotch at November 17, 2003 10:27 AM

朝から腹痛。このあたりの水は、上流の氷河が溶けた水。長い年月をかけて硬い岩盤を削りながらゆっくりと流れる氷河には、無数の微細な岩屑が大量に含まれているようで、その氷河が溶けた水は、慣れないお腹にはよろしくないようだ。一方で、氷河の溶けた水には、ミネラルがたっぷりと含まれていて、それがフンザの人々の長寿に貢献しているという説もある。

フンザ村では、パキスタンの公用語であるウルドゥ語ではなくて、ブリシャスキー語という言語が用いられている。後で、ギルギットで働くパキスタン人通訳に訊いたところ、平野部のパキスタン人はブリシャスキー語を全く理解できないというから、方言以上に違いの大きい言語である。人物も、いわゆるアジア人の顔とは特徴が異なる。濃い眉、深い二重瞼、青い目、濃茶色の髪の毛といった特徴をもち、「風の谷のナウシカ」の舞台のモデルだといわれてもうなづける。

at パキスタン ギルギット on 24/Aug/1999

Posted by snotch at November 20, 2003 3:43 AM

早朝5時起床。ジープの荷台に乗って、ギルギット(Gilgit)まで下る。フンザ川の崖岸上に沿う細い道を猛スピードで突っ走るので、おっかなびっくりである。途中、崖崩れで土砂が道をふさいでしまい、今日中に目的地に着けないかと思ったが、2台のブルドーザーがやってきて、ものの 2,30分で土砂を押しやってしまった。このあたりは、土砂崩れが日常茶飯事なので、応急処置の体制が整っているらしい。有難いが、ますます不安を掻き立てられてる。ツーリストは斜め上方を仰ぎながら祈るだけである。

at パキスタン ギルギット on 25/Aug/1999

Posted by snotch at November 22, 2003 1:15 AM

下界まではまだ遠いけれど、ギルギットまで下って来ると、ようやくイスラムの国(今までの国とは異なる世界)パキスタンを実感する。人々の顔の彫りがいっそう深くなり、立派なあごひげを蓄えた好漢をみかける。規模は小さいながらも、バザールのある通り沿いに細長く街が伸びていて、中心部付近には立派なミナレットをもつモスクや映画館まである。

欲望を掻き立てるものがなかなか見当たらない。街といえば、物欲、食欲、知識欲などを駆り立てる要素にあふれている状況をイメージしてしまうのだが、通りを歩いた限りではそういったものが見つからない。
そしてまた、外を出歩く男衆は、総じて凛々しい顔つきであるように見える。特に警官などは、四六時中腹を立てているのではないかと思うほど、眼光鋭いのも中にはいる。