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- December 2003 Archives -

at インド アムリトサル (Amritsar) on 02/Sep/1999

Posted by snotch at December 4, 2003 1:29 PM

早朝、虫に刺されて腕足が痒いので目覚める。オーストラリア人とネパール人2人組みが朝から国境へやってきたので、彼らと一緒に国境を越える。国境越えを一人で行くのは、何かとリスク(賄賂をせびられるなど)があるようなので、こういうときには国籍に関係なく、皆大変協力的だ。インド側へ無事通過して、アムリトサルへ向かう。

アムリトサル駅の真向かいにある、Hotel-Palacet という名前がリッチな安宿に宿泊することにする。そして、道路に面した最もうるさい2階の部屋を選ぶ。部屋前の廊下の道路側先端には、ちょうど表通りと駅が見渡せる窓が空いていて、インド旅行モードに入るにはなかなか良い。
まず、鉄道。インド平野部での長距離移動は鉄道が一番。たまには半日遅れたり、指定席なのに殺人的に混み合った寝台車に乗り合わせたこともあったが、たいていは快適に移動することができる。
そして、市内交通はバスか、リクシャ。リクシャには2種類あって、人力のものと、エンジンで動くオートリクシャとがある。人力のものは、場所によっては余り見かけなくなったが、バラナシやコルカタ(旧カルカッタ)などでは、今でもよく見かける。人力のほうは、乗っていて人夫(リクシャワーラー)に対する様々な気持ちを処理するのが大変なので、元気が有り余るときにしか乗らないことにしている。
向こうから寄ってくるオートリクシャは、大抵曲者。そうでなくても、毎回の料金交渉はもちろん必須。オートリクシャのリクシャワーラーの個性はバラエティに富んでいるので、毎回楽しみにしているのだが、やっぱり本気の仕事なので、料金交渉の時には彼らは概して強気。なるべく安くという動機しかない自分は、いつも少し妥協気味の値段で乗ってしまう。客待ちをしながらビーリー(安いインドタバコ)を口に挟んでいるリクシャワーラーを、宿の窓から見下ろすように眺め、これから彼らに挑む日々が続くのだと思うと、リクシャ達が小戦隊のように見えてきた。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 03/Sep/1999

Posted by snotch at December 8, 2003 10:11 PM

ここアムリトサルは、シク教の中心地であり、またプンジャブ州の主要都市でもある。日本において、典型的なインド人としてしばしば描かれる、立派な顎鬚を蓄えた、大きなターバンを頭に巻く人々が、シク教徒である。シク教徒は、インドにおいてはマイノリティ(全人口の2%)だが、ヒンドゥのカースト制度から解き放たれた結果、貿易商、専門技術職、軍事関連など、様々な新しい分野において国内外で活躍するようになった為、国際的に認知度は高い。男性は生涯、髪の毛と髭を切ってはいけないことになっているので、実は、ターバンの中身は髪の毛がとぐろを巻いている。そして、ヒンドゥ教徒と異なり、肉食も可能なので、体格が立派な人が多い。

シク教は、16世紀初頭に初代教祖ナーナク(Guru Nanak)が興した宗教であるが、アムリトサルが聖地となったのは第4代教祖ラムダス(Guru Ram Das)以降のこと。現在、街の中心部にある黄金寺院(Golden Temple)は、第5代教祖アルジャン(Guru Arjan)によって礼拝所グルドワーラー(Gurdwaras)として創建されたのが由来で、1802年にランジット・シン(Ranjit Singh)によって金箔で覆われて以来黄金寺院と呼ばれるが、本来は神の寺院(Hari Mandir)という。1984年、シク過激派とインディラガンジー(Indira Gandhi)率いるインド軍との衝突の結果、シク教側に493名(インド政府の公式発表)の犠牲者がでたとされる、悲惨な事件もあった。

シク教について、詳しく記述されたホームページが公開されている。The Sikhism Home Pageには、シク教の歴史から教義まで幅広いコンテントが揃っているが、特に1984年の出来事については多くの関連資料とともに詳しく述べられており、一つのトピックとして扱われている。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 04/Sep/1999

Posted by snotch at December 11, 2003 12:05 AM

黄金寺院(Golden Temple)を訪れる。勿論、礼拝のマナーにおいては異教徒も例外でなく、靴を預け、髪の毛を隠すために布などで頭を覆わなくてはならない。とはいっても、敷地内は異教徒にも積極的に解放されていて、ハンカチを頭にのっけたインド人(ヒンドゥの)観光客もちらほら見られる。本堂、Hari Mandirは、東西に約150m、南北に120m程の長方形の池アムリト・サロヴァル(Amrit Sarovar)の真ん中にあって、池の周囲を幅15mほどの白大理石のテラスが周回している。池の名前が、そのままアムリトサルという都市の名前になっていることがわかる。それぞれの建築物は造形的に素晴らしいようには見えないが、本堂が四方に開放的である点や、水辺の回廊テラス、水面、本堂が一体となった境内のあり方は、シク教の万人皆平等という教義をよく反映しているようである。

信者達は、体を清めた後、大理石のひんやりとした感触を足の裏に感じながら時計回りに回廊を周り、Guru's Bridge を渡って本堂へと向かう。本堂の中は、堂内全体が明るい光で満たされていて、多くの信者が祈りをささげる中、中央部で3人の聖職者が音楽を奏でている。一人はタブラ、一人はシタール、そしてもう一人がハルモニウムと歌を担当し、聖歌キルタン・ソヒラ(Kirtan Sohila)を奏でている。

一大宗教の聖地でありながら、異教徒にこれほど開放的な宗教も珍しいかと思う。訪問者の宗教を問わず、境内に隣接する共同食堂(Guru Ka Langar)では毎日3万人分の食事がボランティアによって無料で振舞われ、巡礼宿泊所(Gurdwaras)では巡礼者の為の寝床が格安で提供されている。その規模と、人々を受け入れる懐の深さには驚かされる。

at インド アムリトサル (Amritsar) on 05/Sep/1999

Posted by snotch at December 18, 2003 5:26 AM
 日本からの小包を受け取るために、ここのところ毎日郵便局へ通っていたが、どうも今回は小包にありつけない予感がする。毎日同じ窓口で相手をしてくれるサリーを着たおねえさんは、とりあえず周囲の荷物類を一通り調べてくれるのだが、もうあきらめたらどうかい?といわんばかりである。  アムリトサルの駅前には、夜中になっても蝉のようなクラクションを響かせるリクシャがたむろし、その他の騒々しい有象無象が辺りを埋め尽くしている。宿の部屋からの眺めは写真のようにな状況で、昼夜を問わず落ち着かないので、そろそろ脱出したいと思う。もし、今後小包が届いたら、数ヵ月内に何度か通過するであろうマナリという町に転送してもらうようにおねえさんに依頼して、明日には次の場所へ発とうと思う。

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 06/Sep/1999

Posted by snotch at December 22, 2003 11:49 PM

ダラムサラへ発つ。アムリトサルのバススタンドからパタンコット行きのバスにのり、乾燥した畑の続く平野を走ること約4時間。夕方になってようやくパタンコットに到着し、ダラムサラ方面へのバスを待つ。パタンコットを出発すると、すぐにヒマーチャル・プラデシュ州に入り、それと同時に平地から山地へと周囲の景色が変化する。まさにこの辺りが、インド平原とヒマラヤ山脈の境目ということになる。

山地に入ると途端に道が悪くなり、おまけに乗り心地の悪いバス後部にいたので、立っているのが大変な程。景色を楽しむ余裕を失いかけていたところに、インド版女子高生が大勢乗り込んできて、あっという間に車内は大賑わいの超満員。若い熱気がムンムンだわ、バスは大揺れだわで、ちょっとした修羅場である。

ラッシュの乗客が次々に降りていき、車内がすいてくると、辺りの気温がずいぶんと下がっていることに気づく。平地の熱気が嘘のようで、真夏なのにひんやりと涼しい。Ghurkurでバスを乗り換え、19時過ぎにダラムサラに到着。21時にマクロードガンジ行きの最終バスがあるというので、夕食を摂ったのち、バススタンドで待つ。

時刻を過ぎてもバスはなかなか来なかったが、インド人タクシードライバが今日のバスはキャンセルされたとハッタリをかました瞬間、最終バスがやってきた。果たしてここに、ダライラマ猊下はいるだろうか?

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 07/Sep/1999

Posted by snotch at December 30, 2003 8:23 PM

朝は、ずいぶんと冷える。そして水シャワーしかない。午後になるとどこからともなく雲が沸いてきて、それほど温度が上がらないまま夕方になってしまうので、午前11時頃を見計らって冷たいシャワーを浴びるのがよい。
マクロードガンジには、小さな道に沿って旅行者向けの宿とレストランが並び、山の斜面に張り付くようにして建っているので、どの建物からも深い緑に覆われた山々を眺めることができる。見晴らしのよい場所からなら、遠く山裾がインド平原へと続くのが霞んで見える。チベット亡命政府があることもあって、世界的にも知名度のある土地で、ヨーロピアンの旅行者の割合が多い。また、ボランティアに従事している人も多く滞在している。

ダライラマ猊下の住まいであるダライラマパレスは、マクロードガンジから数百メートル離れた小高い丘の上にあって、丘の周囲にはコルラすることの出来る周回道が巡っている。飛行機で渡航してきたであろう裕福そうな人々も見られるが、遠くチベットから幾多の危険を冒して、陸路で亡命してきたであろう信者にも出会う。
周回道には、五大(地水火風空)を表すカラフルな色で、六字咒真言(オム・マニ・ペ・メ・フム)が刻まれたマニ石があちこちにみられる。チベットの過酷な自然環境を背景にしたマニ石と異なり、濃い緑の中にあるマニ石はよりいっそう艶やかに見える。

at インド ダラムサラ(Dharamsala) on 07/Sep/1999

Posted by snotch at December 31, 2003 9:31 AM

ダライラマパレスの周回道沿いには、小さなの寺院、数々のマニ車とストゥーパがある。ストゥーパといえば、もとは仏舎利や遺物などを安置した建造物を意味し、インド・サーンチーにある直径30m程度のドーム状のものなどが原型に近いとされている。ブッダ亡き後、しばらくの間は仏像を拝むという行為そのものが存在しなかったが、その代わりに信者たちは仏舎利が納められたストゥーパを大切にしたといわれている。

現在、ネパールやチベットでは、方形の基壇の上にドーム状の構造物がのり、頂上に塔が立っているものがあちこちに見られ、ネパール・ボダナートにある巨大ストゥーパは特に有名である。基壇部分には、花模様などの装飾が施されることが多く、ここダラムサラの寺院近くに建造中のストゥーパで、僧が装飾を施している最中の作業を間近に見学することが出来た。

ちなみに、日本のお墓の背後に立てられている卒塔婆(そとうば:供養・追善のため、墓などに立てる細長い板)の語源は、ストゥーパであるという説は有力で、遠くインドでドーム型であったストゥーパが、数千年のときを経て、こうして日本にも伝えられている。なるほど、塔婆に切り込まれている輪郭の形状は、ストゥーパの頂部にある塔の形状にそっくりである。