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- November 2006 Archives -

帯改)オウム真理教事件10年目の証言本

Category : [Fun]
Posted by snotch at November 1, 2006 1:45 AM

Shocking testimony about the series of serious crimes by Aum Shinrikyo members.
The book includes shocking testimony! Ten years passed since the series of serious crimes by Aum Shinrikyo members.



価格: ¥ 1,950
ユーズドストア価格: ¥ 96
出版社: 文藝春秋 単行本
カスタマーレビュー: 14 件
読み物としては面白いが
インド旅行、麻原彰晃の原体験、ヒマラヤ聖者の実像を明らかにした傑作と聞いて、読みました。

たしかに、麻原が水俣病未認定患者という仮説を検証していく過程や、インドで死体を喰う犬の群れとの格闘、インドで偽空中浮揚を見破るシーンなどは臨場感があります。

また著者の独特の視点から見るインド、麻原とオウム、現代若者論など、読み物として面白いものでした。

ただ全体を貫くテーマや著者のスタンスが、初めて著者の本を読んだ私には、分かりにくく感じられました。
麻原彰晃の実兄のプライバシーに配慮して連載が中断され、性格の異なる連載が一冊にまとめられたという後書きに一応納得しましたが、何となく違和感がある。

思うに、著者の立ち位置が、紀行文とドキュメンタリーと思想書の間で定まらないように見えるせいかもしれません。

オウムの青年の旅と著者の旅は、宗教という体制に簡単に染まるか、頑なに拒むかという点で正反対だと筆者は言います。

そんな第三者的視点が、興味深い分析をもたらしています。しかし正反対の道はコインの表裏であり、本質は変わらない気がします。

つまり、どちらもインドの宗教を理解しようとしていなかった。そのことは、インドやそこで出会う人々、ある意味間抜けな聖者達に対して、著者の愛情があまり感じられない点に表れているように思えます。

著者がインタビューに成功した麻原の実兄にも、短い間に信頼関係を作るなど著者の懐の深さを感じさせますが、弱者と断言したり対象に対して冷たい印象を受けます。

仮説を積重ねるうちに仮説を超えて核心に至る。そこで生まれる爽快感が弱く、読後にモヤモヤ感が少し残りました。

インドで火葬場を見続けた著者が、肉体とこの世の無常を理解し、冷静に可能性を探る客観的な分析をした評論と見るか、対象と一線を引いて分析のもう一歩先の本質に迫らなかった体験記と見るかで、印象も変わるかもしれません。
メメント・モリの衝撃が…
写真集「メメント・モリ」に圧倒されて以来、藤原さんの文章は多く触れてきましたが、この「黄泉の犬」は私としては今ひとつでした。第一章「メビウスの海」はするどい文明批評で、いつもの藤原さんの切れ味を感じましたが、表題にもなっている第二章の「黄泉の犬」が違和感がありました。ブックカバーにも表題にもなっているので、もっとも気持ちの入った章だったのかもしれませんが、私は「メメント・モリ」の写真の説明をしてしまっているように感じて、残念でした。あれらの写真はあの時点で充分に多くのものを語っています。無言の写真だからこそ圧倒的な力があったのだと思います。あの写真だけで、充分に「その写真以上のもの」を感じさせる力がありました。その背景の部分を語ってしまうと、逆に世界が貧弱になってしまうのではないでしょうか。私は、説明して欲しくなかったと思います。それでも、全体的には、いつもの藤原さんの切れ味は感じられたので、四点です。
初めて明かされる秘話
といっても私が驚いたのは
麻原兄についてのくだりではない。
これまで長い間書かれずにいた、
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」の
あの写真を撮ったエピソードに「その後」があったということ。
そしてそれを藤原新也がずっと書かずにいたというまさにそのこと。
藤原新也という表現者の本質について考えるとき、
本書で書かれた「事実」が持つ意味は限りなく深い。
『東京漂流』からの古い熱心な読者には、ある種の、
「腑に落ちる」感覚が必ずあるはずだ。
このエピソードを読むためだけでも購入の価値がある、
まぎれもない傑作。
宗教そしてインドを中心にした藤原新也の総集編
写真家としての複眼視的な冷静さと正確さで宗教とインドの旅を記す紀行文。
さらに、その思考の発展の上でオーム真理教についても大胆なる仮説を提示する興味深い本である。たくましく、そして真摯に思考を重ねる著者の足跡に感嘆せずにはいられない。過去の著作に一気に興味をそそらされること請け合いのHidden Jewelである。
身体で読む
BOOKデータベースの内容説明に「インド紀行完結篇」とあるように、これは旅の本である。

著者の文章を読みながら、我々は、そこに放たれる生々しい匂いを確かに嗅ぎ、
聞こえるはずのない砂漠の音を確かに聞く。

これは、身体で書かれ、身体で読まれる、旅の本である。

at Kalpa, India on 12/Oct/1999

Posted by snotch at November 4, 2006 3:03 AM

at Kalpa village, India
Kalpa village at the base of Kinnaur Kailash

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998 - 01

Posted by snotch at November 5, 2006 8:00 PM
 石垣港から船で約10分、竹富東港に到着する。港から民宿のある地域までは1キロもないはずだが、初めての土地を強烈な太陽を浴びながら歩くと案外長い。港からしばらくはアスファルトの道が伸びているが、竹富の集落に入った途端、真っ白な珊瑚の道になる。竹富島全体が珊瑚でできていて、黒っぽく見える石垣も黒珊瑚。珊瑚の白砂のおかげで、世界がまぶしい。砂と太陽がまぶしいから、空と緑がとても濃く映る。おまけに、集落に入ると物音一つしないので、全くの別世界に入り込んでしまったかのような不思議な感覚に襲われる。

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998  沖縄 竹富

 屋根の上から、シーサーがこっちを見ている。家を魔物から護ってくれる守神。一軒一軒、姿かたちが異なっていて、貝殻などでおしゃれをしているのもいる。一見、いかついように見えるけれど、目をパッチリさせ、炎天下でも身動きせずじっとしている様子は愛嬌がある。

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998  沖縄 竹富
at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998  沖縄 竹富

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998 - 02

Posted by snotch at November 6, 2006 10:00 AM

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998 - 02 沖縄 竹富
at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998 - 02 沖縄 竹富

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998 - 03

Posted by snotch at November 6, 2006 8:00 PM
竹富島の植物は、ビビッドで溌剌としている。原色に近い緑葉を基本にして、赤や黄色の花が鮮やかにちりばめられる。沖縄の老人は、菜の花の黄色を指して「青」と言うことがあると、どこかで読んだことがある。強烈な太陽と珊瑚の白砂の照り返しで、目がくらむほどの光に包まれた世界においては、僕らの日常とは異なる次元で色彩言語が形成され語られているのかもしれない。

at Taketomi, Okinawa. Plants.
at Taketomi, Okinawa. Plants.
at Taketomi, Okinawa. Plants.

at Taketomi, Okinawa on 11/Sep/1998 - 04

Posted by snotch at November 7, 2006 10:00 AM

at Taketomi, Okinawa. Plants.
at Taketomi, Okinawa. Plants.
at Taketomi, Okinawa. Plants.

at Taketomi, Okinawa on 12/Sep/1998 - 01

Posted by snotch at November 7, 2006 8:00 PM
 竹富島の民宿のある地域から西へ10分も歩くと、海へ出る。そこから脇にハイビスカスが咲いている海沿いの道を、南のほうへさらに10分ほどいくと、コンドイ浜という遠浅の砂浜が現れる。県下で2番目に大きい島、西表島が沖合いに見えるシチュエーションと、ごつごつした岩が少なく、ミクロな白砂が広がっているのとで、海水浴のポイントになっているようだ。残念なことに遠浅かつ引き潮だったので、ほとんど泳ぐことは困難だった(沖に行けども浅い)が、満ち潮なら最高の海水浴が楽しめる。島外から、わざわざ日帰りで海水浴に来る人も少ないので、真に一日ゆっくりできる。
 竹富島には川や池がないから、昔からマラリアが少く、人の住むのに適した特別な島だったようだ。しかし、水に乏しいと稲作ができないから、竹富には水田がない。それでも米は必要だから、非サンゴ礁の島で水の豊富な西表島まで、舟に鍬をのせて海を通ったそうだ。沖に西表の見えるこのあたりから、木の舟をこいで毎日向こうへ渡った人々がいるのだなあとおもうと、ここは厳しい自然と向き合う生活の場であって、のどかな景色には到底見えなくなってくる。

at Taketomi, Okinawa. Beach
at Taketomi, Okinawa. Plants on beach

at Taketomi, Okinawa on 12/Sep/1998 - 02

Posted by snotch at November 8, 2006 10:00 AM
 日本最南端のお寺、浄土宗本願寺喜宝院には、蒐集(しゅうしゅう)館という民族博物館が併設されていて、島の工芸品や民具などをゆっくりと見ることができる。喜宝院は、お寺といっても、外見は見過ごしてしまいそうなくらいの普通の一軒家で、蒐集(しゅうしゅう)館は別棟として設置されている。ここの館長は上勢頭さんという人なのだが、蒐集館の数々の貴重な資料は、先代の上勢頭亨氏によって集められたもの。館内にはあらゆる民具が展示されているが、この土地独特の布や楽器の展示が面白い。また、縄を結んで数量を表現する「バラザン(藁算)」と呼ばれる結縄文字も展示されている。世界的に文字の発生以前からバラザン同様のものは見つかっているらしいが、文字の発生以降も、文字を知らない庶民層でこの方法が受け継がれてきた。この地では特に、納税に関することにバラザンを使ったそうだ。
 竹富島は、徹底した民宿主義で、本土の観光資本を一切入れない規定になっており、キャンプすることも禁止されている。ここが沖縄の民俗学の宝庫であるという住民の意識を育て、住民が暮らしの文化を維持できるよう経済的にも配慮した結果がそういう規定を生み出したのだが、その種をまき続けたのが上勢頭亨氏だ。

at Taketomi, Okinawa.
at Taketomi, Okinawa.
at Taketomi, Okinawa.

at Taketomi, Okinawa on 12/Sep/1998 - 03

Posted by snotch at November 8, 2006 8:00 PM

at Taketomi, Okinawa. Creatures
at Taketomi, Okinawa. Creatures

at Taketomi, Okinawa on 13/Sep/1998

Posted by snotch at November 10, 2006 12:01 AM
at Taketomi, Okinawa at Taketomi, Okinawa
 琉球の言葉は日本語のルーツをもつらしく、古来から日本本島の影響を色濃く受けていた沖縄.言葉に限らず食物や建築など,実際に行ってみると日本だけでなく台湾や中国の文化が混合されているのを目の当たりにすることができる.大陸の国のように異民族と接することがなく,異なる文化との直接の経験に疎い島国日本だけれど,日本にもこんな場所があるのですね.
 沖縄へ興味を持ったらお勧めの、文庫本を4冊ご紹介。


価格: ¥ 720
ユーズドストア価格: ¥ 212
出版社: 中央公論社 文庫
カスタマーレビュー: 10 件
三島、川端も絶賛した沖縄旅行記の大作
岡本太郎にとっての「沖縄」のイメージが、実際の旅を通じて変遷し、確信に変わっていく様子が、易しく、素直な文章で、率直に表現されていて、沖縄に興味のある人もない人も自信を持ってお勧めする本です。

島津・琉球王国による二重の植民地的支配と重税・疫病・津波・台風・戦争によって、常に厳しく痛めつけ続けられた沖縄の人々が、諦観しつつも投げやりにならずに明るく助け合って過ごしてきた結果、形成された独特の文化、それが沖縄の文化である。意識された美、虚飾が一切なく、「生きること」に直結した唄、踊り、宗教、祭に触れた筆者は、その美しさに感激し、そもそも文化とはどういうものであるものなのかを確信しています。沖縄の文化と日本の輸入文化を対比させ、日本のすべての宗教も文化も、そもそも輸入したもので、政治的意図によってゆがめられたものであり、本来の日本人の肌になじまないものである。その結果、現在の日本人は同質化しており、自らの固有の文化を失っている。日本人の根底にある文化とは、忘れられた沖縄の地に皮肉にも残っているのではないだろうか?というのがあらすじである。

沖縄の歴史と文化について大雑把に理解でき、つまりは島唄の旋律が、どうして物悲しくも明るくも聞こえ、人を癒すのか?が、なんとなく分かったような気がしました。

なお、写真集「岡本太郎の沖縄」は、筆者が、「沖縄文化論」を執筆した旅行時に、筆者が撮影したもので、これまた、もはや貴重な返還前の沖縄の姿が切り取られています。いまは古本でしか買えないけど、貴重な一冊で、両方買って読みたいです。この写真集は竹富島の民宿にはどの家にも必ず置いてあります。
沖縄に行く人も行かないひとも、読むべし。
大方の日本人にとって、沖縄は単に海がきれいで果物がおいしい南国の島か。それとも、日本の負の歴史を背負い占領に苦しむ、かわいそうな島なのか。

岡本太郎は、前者の無責任で能天気なだけの沖縄に対する意識ではなく、また後者のような同情を持ってでもなく、沖縄の本質を見抜き、そこに逞しく生きる人々の姿を生き生きと描いている。

沖縄について多面的に考えるには最高の書であり、沖縄を通して日本の歴史や文化をも考えさせてくれる本である。読み出したら、とまらない。
沖縄を考える
丸山真男の「歴史意識の『基層』」という論文がある。

その基層の部分に溢れているのが沖縄だ。

平たくいえば、縄文時代の「原始日本」のものが溢れているのである。

北海道もそうなのだが、アイヌ民族の文化がほぼ途絶えてしまった今、原始日本を探るには沖縄にいくのが一番の方法だ。

岡本太郎の好奇心、行動力、観察力によって、その沖縄の姿がありありと伝わってくる。
買いです。
なにかの本で横尾忠則氏が岡本太郎のことを、認めたこっちの見識が疑われるほど美術界から徹底して嫌われていた、あれほど世間から認知されているにもかかわらず美術界から無視されていた人も珍しいと述べていました。確かに美術全集なんかに岡本太郎が収められていることは皆無で、以前それを不思議に思ったこともあります。ただ、大宅壮一の「売れないポスターみたいだ」の発言の通り、絵についてはキャラクター抜きには鑑賞できないものも中にはあるかと思います(僭越ですが)。すこし話がそれるようですが、二子新地のかの子の実家近くにある「誇り」は、近所に住んでいたこともあり、何度も見に通いました。すばらしいモニュメントです。同様に、岡本太郎の著作と写真にはそのキャラクターから独立した作品がいくつもあり、本書は「美の呪力」と並んで著作の代表と言えると作品だと思います。
何もないことの感動
ご存じ!『芸術は、爆発だーーー!!』のおっさん。
その人が書いた文章です。
オリジナルは絶版となり、文庫で再刊されたもの。

復帰前の沖縄の旅行記です。
芸術家とは、こんなにも感性が鋭く、そして表現が豊かなものかと
感心させられてしまいます。

短いセンテンスで本質をつく鮮やかさは現在でも色あせない。
いや、沖縄ブームのこの時代だからこそ、
余計、再認識すべきなのかもしれない。

有名なフレーズ「何もないことの眩暈(めまい)」は、その当時かなり物議を醸したとか。

沖縄好きを自認するあなた。必読の書です。


価格: ¥ 462
ユーズドストア価格: ¥ 1
出版社: 朝日新聞社 文庫
カスタマーレビュー: 5 件
文学的な一作
「司馬史観」
という言葉で呼ばれるように、司馬氏には独特の歴史観と感性がある。
街道をゆくシリーズは、各地の風景に触れ、司馬氏のその感性と歴史観が最も
如実に表現されるシリーズである。
が、この一冊については、シリーズ中では異例と言う程に文学的な感傷がある。
竹富島の白砂を見て輪廻に思いを馳せるシーンなどは特に詩的である。

作中、司馬氏は沖縄について考えると平静な気持ちでいられないこと、
また逆にここに原倭人の風景を見るような思いがして晴ればれとした気持ちになる、
ということを述べている。
この矛盾するような逡巡の行方はどうなったのだろうか。

与那国島での一夜。浜辺で泥酔し、大阪弁でくだを巻く学生の姿があった。
「本土が沖縄に何をしたか知っているか。沖縄の苦しみもしらないで、何や」
その後村の劇場で、司馬氏が地元の人に酒を勧められるシーンがある。
「さっき海岸でひろった紙コップですが、どうですか」
これについて司馬氏は
”おそらくさっきの浜で、あの学生たちが捨てたものではないかと私は思ったりした”
こう言って、この作品はプッツリと終わってしまう。

これは事実の描写ではなく、恐らく創作のシーンだと感じる。
離島の悲惨史について、司馬氏は直接的な言葉で意見することはなかったが、
このラストシーンで、何事かを示唆しているのではないか。
その何事かが何かは、結局司馬氏の中でも答えが出なかったような気がする。
ゆえにこの文学的隠喩で幕を下ろさせることになったのだろう。

倭人のルーツを感じた日本の西の果て、そこで感じた感傷は、
単に懐かしく甘いだけではなかったに違いない。
教養を深めるためにも・・・
 本島から石垣・竹富・与那国島に渡る旅行記。重点はむしろ離島のほうに置かれている。
 沖縄を学ぶために手に取った本だが、日本という国の成立過程まで話が遡るあたり、さすが司馬遼太郎だなと唸らされる。彼の手にかかれば、人間の排泄物でさえ、親鸞の歎異抄まで話は広がっていくのである。

 沖縄料理の話題が出るわけでもなく、全般的に色のない旅行記ではある。ただ、沖縄という視点から、古代日本社会を垣間見るための道しるべとして読むには、うってつけの本だと思う。

”懐かしい”沖縄
 私は、関東地方の太平洋側に住んでいる。その所為かどうかは分らないが、
この本を読んで、幼い頃の田舎の風景を思い出した。田舎の風景と言うのは、関東地方の某市のことなのだが、何故だか懐かしさがこみ上げて来た。
 沖縄には、古い時代の日本の言葉や文化が、現在もなお大事に保存されていると言われる。”沖縄”を知りたい人は、まず読んで欲しい。
沖縄の陰と陽を描いた、秀逸の旅行記
江戸時代の島津氏による侵攻、明治時代の琉球処分、昭和に入っての第二次大戦とそれに続くアメリカによる統治。これら沖縄が背負う重い歴史とコントラストを描くように、熱く照りつける太陽、はるかに青く澄んだ海原、風土そのままに暖かな人々の気風は、訪れる者をたちまち虜にします。司馬氏は、沖縄が内包するこの「陰」と「陽」を、旅行記であると同時に沖縄史でもある一冊の書籍の形に昇華させました。どちらに偏ることもない、この絶妙のバランス感覚に、氏の真骨頂が表されています。南国特有の軽妙な空気を味わいながら、沖縄の歩んだ道をトレースできる、贅沢な一冊です。
沖縄の人が知らない沖縄、本土の人の知らない日本
一般的に沖縄を描こうとするとその親しみやすさから贔屓目に沖縄を見てしまいがちですが、司馬さんらしい客観的な歴史観で沖縄を描いています。
沖縄の人たちを原日本人として捕らえ、訪れた沖縄を解釈していく。だから沖縄の人も知らなかった沖縄、本土人が忘れてしまった日本が見えてくる作品だと思います。


価格: ¥ 780
ユーズドストア価格: ¥ 1
出版社: 新潮社 文庫
カスタマーレビュー: 2 件
便利で面白い
池澤夏樹さんだけでなく、色々な人たちがそれぞれの言葉で沖縄の風俗・食べ物・場所・人物・歴史などについて詳しく説明する本です。
先日の沖縄旅行にも当然持って行き、大活躍してくれましたし、読み物としても大変面白い。
今回のようにひとつの言葉に対して一人の人が解説を加えるのも良いのですが、同じ言葉に対して何人かの人が解説を加えるような形にすれば、さらに興味深く読めるのでは、と思います。
そんな感じの続編が出たらうれしいですね。
沖縄辞書として
辞書形式にひたすら言葉が並んでいる。
あたまから読んでもいいが、気になる言葉を「引く」という感じ。

何も予備知識なしに沖縄に行って「何?何?」というときに
持っていると便利な一冊。

沖縄をテーマに論文を書いている学生さんは
取っ掛かりにはいいかもしれません。
基地問題とか返還の話も書いてあるので。

私は次の沖縄旅行に持って行きます。



価格: ¥ 1,200
ユーズドストア価格: ¥ 665
出版社: 中央公論新社 文庫
カスタマーレビュー: 1 件
沖縄学の研究は深まる
 沖縄の言葉の美しさを開花させたオモロ。
天に鳴響(とよ)む大主 明けもどろの花の 咲い渡り あれよ 見れよ 清らやよ 又地天鳴響む大主(『おもろさうし』)日の出の壮大な美しさが一大交響詩となって聞こえてくるよう。その文学伝統は、琉歌と呼ばれる抒情詩に流れこんでいく。
 著者外間守善は琉球方言、古語研究の成果を次々と発表する。その中心をなすのが、「おもろ語」の研究である。『おもろさうし』から当時の言語事実を明らかにしようとすれば、オモロ語と個々のオモロが解釈できなければならない。
 当然のことながら、オモロ周辺の古謡とそれらの体系や歴史的展開を研究する必要があった。『南島古謡』『南島歌謡大成』が大成される。更に発展して、文学の枠からはみ出し、歴史・宗教・言語・文化一般に及ぶ「沖縄学」の提唱となる。開かれた未来を思考する情熱がある。
 著者は沖縄戦で兄と妹の他、多くの戦友や学友を失っている。犠牲者への鎮魂として、生き残った者の責務として「沖縄学」に励んでいる。

at Kalpa, India on 12/Oct/1999

Posted by snotch at November 22, 2006 10:05 AM
 この村の成人した男子は,緑色のフェルト帽を装着することになっているようだ.カルパ村の中心部近くにあるヒンドゥ寺院の庭に,十人ばかりの男が世間話などをしながら座っていたので,その中で最も帽子が似合っている紳士を撮らせてもらった.濃緑色のフェルト帽は,ファッションとして非常に上品な造りとなっているが,おそらくは宗教的な意味合いもあるのだろう.シバの住む巨大な雪山に,常時見おろされているのだから,帽子を被りたくなるのも分かるような気がする.

Kalpa, India

at Kalpa, India on 12/Oct/1999

Posted by snotch at November 27, 2006 10:00 PM
 カルパ村の集落と周囲の森とのちょうど境界ともいえる場所に,尖り屋根の小さなお寺がある.日本でいうところの,鬼門を守る寺院のようなものだろうか.お寺のすぐ脇には,小さいながらも存在感のある門がポツンと構えられていて,村から山へと道が続く道はこの門をくぐっている.この村を出入りする人々は皆,曼荼羅を頭上に感じて門をくぐるらしい.

at Kalpa, India

--- Mandala at the boundary of Kalpa village ---

at Kalpa, India on 12/Oct/1999

Posted by snotch at November 30, 2006 1:09 AM
 カルパ村集落の中央にある寺院の軒下には,鈴棒のような形に彫った木製の何物かが,等間隔にぶら下がっている.安易に鳴らしたり引っ張ったりしてはいけない.石と木材を交互に積み重ねて組んである壁,丈夫そうな梁,野路板に重なるスレート板など,みるほどにディテールが作り込まれているのがわかる.

at Kalpa, India