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- April 2003 Archives -

at 甘粛省敦煌 on 27/Jul/1999

Posted by snotch at April 1, 2003 11:05 PM

涼しくなる頃を見計らい、北京に留学中の克さん、剛くんの2人と共に、自転車に乗って鳴沙山(ming sha shan)へ。近くの草むらに自転車を止め、目指す方角に歩いてゆくと、ポプラ並木の隙間にドカーンと砂山が現れてくる。
ビーチサンダル履きの足を砂にとられながらも、巨大な鳴沙山を上ってゆく。砂漠というものを全く知らない僕にとっては、目に見えないほどに細かい砂が山になっているだけで、全く新しい体験。興奮気味に息を切らしながらも、一直線に天辺めがけて駆けていった。

鳴沙山の谷あいには、月牙泉(yue ya quan)という三日月形の泉があって、山頂からはその形がよくわかる。谷底のほうには、観光客やら、観光客を乗せるための駱駝やらが、わんさか見える。剛君にカメラを手渡して、谷底めがけてダッシュで駆け下りた。

こぶし

Category : [Plant]
Posted by snotch at April 2, 2003 3:35 PM

吉祥寺の自宅のそばに、この地に引っ越してきて以来7年間ずっと空き地だった場所があって、こぶしの大木が植わっている。毎年、桜の時期になると、こぶしの木全体が見事に真っ白になるほどの花をつけ、圧倒的な存在感を見せてくれる。この空き地、ずっと立ち入り禁止の遊びっぱなしになっていたのだが、武蔵野市民の要望が反映されて、公園として開放されることになりました。現在ほぼ整備が終わって、あとは柵を取り除くばかりの状態です。

at 甘粛省敦煌 on 28/Jul/1999

Posted by snotch at April 3, 2003 3:37 PM

敦煌では、沙州市場という夜市が開かれていて、中国国内、海外からやってくる観光客相手に、多数の屋台が出ている。
「玉(たま)」を買った。手の中でころころと回転させると、玉同士がぶつかる際にきれいな音がでる。以前、ある旅行者が、読書をしながら片手でころころさせているのを見てから、自分もころころやってみたいと思っていたのだ。1セット10元。
30分くらいころころやっていると、頭がすっきりとしてくる。音楽を聴きながらというのも良い。

at 新疆哈密 on 29/Jul/1999

Posted by snotch at April 9, 2003 8:19 AM

嘘のようなホントの話とは、こういうことを指すのかもしれません。

敦煌から新疆ウイグル自治区の哈密(ha mi)へ移動。
もうすぐ正午をまわろうかというとき、自分のバスの前を、荷台に積載物を満載した大型トラックが走っていた。どれぐらい満載かというと、幅はトラックの幅プラス約1.5メートル、高さ5メートルほどの容積を占める荷物を、ロープでぐるぐる巻きにして背負っている感じだ。ずいぶん頑張るなあと、トラックの様子を眺めていたが、そのうちにゆっくりな振動数で左右に荷物がぶれ始めたかと思うと、トラックごと路肩の砂地に転がった。

一瞬、目を疑ったが、バスは何事も無く通り過ぎた。

Orchid

Category : [Plant]
Posted by snotch at April 11, 2003 3:25 AM

ついに今年も開花した。
ラン科植物は、植物界で進化の一番進んだグループの一つだ。しかし、基本的に多くのラン科植物は、岩や木の幹にへばりつくように着生しなければ生きてゆけない。また、種子は粉のように細かく、一つの花からできる房に数万から数十万もの数の種子が入っているが、種子と水だけでは発芽することができず、根元に住んでいる菌の力を借りなければならない。重要なところを他に依存しすぎているんじゃあないだろうかと思うが、植物の進化って一体どういうことなのだろう?
>> 山でお勉強

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 12, 2003 10:59 PM

ここ哈密は、かつては、西方諸国への道中の宿場町として機能し、伊吾とも呼ばれていた。なので、特に見るべき観光ポイントなどは無いのだが、町の南方には昔ながらのウイグル人の居住区があって、宿場町であった頃の様子を想像させてくれる。新疆ウイグル自治区にある町は、基本的に、新市街と旧市街がはっきりと分かれていて、もともとこの地に住んでいたウイグル人と呼ばれる人々は、旧市街に居住している。
中国国内において、哈密といえば、哈密瓜(ha mi gua)が有名だ。要は、瓜のようにちょっと細長い形をしたメロンのことだ。
おいしい。
本当は、もっと西方にあるピチャンという場所の特産品なのだが、誰かが勘違いして哈密瓜と名前をつけてしまったそうだ。

movabletype Programmatic Interfaces

Category : [Movable Type]
Posted by snotch at April 17, 2003 11:20 PM

何かと参照することが多かったので、MTのドキュメントにある、「PROGRAMMATIC INTERFACES」を和訳してみました。MT の XML-RPC インターフェイス、プラグイン機能に関するドキュメントです。間違いあるかもしれません(w

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at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 18, 2003 11:39 AM

ハミの中心部は数キロ四方の範囲に集まっていて、歩いて簡単に町を見てまわることができる。中心部から南方に向かって歩き、町の南半分のウイグル人居住区を抜けると、ハミ王墓にたどり着く。
かつて、この地一帯はハミ王が治めていた。ハミ王国は、清朝時代のウイグル族の地方政権で、康煕36年(1697年)から1930年まで9代223年にわたり、ハミを統治したのだそうだ。
写真は、エイティガール寺院(新疆地区のイスラム寺院の通称 カシュガルにもある)(左側)とハミ9世の王墓(右側)。今では、周辺には畑があるばかりで、ひっそりと静まり返っていたが、町の人々がしっかりと手入れをして大切にしている様子がよく分かる。

Scanning Orchid

Category : [Plant]
Posted by snotch at April 19, 2003 6:10 PM



お化粧をしているような淡い色使い。もっとミクロに見ていくと、何が見えてくるかな?

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 21, 2003 6:36 PM

いよいよ、イスラム文化圏内にはいったなと思わせられるのは、色鮮やかな釉薬タイルだ。図柄や施工の精度などをみると、一流とは言えないように思う。が、直に触れられる距離で実物に接することができるので、手作り感が十分に伝わってくる。とりどりのブルーが素敵だ。

世界のタイル博物館 -INAX TILE MUSEUM-

at 新疆哈密 on 30/Jul/1999

Posted by snotch at April 24, 2003 1:29 AM

ハミ王墓から、北に向かって人気のない道をしばらく歩くと、ケイス墓に到着する。UFOのような緑色のドーム屋根をもつこの建物は、ケイスというイスラムの伝道師を葬った廟である。
周囲はに潅木が生い茂り、ところどころにポプラが立ち並んでいる。近所に住んでいる普通の人々が協力してここをメンテナンスしているようで、ごみ一つ落ちていない。
沙漠の青い空と強烈な太陽光線を反射して、緑色のドームが威光を発している。これはもう間違いなく、宇宙と交信している。

at 新疆鄯善 on 31/Jul/1999

Posted by snotch at April 28, 2003 11:06 PM

ハミを午前8時に出発。道がよく整備されていて、ノンストップ5時間半で鄯善(ピチャン)に到着。バス停に付随する食堂で判麺(バンメン)を食べた。冷やしうどんに、トマト、青野菜、卵の暖かい炒め物がのっていて、お酢とニンニクがちょうどよい味付けになっている。これから新疆ウイグル自治区を旅する間、ずっとお世話になる料理だ。
バス停から宿までは 3km 程あるのだけれど、メイン通りが工事中なので、走っているはずのミニバスが運休している。仕方がないのでバックパックを担いで歩いていくが、半端でなく熱い。40度は軽く超えている。真昼間だけれど、表を出歩いている人は全くいない。最初の10分間はまだ余裕もあったが、その後の30分間はもう頭がボーっとして何も考えずに歩いた。たったの40分程度T-shirtsで出歩くだけで、沙漠の日差しと気温がこんなにも強烈に体にコタえるということを知った.町なかではなく、果てしない砂漠を旅しようとした昔の人々の気が知れない。

この町が鄯善と呼ばれるようになったのは17世紀以後で、16世紀までは楼蘭王国があった場所を鄯善といったそうだ。これといった見所はない小さな町だが、すぐそこまで沙漠の砂が迫っていて、防砂林が町の南側に並んでいる。ウイグル人居住区では、どの家も日陰を作るための庭木が小道にまで迫り出し、中庭には葡萄の棚がこしらえてあって涼しげだ。

at 新疆鄯善 on 01/Aug/1999

Posted by snotch at April 30, 2003 5:50 PM

夕方、ピチャンの南方にある沙漠へむかった。防砂林の向こう側には、砂丘が地平線まで続いているのが見える。名前は沙山公園という変わり映えのしないものだが、その内容は、これぞ沙漠といえる見事な沙漠だ。これのどこが公園かね?と聞いてみたい。日本人の沙漠のイメージに一番ぴったりくるのではないだろうか。

ビーチサンダルで砂丘を登り始めた僕は、まずいことに気づいた。砂が熱い。一歩踏み出す毎に、足の裏とサンダルの隙間や、足の指の間に熱く焼けた砂が流れ込んできて、そのうちに足首まで埋もれてしまう。思わず悲鳴を上げそうなほど熱い。既に砂丘のほぼ中間まで登ってしまい、足を砂にとられた状態では麓が果てしなく遠いように感じられ、後に引き返すわけにはいかない。サンダルを手に持ってダッシュで数メートル前進し、サンダルを足の下に敷いて足の裏を冷やすという不思議な動作を繰り返す羽目に陥った。

熱い砂と戦いながら、なんとか砂丘の稜線部に到達した。稜線反対側の日陰部分の砂がひんやり冷たいことを発見し、足を冷やしながら腰を下ろす。強い風にのって、細かい砂が斜面を駆け登るように流れてきて、稜線の部分で空中にパアッと散らばる。日が沈むにつれて、そこらの砂丘の陰がどんどんと伸び、砂の色がどんどんと変化し、淡い赤紫色の世界になっていった。